山田くん2

2017-08-31 10:17:24 | あれこれ
山田くんは、すっごいネガティブ人間。
そのネガティブさは、どこか私に似ているところがある。
「自殺なんてめんどくさい」。
それがすごくよくわかった。

山田くんとの会話は、基本楽しい。
でも、あまり近寄り過ぎない方がいい。
そんな気がしていた。

山田くんは、私との接点である大学のサークルが、
人生で一番楽しかったようである。
あそこで巡り逢った人のことを繰り返し話す。
その中での自分のみじめさを語る。

山田くんはみんなから愛されていたと思う。
みんな、彼のことをいい人だと思っていると思う。
でも、「いい人」と思われるだけということが、どんなに虚しいことなのか、
それは私にもわかる。

山田くんは、Facebookをかつて二度やめたと言っていた。
でも通信業界にいるので、結局また始めることになるのだと。
そしてそろそろまたやめようと思うと言っていた。
私は山田くんがいないFacebookは寂しいと思っていた。
「やめたら、私に書いてくれたコメントも消えちゃうんだよね?」
「やめると言っても、友達をゼロにするだけなので、コメントは残ると思う」

そしてその日はやってきた。
Facebookをやめるので、ラインで繋がりたいと。
それ以来時々ラインで話す。

以前から気にはなっていた。
6年の単身赴任を終えて、あんなに戻りたがっていた横浜に帰ってほぼ一年。
山田くんは倖せになったのだろうか?
結婚したことも後悔していると言った山田くんは、どうしてあんなに家族の元に帰りたがったのか?

山田くんは言った。
FacebookとInstagramは休止中。
Twitterはソフトごと消した。
LINEは友達数人。
会社関係や友達とのやり取りはほとんどe-mail。

そこまで人との繋がりを断とうとするなんて。
人との繋がりが望む全てと言ってもいいような私には想像もできない。

山田くんからラインがくる頻度があがっていた。
山田くんは一体私に何を求めているのか?

山田くんは私との関係を「姉弟のような」と繰り返す。
本当にそう思っているのか?
私にも「兄のように」思っていた高校の先輩がいる。
本当に、私がその先輩を思うような気持ちなのだろうか?
私も、もしその先輩とずっと繋がりを保てていたなら、
辛い時に頼ってしまっていただろうか?
そうかもしれない。

山田くんの想いを少し重荷に感じながらも、私は何とか山田くんを助けたいと思う。

数日前、Facebookに山田くんから友達申請がきた。
あら?意外に早かったなと思いながら承認をする。
山田くんのタイムラインに行ってみた。
山田くんは友達をゼロにしただけでなく、それまでの投稿も全て削除しているみたいだった。
その後、今までの人生で楽しかったことなんだろうと思われることの投稿をいくつかあげていた。
私はそれらの全てにいいね!を押して、一つだけコメントを入れてみた。

「現在、友達はみなみさん一人です」そう連絡がきた。
私も知っている女性の名前を二つあげて、彼女たちには友達申請してみようかと。
その後、彼女たちは自分のことをブロックしているのか検索できなかったと。
試しに私がやってみると彼女たちの検索はできたし、彼女たちが山田くんのことをブロックするとは思えない。
でも、そこは突っ込むところじゃない。

山田くんは一体私に何を求めているのか?
山田くんの中で私はどんな存在なのか?
負担に思った。
突き離すことはできない。
かと言って、「人を助けよう」なんて思うことが、どんなに思いあがったことなのか、
そのことは嫌というほど思い知らされた経験がある。

昨夜も山田くんからラインがきた。
それに返事をしながら思った。
そうか。こうして話相手になるだけでいいんだ。
無理せず私も言いたいことを言えばいい。
私の信条として、心にもないことは言わない。
そして、少しずつでも伝えたいことを伝えていけたら、
そうなったらいいなと思う。

グループトーク

2017-08-28 12:03:18 | 日記
去年の秋の旅行以来、私の中にはちばこちゃんに対するわだかまりがあった。
30年以上大好きな友達だと思っていた相手が、私の嫌いな部類の人間だったんだとわかったというような、
そんな感じだった。
それなのに、もうずっとちばこちゃんがfacebookに何もアクションを起こしていないことが気になった。
投稿をしないということじゃない。
私の投稿にいいね!をくれないというレベルのことでもない。
本当に全く何もないのだ。
どうかしたのかな?
ただ何かにすねているだけならいいのだけれど。
気になったので、「元気?」ってライン入れてみた。
お嬢さんのことで悩んでいるのだと返信があった。
わだかまりのことなんて忘れて、私は思いつく限りの言葉を返していた。

それが一月くらい前のことだろうか?
やはりちばこちゃんの動向が気になったらしく、はまこちゃんがグループトークでちばこちゃんを心配する言葉をかけてきた。
それで一気に盛り上がる。
(盛り下がると言うべきか?)

私は、既にちばこちゃんには言葉をかけていたので、重複するような発言はしなかった。

みんながちばこちゃんにかける言葉に疑問を感じてしまう。
そうなのかなあ?
でも、そう言うしかないよなあ?

みえこちゃんは、自分が辛かった時の経験を長々と書き綴っていた。
ああ、それは昔の私がよくやった手法だ。
私だって辛かったけど大丈夫だよ、みたいな?
仲間だよ、みたいな?
何か違うんだよなって思った。

人を批判するつもりはないが、
私が周りを観察して思うのは、
子供が問題を抱えてしまった場合(それはその子にとって通過点にすぎないのだが)、
大抵は親子関係に問題がある。
と言っても、責められるべきは親であるという単純な話ではない。
親の方が精神的な問題を抱えているとか、
子供に期待をかけ過ぎるとか、
それくらいのことだ。

「私がいけなかったのかなあ?」と言うちばこちゃんに、
「そんなことは絶対にない」と言うはまこちゃん。
確かにその通りなのである。
間違ったことがあったもしても、
そのことを悔いてくよくよしたって何も始まらない。
過去は変えられないのだから、前を向いて進んでいくしかないのである。
それにたとえどんなにひどい親だったとしても、
子供はすべてを自分で選択して生きてきたのである。
今後も自分の選択を重ねていかなければならない。

それでもやっぱり思うのである。
旅行の時に聞いたちばこちゃんの子育て法が察せられる言葉。
私の嫌いなやり方。
その影響はあるのじゃないのかな?
ちばこちゃんの「私がいけなかったのかなあ?」に対して、
私は答える言葉を持たなかった。

一体何が言いたくてこんなことを書いているのか?
ただ私はまだまだ人を受け入れることのできない未熟者だということだろうか?
とにかくもやもやするのである。
このグループでのトークにはいつももやもやする。

フリーザーが捕まらない!

2017-08-25 16:47:26 | 日記
レイドバトルってのが始まった時、よくわからないなりにやってみた。
よくわからないけれど、ラプラスが捕まった。
仲間と協力してバトルしようって言われたって、
コミュニケーション能力に欠ける私が、知らない人と仲良くバトルなんてできるはずがない。

2回目。
ああそうだ。私、マタドガス持ってなかったんだ。
そう思って、近所の公園でマタドガスとバトルしてみた。
絶対に他に人はいなかったと思うけれど、
仲間がいることになっていて、
もしかしたら近所の家の中とかからやってる人がいたのかもしれないけれど、
そんなにタイミングよくバトルに入るとも考えづらい。
誰もいないと架空の仲間ができる設定になっているのかな?とか思った。
とにかくマタドガスをゲットした。

3回目。
娘が休みの日、近くの私鉄の駅にバンギラスがいた。
娘がレイドをやったことがないと言うので行ってみた。
駅に着いた途端、30代くらいのお姉さんが声をかけてきて、
「あの人もあの人もいるし、多分あの車の中の人もそうだと思う。
 これだけいれば、きっと勝てると思うんですよね」と言う。
「お願いします」と一緒にバトルした。
捕まったバンギラスに、娘は「GOZILLA」とニックネームをつけていた。

それ以来二度ほどやってみたが、やはり一人では勝てない。
架空の仲間もいないみたいだ。
レイドに勝った時だけ得られる道具もあるので、
コイキングなら一人でも勝てるのかなあ?一度やってみようかなあ?
などと思っていた。

そのうち、伝説のポケモンがレイドボスに登場した。
その初日、娘が「栄にルギアがいたー!!」とラインしてきた。
バトルには勝ったけれど逃げられたという。
へえー、と思ったけれど、近所では伝説のポケモンがいても人が集まっている様子もない。
この田舎では無理。と思って諦めていた。

ところが、何日か後の夕方、仕事で駅のそばを通りかかるとジムのそばの歩道に人だかりが…。
そのジムにはフリーザーがいた。
これだけいれば…。
やってみた。
バトルには勝ったけれど、フリーザーには逃げられた。

そうか。時間と場所を選べばいいんだ。
あいにくフリーザーの出現はその日が最後だった。
翌日の夕方、私は仕事をしながらファイヤーを探していた。
いないなあ。
そのうちに見つけた!
ちょっと大きな公園。
あそこなら…!!
行ってみる。
そこそこ人が集まっていた。

そのうちに一人のおじさんが仕切り出した。
「レイドバトルやる人ー!?」
「入れてください!!」
「今、強い人呼んでるからね、ちょっと待っててね!」
いろいろ教えてくれた。
レベルが30以上の人が何人だかいればバトルには勝てるのだとか。
35以上なら何人。40あれば一人でも勝てる。

中に見覚えのある人がいた。
あるジムでいつもバンギラスを置いていたレベル40の人じゃないかと目星をつけていた人。
顔を合わせたこともなかったけれど、気さくな感じの人だった。

その時のバトルは、あっという間に勝った。
幸運にもファイヤーはゲットできた。
やったー!!

その時の仕切っていたおじさんとそのお友達?は他の場所でも何度か見かけた。

コツを掴んだ私はその後サンダーもゲット。
ルギアもゲットしようとがんばっていた。
サンダーの出現期間が終わればルギアもいなくなるのかなあ?
と思っていたら、
伝説のポケモンの出現期間が8月いっぱい延長されるという。
目指すはフリーザーとルギアである。

お盆休みで息子が帰って来た時、
夕方私が「フリーザーを探しに行く」と言うと、
出現中のポケモンを検索するアプリで探してくれた。
中学の近くの公園にいた。
レイドをしたことがないという彼も一緒に行くという。
バトルには勝ったけれど、また逃げられた。
「じゃあ、あっちのルギア捕まえに行くか?」と息子に言われ、
本当は私も行きたかったのだけれど、バカにされると思って言い出せなかった私は同意。

行ってみると、いつかの仕切っていたおじさんたちがいた。
「一緒にやる?」と声をかけてくれたのでまたご一緒させてもらった。
お友達らしい女性が話していた。
「東京でやったらねー、人数はいても誰も何も言わなくってねー、おもしろくなかったよぉ」
ルギアが捕まった!
私には珍しく「やったー!!」と声を出していた。
ちょっと離れたところにいたおじさんが、「おめでとう!!」と言ってくれた。

息子にアプリのことを教えてもらう。
「今まで適当に探してよくやってたなー」とあきれられる。

今のところ、フリーザーには6回バトルで勝っている。
でも、どうしても捕まらない。
捕まえ方のコツとか調べてもよくわからない。
フリーザー、ファイヤー、サンダー。
やっぱフリーザーが一番かっこよくない?
欲しいなあ。フリーザー。


朝の光の中で思ったこと

2017-08-25 08:24:02 | 日記
人は長生きするために生きてるんじゃない。
生きるために生きてるんだ。

疲れて体がだるい。
階段を上る時に足がだるい。
何でもない平坦な道を歩いている時にも、その一歩が「だるい」に繋がっている。
そう思ったら、その一歩を確実に踏み出せている体に感謝しなくてはと思った。

常々、長生きするためじゃなくて生きている間を少しでも快適に過ごすために健康管理をしていると思ってきた。
だから、癌検診とかはスル―しても整体とか目のこととか、
命にかかわらない部分のケアを心がけていた。
間違ってない。そう思う。

庭のお花や野菜にお水をあげるのだって…。
これだけ暑いとプランターに植えたピーマンなど、夕方には脱水症状を起こしている。
それがかわいそうでお水をあげる。
でもそれはちょっと違う。
お水をあげて、元気になるのを喜んでいてはいけないのである。
当たり前だけれど、元気になって綺麗に咲くお花を楽しんだり、
元気になってたくさん実をつけた野菜たちを収穫してありがたくいただかなければ意味がないのである。

お花は綺麗に咲いたら嬉しい。
でも、野菜はどうだろう?
夫が植えた野菜。
休みの日には自分で水をやったり収穫したりするけれど、
普段の水やりは私の仕事。
私の仕事が増えるだけ。
収穫にはほとんど興味がなかった。
一度に取れ過ぎる野菜の始末に困っていた。

それではいけない。
お水をあげて生き返る野菜を見て嬉しいのなら、ありがたく収穫していただかなければ。
でないとお水をあげる意味もない。

さあ、取り敢えずピーマン収穫に行こう!!

食事当番

2017-08-21 16:20:56 | あれこれ
水曜日は第九の練習がある。
水曜日は夫は休みである。
だから水曜日は、夫に晩ご飯の支度を頼むことにした。
そのことについては以前にも書いた。

練習から帰って夫の作ったご飯を見るとがっかりする。
イライラする。
どうしてそんなにイライラするんだろう?

多分私は、夫は何でもできる人だと思っていたのだろう。
ご飯でもたまに思いつきで私が作りそうにないメニューを作ってくれることはあった。
でもそれは、たまに思いつきだからできることなのだ。
「作らなきゃいけない」ご飯は作れないのだ。

なーんだ。
夫も、そこらのただの男と一緒だったんだ。
それだけのことだ。
私が勝手に期待して、その期待を裏切られて落ち込む。
私がそういう人間ではいたくないと思っていたパターンだ。

それともう一つ。
夫の作る一品だけの簡単な主菜に味噌汁だけを添えた食事を見ると、
それでいいと思ってるんだと思うと、
自分が30年間作ってきたご飯は一体何だったんだろう?と思えてしまうんだと思う。
何か自分がしてきたことを否定されてしまったような気がするんだと思う。
決してそういうわけではないとは思うのだけれど。


あと、夫と食事に関する愚痴をあと二つばかり書かせてもらおう。

「お昼何が食べたい?」と聞いてみる。
何も返事がない。
夫は黙ってパソコンに向かっている。
私は小さい声でぼそっと「いらないんだ」とつぶやいてみる。

冷蔵庫に賞味期限の切れたピザが一枚残っていた。
それを焼いて食べることにした。
私一人だったら、何も悩むことはなかったのである。
ピザを焼いて食べ出したら、
夫は呼んでもいないのに、食卓にやってきて当たり前のようにピザを食べ出した。
「なーんだ。食べるんだ」
イライラしながら一枚のピザを半分っこして食べた。

別の日。
仕事から帰った私は言った。
「おいしいラーメン食べたいなあ」
返事は「ラーメンでいいよ」
私は「おいしいラーメンが食べたい」と言ったのである。
家でインスタントのラーメンが食べたいと言ったわけではないのである。
その日は家に買い置きのインスタントラーメンもなかった。
「ラーメンないし」
言ってみたけど返事はない。

しばらく様子を見てから、
「ラーメン買ってくる!!」とスーパーへ出かける。
おいしいラーメンが食べたかったのである。
インスタントのしょうゆラーメンと、冷凍の八宝菜の具を買ってきて、
あんかけ風のラーメンを作った。
夫はそれを「おいしい」と言って食べた。

その日は、第九の練習の他に夕方からも用事があった。
昼間は私のしばしの休憩時間である。
朝チラシの仕事に出かけると、短時間でもそこそこ疲れるので、
少しはうとうとと昼寝をしないと体がもたない。
何で仕事から帰った私が、家でごろごろしていた夫のために、
買い物にまで行ってご飯を作らなきゃいけないんだ!?
それが「食事係」である妻の役割なのか?


世のおじさま方に申し上げたい。
そりゃあ、世の中には料理が大好きで、家族のために栄養のことを考えたりして、
食事の支度をするのが楽しいという奥さまもいらっしゃることとは思う。
でも、大抵の主婦の一番の悩みは毎日の食事の献立なのである。
奥さまに何が食べたいかと聞かれた時には、何か答えていただきたい。
そりゃあ、その答えたものが必ずしもその日のメニューとして登場するとは限らないと思う。
でも、私の場合は、夫でも子供でも、何か答えてくれれば、
最初は面倒臭いメニューだなあと思っても、
次第に心はそのメニューを作る方に傾いていく。
そんなものである。