2017-06-21 15:34:11 | あれこれ
芸能人の誰かが、健診で早期癌が見つかって命が助かったというニュースがあった時、
ワイドショーでコメンテーターが、
「だから皆さん、健診を受けてください」と呼びかけていた。

どうして誰もが長生きをしたがるということを前提に話をする?
と思ってしまった。
一方では自殺者がいかに多いかというニュースだってあるじゃないか?
まあ、テレビなどで自殺者を認める発言が許されることはないのはわかるけれど。

スピリチュアルの世界でもそうだ。
自殺だけは許されないのだ。
昔から自殺した人は天国に行けないとか言われていたし。
辛くて辛くて自殺した人は、次の世でまた同じ試練を味あわなければならないそうだ。
確かに、自殺した人も許されて天国に行けるんだよと言ってしまえば、
自殺を助長することに繋がりかねない。
でも、なんとなく納得のいかないものを感じていた。
生まれる前に、人生のシナリオを書いてくるのなら、
自殺した人は、自殺するというシナリオを書いてくるのではないのか?

一度だけ、「稀に予定された自殺というものがある」という説にお目にかかったことがある。
それから、今読んでいる本によれば、
魂というものは、自分の成長を望んで生まれてくるものだから、
自殺した場合、自分がやりたいことができなかったと思い、
自分で望んで、前の人生をやり直すことを選ぶのだという。
それが多分、「同じ試練を味わう」ということなのだろう。
でも、やはり表現の違いは大きいなと思う。
「同じ試練を味わう」は強制。

まあ、自殺のことはいい。
私は自殺するつもりなんてないし。

世の中の人は、本当にそんなに死にたくないと思っているのだろうか?
死ぬことをそんなに怖いと思っているのだろうか?
いつかも書いたけれど、私が怖いのは死ぬことじゃなくて、死への過程だと思う。
それと、残された側の喪失感。
たとえ、死者は向こう側の世界で倖せになっているとわかっていても、
今自分が生きている世界で、もうその人に会えないというのは辛い。


みじめ

2017-06-20 18:07:14 | えりかさんとのこと
えりかさんがブログに書いていた。
自分の中で、一番ネックになる感情は「みじめな気持ち」だと。

ああ、そうだ。
みじめな気持ちだ。
私が時々書く「気弱になる時」というのは、みじめな気持ちに落ちそうになる時だ。
私はそんな時、がんばって気持ちを持ち上げることができているが、
えりかさんの場合は、そうではないのだろう。

なんとなく通じる。
プライドの高さと、みじめな気持ちに陥ることの関連性。

私が今こうして、いろんなことから立ち上がって元気にしていられるのは、
私が生まれ持ったものに拠る部分が大きいのか?
それとも、それらのものも、私が幼い頃から自分の力で身につけてきたものなのか?

何と言うか…。
今回のえりかさんのブログの内容からは…。
何と言うか…。
えりかさんがどうして私と同じ方法では闇から抜け出せないのかがわかるような気がして。
そのことでえりかさんが苦しんでいる気持ちがわかるような気がして。
でもそれは、共感ということではなくて。

えりかさんと私は、同じようなことに躓いて、でも、全く違うやり方でそれを乗り越えようとして、
それはまるで、お互いの魂が、
「私はこっちのやり方を試してみるから、あなたはあっちを試してみて」と、
励まし合って競争しているようだと、いつか書いた。

今もそれはおんなじ。

結局同じようなところに辿り着いているんじゃないかと思う時もある。
時には、先を行かれちゃったかなと思う時もある。
でも、それでもやっぱり、闇から抜け出して生き易くなったのは私。
えりかさんはどうしても闇から抜け出せないでいるみたい。

私にはどうしてあげることもできない。
今なら何でも聞いてあげるよという気持ちで、またランチしよう的な言葉をかけてみたけれど、
えりかさんは、私といると余計に辛いのだ。
私が元気になったことがわかればわかるほど、意識的な部分ではそれを喜んでくれても、
無意識な部分でどんどん自分をみじめにしていく。
どうしてそうなるのかと考えれば、過去に辿り着く。
今から取り戻そうとしても、どうしても取り戻せない過去の部分。

正直言って、私にもえりかさんに否定されたことは記憶から、いや無意識から消せない。
心のどこかで、あなたに否定されたやり方で、私はこんなに楽しく暮らしているじゃないの!?と
見せつけたくなる時がある。
私みたいにやってみればいいじゃない?と思う時がある。
それはきっと見透かされている。
でも、そんな思いと、本当にえりかさんの力になりたいという思いは全く別なのである。
どちらも確かに存在するのである。

プライド

2017-06-19 11:05:50 | あれこれ
えりかさんはプライドが高い。

以前は、そんなこと全く考えられなかった。
自分のことを、ACで自己肯定間が低いと言っていたえりかさんが、
プライドが高いなんて、そんなこと有り得ないと思っていた。

元々、人間観察などというものは苦手な私である。
そんな私でも、何度か「えりかさん、プライド高いのかな?」と思ったことがある。
そのたびに、そんなはずないやと思い直していた。
でも、何がきっかけだったか、えりかさんはプライドが高いんだと理解した。
そうしたら、いろんなことの辻褄が合った。

その後、えりかさん自身、ブログの中で、
「私のプライドの高さが、なんちゃら…」と書いてあって、やっぱりと思った。

高過ぎるプライドは、生きていく上でいろんな意味で邪魔になると思う。
でも、全くプライドがないというのもどうかと思う。
まあ、悟りきったマスターと呼ばれるような人はいいのかもしれないが。
ここもやっぱりバランス。ほどほどがいい。

私はどうだろう?
そんなにプライドは高くないと思うが、全く無いわけではない。
私がプライドということを意識したのは…。

集金の仕事を始めた時。
「私は借金取りではないというプライドを持とう」と思った。
借金取りさんにもいろいろあるのかもしれないが、
この場合の借金取りさんは、あまり良くないイメージの借金取りさんである。
別に、職業で人を差別するつもりはないが、
お金を扱うのは、あまり高尚な仕事ではないイメージがあったのかな。

全くの余談であるが、同業者のO美ちゃんは、留守がちでなかなか捕まらないお客さんを、
帰ってくるまで家の前で待っていようかと思ったことがあったそうな。
(私はそこまで頑張るつもりなど毛頭ないが)
そう思っていたら、テレビで借金の取り立てのひどさ?(悪徳金融の話だと思うけど)の特集をたまたま見て、
自分のやろうとしていたことが怖くなってやめたそうである。

それから、大学生の時。
私の通っていた大学は、県内ではそこそこのレベルのところだったけれど、
私の通っていた高校は、県内でもトップレベルのところだったので、
自分でそんなにいいところに進学したとは思っていなかった。
(今思えば、みんなかなりの企業に就職していらっしゃるので、すごかったんだと思うけど)
実際には、私学の校風に合わないということもあったのだけれど。
だから、友達がここの大学に入れたことが自慢で、
学校名の入ったTシャツを買って喜んで着ているのを見て、
こんな大学の学生であることにプライド持ってばっかみたいと思っていた。
でも内心、私自身、そこの学生であることに、中途半端なプライドを持っていることに気づいていた。

それから、コーラスをしていた時。
そこの合唱団には、優秀な人が多かった。
その優秀な人の中には、地元の新設校の出身者が多かった。
(私は、新設校が嫌いだった。今となっては、新設と言っていいのかわからないが)
そんな優秀な人に圧倒されそうになる時、
「彼女は、たかが○○高の出身じゃないか。私は○○高だぞ!!」と、
大切なのは出身校ではなくて、自分自身だと百も承知の上で思っていた。

まあ、私のプライドに関して具体的に思いつくのはそれくらいである。

母もプライドが高かったと思う。
そう思うのにはいろいろあるのだが。
晩年、認知症も出かかっていた頃、町内の組長が回ってきた。
会合には、姉が出ていたそうだが、その最初の会合で、姉は組長のまとめ役のようなものを引き受けてきたのだそうだ。
姉もそういうのを断るのは苦手そうなので、わかる気はするのだが。
でも、姉は仕事が忙しいので、実際に組長の仕事をするのは母である。
配り物をするくらいならいいが、他の組の分まで何か集計したりするのは、
よくわからなかったらしい。
姉は姉で、自分がやるからいいと言うそうだが、後回しにするので母は気が気ではなかったようだ。
母がそのことを愚痴ってきた時、
「何か言われたら、おばあさんはボケてるから何にもわからん。娘に任せてあるって言っておけばいいじゃない?」
と言うと、「そうだね」と言っていたが、
後日別の話で、「近所の人によぼよぼ歩いているところを見られたくない」と言っていた。
ボケたふりなんてとんでもなかったのかもしれない。

そう言えば、免許の返納のために警察に行った時、
警察官の方が、私にいろいろ話してくるので、二人でやり取りしていた。
その時は、免許の返納は時間がかかるので、午後から出直してくれということだったので、
先にお昼を食べに行った。
母の機嫌が悪い。
ぼそっと怒り出した。
歳はとっても、あれもこれも自分でやっている。馬鹿にするんじゃないという意味のこと。
昼から出直した時には、私はずっとベンチに座って待っていて、
手続きはすべて母に自分でやらせた。

母が亡くなってから見つけた日記のようなメモに、その日のことが書いてあった。
みなみは、遠くからきていろいろやってくれているのに、怒ってしまった。
でもみなみは、私の気持ちを受け入れてくれた。
みなみは本当にいい子だ。

でも本当は、母に対してそんな態度が取れたのは、
えりかさんとの出逢いがあったから。
と、えりかさんに戻ってしまったところで、この話はおしまいにしておこう。

調子にのる

2017-06-16 17:24:44 | 日記
いろんなことがうまくいきすぎているのかな?
調子にのって何かやらかしてしまいそうな気がする。

やっと見つけた新しい自分に酔っているのかなあ?
あの時もそうだった。
スピリチュアルに出逢って、私の中で確実に何かが変わったあの時。
助かったと思って、嬉しくて嬉しくて。
一緒に苦しんでいたえりかさんのことも救えると思った。
でもそれは間違いだった。

Mちゃんとの仲がうまくいきすぎて、他の友達を疎かにしてしまいそうだ。
自分から連絡をとるのを控えてしまう。
それは、ただ単に相手を疎かにしているというとちょっと違うのだけれど。
Mちゃんほど親しくないので、ためらってしまう。
私なんかが、そこまで頻繁に連絡していいだろうか?みたいに。
でも、それをしていかなければ、その人との関係は途絶える。
もちろん、お互いに。
私か相手のどちらかが途絶えてもいいと思うか、
そういう自覚もなく途絶えてしまうか。
今では、私の辛い時を支えてくれたと思える人が何人もいる。
彼女たちとどういう関係を紡いでいけばいいのだろう?