「日本一新運動」の原点―280
緊急集会 『ぶっ壊せ!アベ安保法制』
アベ安保法制をぶっ壊すため、8月26日(水)の憲政記念館緊急集会では、国会審議が忘れている「新ガイドラインと集団的自衛権の根本問題と違憲性」を、小沢一郎さんを招いて徹底的に議論
します。万障お繰り合わせの上、お一人でも多くのお仲間、ご家族をお誘いあわせの上、参加いただきますよう呼び掛けます。
日本一新の会代表・平野 貞夫
場 所 憲政記念館 東京都千代田区永田町1-1-1
日 時 8月26日 (水) 午後3時30分 開場
〃 4時00分 開会
〃 6時00分 終了
入場料 無 料 ※事前申し込みは不用です。
実行委員会
共同代表:二見 伸明(元公明党副委員長)
平野 貞夫(元自由党副幹事長)
統括事務局:日本一新の会事務局
参加団体(順不同)プロジェクト猪、主権者フォーラム
日本一新の会、オリーブ神奈川、オリーブ千葉
オールジャパン:平和と共生(AJPC)、草莽・埼玉塾
市民じゃ~なる、火の玉応援団
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日本一新の会・代表 平野 貞夫妙観
〇安全保障法制関連法案を廃案にする〝死角〟がありますよ! 15
(「集団的自衛権」の正体を見極めよ!)
1)「集団的自衛権」は国連憲章の理念の例外としてつくられた。
国連は「国家間の戦争を禁止するため」につくられたが、「集団的自衛権」は当初の憲章草案には入っていなかった。例外として入れられ、当時は多くの国際法学者から「国連設立の趣旨に反し、将来問題となる」との警鐘が発せられていた。
集団的自衛権の実態は昭和31年のソ連によるハンガリー政府支援という民主化の弾圧として行使されたのが最初である。よく知られているのはベトナム戦争といわれる米国などによる南ベトナム支援である。現在までに14件が国連に報告されている。第2次大戦以後の戦争の大半は、集団的自衛権の名で行われている。米ソ冷戦の代理戦争や旧植民地の利権争いなど憲章の精神の冒涜・乱用が指摘されている。
集団的自衛権は冷戦時代の鬼子といわれ21世紀のテロやゲリラなど、新しい国際情勢に役に立たないどころか、混乱を拡大させるものである。国連に新しい制度をつくるべく、日本は早急に努力すべきである。
2)憲法第9条は「集団的自衛権」を想定外としており、
解釈改憲は条理や法理上許されない。
昭和20年10月、日本の敗戦を待って国連憲章が発効する。同時期、新憲法の制定準備が始まる。連合国は国連の理想主義を日本国憲法に生かそうとする。マッカーサー総司令官は〝3原則〟を、昭和21年2月3日に提示する。それが憲法第9条2項の原形である。
「日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。日本が陸海空軍をもつことは、今後も許可されることなく、交戦権が日本軍にあたえられることもない」
日本丸腰論といえるものだが、マッカーサーのいう「世界を動かしつつある崇高な理想」に意味がある。この時期、国連安保理の5大国による軍事参謀委員会が開かれており、正規の国連軍の設立が協議されていた。マッカーサーは、西太平洋地域に国連軍が設置されることを知っており、日本の安全保障を担保させることを構想していた。
軍事参謀委員会の国連軍設置の協議は、奇しくもマッカーサーが3原則を提示した同じ2月3日から始まる。米ソ冷戦が始まるまでは、国連軍設置は真剣に協議されていた。昭和22年3月のトルーマン・ドクトリン発表ごろから不調となり、翌23年に入って協議は打ち切りとなる。
新憲法制定の準備は、マッカーサー3原則提示から本格化する。第90回議会で、昭和21年6月20日から10月9日にかけて審議され成立し11月3日に公布される。この時期、国連の理想
主義は世界中で評価されており、日本国憲法の審議から公布までの期間、国連安保理は世界政府を目指した国連軍の設置を真剣に協議していた。
憲法第9条は、国連軍が日本の安全保障を担保するとの前提で審議が行われた。9条2項の審議では、正当防衛としての自衛権の行使問題とか、国連に加盟したとき、国連軍に参加するためは9条改正が必要かどうか、熱心に議論されている。
歴史の厳しい現実は、米ソ冷戦が始まる昭和22年3月頃から始まる。日本国憲法が施行される同年5月には9条2項を支える国際情勢は激変し、国連軍を前提とする「国連安全保障」は形だけの物になる。残ったのは、国連の理念の例外といわれる「集団的自衛権」であた。これは日本国憲法にとって想定外というより、9条2項とは次元の違った問題といえるものだ。
当時の政府当局の発言にそれを証明するものがある。「集団的自衛権というものは、国際法上認められるかどうか、今日の学者間に非常に議論が多く、私どもはその条文の解釈に自信を持っていない」(昭和24年12月21日・衆議院外務委員会西村熊雄条約局長)
以上のことから9条2項の解釈を変更して集団的自衛権を行使できるようにすることは、条理や法理から不可能なことである。
3)国会で集団的自衛権がどのように論議されたか。
新憲法の施行で、帝国議会が国会となったのが昭和22年5月、集団的自衛権についての論議が国会で本格化したのは昭和29年の自衛隊法が成立してからである。それまでの政治事情を理解しておく必要がある。
昭和22年頃から米ソ冷戦が始まり同25年6月には朝鮮戦争が勃発する。この時、国連安保理で拒否権を持つソ連が欠席する中で国連軍が結成される。形式上、国連軍であっても実質は米ソの代理戦争であった。朝鮮戦争の戦下の中で、吉田自由党政権は対日講和条約や日米安保条約交渉に取り組んでいく。米国は日本の憲法改正による再軍備を強く要求してくる。
吉田首相は、1)日本の経済復興が完全ではなく、再軍備の負担に耐えない。2)今日の日本には軍国主義復活の危険がある。3)国民は憲法改正を選択しない。4)再軍備は近隣諸国が容認するようになってからだ。と拒否する。
それに対して米国は再軍備の代案を迫ってくる。厳しい交渉の中で日本は米軍の駐留を認める。当時の政府には国連軍の代替との発想があった。吉田政権は警察予備隊(昭和25年)、保安隊(昭和27年)を設立していく。そして講和独立後の昭和29年6月に「自衛隊法」を制定する。
憲法第9条をめぐる違憲論争が起こる。吉田首相は、「オタマジャクシ(自衛隊)はカエル(軍隊)の子ではない」とまで暴言を繰り返し、合憲論を主張する。同時に、米国の厳しい強要に、9条2項の首の皮一枚を残す考えを持っていた。それは「憲法上、国連憲章の集団的自衛権を行使しない」ことであった。
それを証明するものは自衛隊法が参議院で成立した翌日の衆議院外務委員会の会議録にある。昭和29年6月3日、穂積七郎委員(社)の質問に対し、吉田首相兼外相に代わって、下田武三条約局長による次の発言である。
「集団的自衛権、これは換言すれば共同防衛・・・・ということでして、自分の国が攻撃されていないのに、他の締結国が攻撃された場合にあたかも自分の国が攻撃されたと同様に見なして自衛の名において行動するということは、それぞれの・・・・共同防衛条約なり、特別の条約があって初めて条約上の権利として生まれてくるものです。
ところが、そういう特別な権利を生ますための条約を、日本の現憲法下で締結されるかということはできないことですから結局、憲法で認められた範囲と言うものは日本自身に対する直接の攻撃、あるいは急迫した攻撃の危険がない以上は、自衛権の名において発動し得ない、そう存じています」
この「下田見解」が、その後の日本政府の集団的自衛権不行使の原点である。この年の暮れ、吉田首相は長期政権を批判され、退陣に追い込まれるが衆議院解散に拘る。その理由は「戦前の軍事国家に回帰させる輩がいる」として、暗に岸信介氏を批判し側近を困らせた。「国民を信じましょう」と、側近に説得され退陣する。60年続いてきたこの国民的合意を、いま安倍自公政権が破壊しようとしているのだ。
昭和32年2月、岸信介氏は病気の石橋湛山首相に代わって政権に就く。同35年1月、新日米安保条約を締結するが、目標としていた片務性を双務性に改定することはできず、条約の範囲と連携を整備するに留まった。それでも野党は軍事同盟を強化させる違憲性があると追及した。いわゆる「60年安保闘争」である。
岸首相は「軍事同盟ではない」(2月3日、参議院本会議)、「集団的自衛権を行使することは、日本国憲法上できない」「新安保条約による日本の自衛権発動は個別的自衛権である」(2月10日、参議院本会議)と答弁した。
4)アベ・安保法制は、
国連憲章の集団的自衛権にあたらない「日米戦争協力法制」だ。
日本政府の「集団的自衛権」についての見解は下田見解や岸首相の答弁などを原点として、田中内閣や鈴木内閣で整備されたものである。総括すれば、1)条理と法理から解釈改憲できない。
2)日米安保条約の改定を必要とする。この二つの絶対条件が必要である。下田見解も岸首相の答弁も変更されていない。
昨年7月の閣議による解釈改憲、本年4月の新ガイドラインの違憲性、そして国会に提出された安保法制諸法案は、米軍とともに他国で自衛隊が戦闘に参加するためのものだ。
これらは国連憲章に抵触し日米安保条約に違反するものである。さらに集団的自衛権の問題をいまこのような形で論議すること自体が憲法違反以前の条理、法理、法治の基本に反するものである。
これらの安保法制の強行成立に荷担するものは、政治的犯罪に荷担することに等しいと断ぜざるを得ない。)
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