今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)
マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。




【魔法少女大系】



『カードキャプターさくら』の録画終了。(…1話くらい逃したかな?)『カードキャプターさくら』(1998年制作)は小学生の女の子・木之本桜が、封印が解かれ町中に散らばってしまった魔法のカード“クロウ・カード”を回収するために様々な事件を解決して行く物語。クロウカードには様々な魔力特性があり、さくらはカードを回収する度に次第に使える魔法が増えて行きます。当時の人気は絶大で、2ちゃんでタイトルを冠する板があるのはアニメでは『エヴァ』と『さくら』だけじゃないでしょうか。
僕はこの「カードキャプターさくら」は非常に好きな作品なんですよね。魔法少女ものの最高傑作候補…とさえ思っています。まあ、最高傑作候補は他にもいくつかあるのですけどね(汗)魔法少女の一つの完成形、あるいは再生の作品と言った方が『さくら』の評価としては適切かもしれません。

【『魔法の妖精ペルシャ』の“別れ”の描き方】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/513bad1e60731857f705bbd8719fa618

ここでも少し触れていますが『クリィミーマミ』(1983年制作)ではじまった「ぴえろ魔法少女シリーズ」は、少女の心の変化や成長を描いて非常に高い評価を得ている作品シリーズでもあるんですが、その変化を描き、ストーリー性を取り入れたが故に次第に魔法少女の結論を目指して突き進んでいった作品でもあります。
「魔法少女」の結論とは何か?っていうと……それは、最初の魔法少女である『サリー』(1966年制作)の頃から言及のあった事で、ただこの頃は、絶妙のバランス感覚と1話完結制で何か問題があってもその1話で締めて、次エピに引っ張らなかった物でもあります。……いや、一体何かというと“魔法”というものは確かに万能であらゆる問題を解決してくれるんだけど、それ故に“解決してはいけない問題”があるって事なんですよね。それこそ言ってしまえば全ての問題は魔法=チート(ずる)で解決してはいけない物…って事なんです。
※ これが男の子向けの場合はどうなるかというと、この件について特に問題は発生しなかったりします。男の子の“超能力”の多くは“悪”と戦うために振るわれる限定的な武力である事がほとんどで、一般人に遠慮無しに振るわれる事を最初から良しとしていない。いわば、この問題の結論は既に出ている状態なワケです。(ただし「争いを続ける限り、お前は争いから逃れる事ができない」みたいな事は言われるかもしれませんw)また『ドラえもん』のようなパターンは、先述した結論がモロに見えている形であり、かつ徹底して1話完結制が守られる事によってこの問題を一要素として封じ込めています。当然、連続ストーリーとして“のび太の成長物語”をすればこの結論(最終回)に向かって突き進んで行く事になります。

この問題は特に80年代に入ってからは女の子の「あんなこといいな、できたらいいな」から「夢を叶える」という、よりテーマ性、ドラマ性を高めたワードに切り替えられた事によって作品としての統一感や精度を高めていったと同時に、少しづつですが「魔法少女の結論」に向かって歩を進めてく事になります。それこそ『ミンキーモモ(1982)』も、その最終回は普通の女の子(赤ん坊)になって魔法なしで“夢の国”フェナリナーサを取り戻すであろうシーンで幕を閉じている。そういった潜在的にあったものが『マミ』→『ペルシャ』→と歩を進めて、その“とどめ”の作品となったのが『魔法のスター マジカルエミ』という事になってきます。

『魔法のスター マジカルエミ』(1985年制作)は、マジシャン志望の女の子・香月舞が、妖精の力を借りて天才マジシャン・マジカルエミに変身できる能力を身に付けるという物語。エミのマジックのタネはおおよそ魔法ですね。だから本気でタネも仕掛けもないwこの作品の基本的な構造自体は、ほとんど『クリィミーマミ』と同じものです。しかし違っている部分は、『クリィミーマミ』が望んでアイドルになったワケではなかったのに対し『マジカルエミ』は元からマジシャンとなって舞台に立つことを“夢”としている点です。それはそのまま、時限的に魔法が失われて“シンデレラの魔法”が解けてしまう…でもそれを自然に良しとして幕を閉じる『マミ』のエンディングと、“本当の夢”を叶えるために自ら望んで魔法を捨てる「エミ」のエンディングの違いとなって顕われます。



エミの所属していたマジカラット団が解散し、団員たちもそれぞれの道を歩み始める。エミの公演が終わった誰もいない舞台で、魔法が使えなくなった舞は一人マジックの練習をする。もう消えてしまった妖精のトポを思い出して涙をこらえる。失敗して掌から球を落とす。零れた球を拾いながら舞は泣く。将が迎えに来る。舞はいつか再び立とうと願うその舞台を見つめながら、今は扉を閉じる。………という、そのラストは本当に名シーンで『マジカルエミ』を魔法少女ものの最高傑作に上げる人が多いのも納得なんですよね。

しかし、それ故というか、魔法少女における“魔法”というものを総括してしまったから『マジカルエミ』は魔法少女ものの“とどめ”になった作品とも言えるワケです。なにしろ「魔法は要らない」と言ってしまった~単純に最終回の描きだけでなく、人物同士の絡みを主体に1話1話が描かれ魔法の居場所が舞台だけに限定されて行く流れも持った作品だった~ワケでwその最終回は魔法少女そのものの最終回とさえ言える。

「人は魔法ではなく自分の力で物事を解決して行かなくてはならない~夢は自分の力で叶えなくてはならない」…これを言ってしまうと、仮に一時的な白昼夢(?)として魔法が許容されるとしても、その一時性は今述べたように“許容”のものであるという事になってしまうんですよね。そのため…とは言いませんが『エミ』の後番組となった『パステルユーミ』で「ぴえろ魔法少女シリーズ」は(一旦の)幕を閉じます。『ユーミ』は『エミ』の後番の当然の(?)帰結として、本来の…ある意味では古典的な魔法少女に回帰する事が目指された作品だったのですが、既にこのシリーズの視聴者年齢は上がっており、さりとて回帰路線によって低年齢の子供が戻ってくるわけでもなかったようで、「作り手」も「受け手」も回帰=懐古的なものを観るのは難しい状態だった事が伺えます。

また、この後、90年代に入るまで有力な魔法少女は生まれず、『魔法使いサリー』や『ひみつのアッコちゃん』のリメイクという形で魔法少女が供給されて行きます。(もう一つ、この時期のリメイクとして意味が深い『海モモ』がありますが、別の機会としたいです)……リメイクものが流行っている頃なので単純に『エミ』の影響という事でもないと思いますが、しかし、リメイクという看板がなければ魔法少女の企画自体日の目を見ていないという事でもあります。いや、実は『魔女の宅急便』(1989年制作)があるんですけどねw…あれは魔法が完全に生活の一部として認められた世界ですしね。また、別に魔法を一切使わないアイドルものの『アイドル伝説えり子』(1989年制作)(シナリオベースは大映ドラマですが、玩具やビジュアル的なメソッドはかなり魔法少女ものを継承していた作品に思えます)なんかが出ている事は興味深いです。
90年代に入って、この流れを一変させる『美少女戦士セーラームー「ン』(1992年制作)が始まります。また正当(古典?)魔法少女である『マリーベル』や『姫ちゃんのリボン』、『エミ』の路線を継承する「ファンシーララ」なんて作品も入って来ます。ただ『マリーベル』と『ファンシーララ』は僕は未見なんですが、単発で次代に繋がる感じはせず、やはり『セーラームーン』の一人勝ちだったように思います。しかし、『セーラームーン』を魔法少女ものとカテゴライズする場合もあるでしょうが、本質的に『セーラームーン』は“美少女戦士もの”という新ジャンルの発明でした。“魔法少女もの”からより爆発的にファンを獲得できる別のジャンルに転生したんですよね。(…………え?『ラ・セーヌの星』!?いやいや~わかってまんがな~そこは(´・ω・`;)でも、またね)そういう意味もあって、“美少女戦士もの”についての話も、また別の機会としたいです。とまれ、90年代は男の子から女の子までジャンル横断感のあった『セーラームーン』が席巻していて、類似のものが多く制作されて行きました。実は『カードキャプターさくら』もその流れの中で出てきた作品とは言えます。



ふうう~。えらく遠回りしましたが、ここでようやく『さくら』の話に立ち返れます(汗)僕がこの『カードキャプターさくら』の評価が高いのは本質的には作品としての完成度の高さです。特にアニメなんですが、第一話の完成度の高さに愕然となりました。その後の話も1話1話の楽しさを保ちつつシリーズものとしてのシナリオもバランスよく描いて行っている。…非常におたくっぽいCLAMP先生のキャラ組みに賛否もあるかと思うんですがwさくらをはじめとしたキャラクターたちも非常に可愛く(男の子も)描けていたと思います。
また“美少女戦士もの”が席巻している時代の影響が『さくら』にも、いくつか見えるのですが、やはりそこは一線を画している。それは『さくら』には倒すべき敵=悪がおらず、クロウ・カードを集めるさくらの活躍は全て、木之本桜という女の子の(内面の)成長の物語として描かれている。正にそこが本来の“魔法少女”のテーマを踏襲しているワケです。

そして、僕が『さくら』に強く惹かれるのは、今まで述べていた「魔法少女の結末」に対する回答が込められているからです。非常にシンプルで力強い答えです。それは「魔法を使うのは楽しい!!」って事なんです。ドラマとしての完成度が高い魔法少女作品はいくつもあります。しかし、その完成度の高さ故というか…ともすると、魔法が要らない話に走り勝ちになる事もまた事実なんですね。そして、それは突き詰めると『エミ』の結末を向いている。『さくら』はその別の答えとして「魔法で何を為すか?」ではなくって、(そもそも)「魔法が使えたら楽しい!!」そこに立返り、その一点を中心に据えて物語を作っている。それが堪らなく好きだ。
魔法のカードたちには、それぞれカード的な人格があり、カードとさくらは友達/仲間のようなものとして描かれ、多くの仲間の助けを借りてさくらは事件を解決して行く。また、カードの特性は限られていて、置かれた状況に合わせて、どのカードを使うか知恵を絞らなくてはならない。それもまた「魔法を使う楽しさ」です。僕のお気に入りのカードは、やはり“ジャンプ”ですね。“フライ”があるのに“ジャンプ”というのが、さくららしいwあと“シールド”とかね。置いて他の人を守れる所とかいい。単に花を咲かせるだけの“フラワー”とか、複製と言いつつ魔法カードとしての人格が出ている“ミラー”なんかも好きですね。それらを少しずつ集めて、少しずつ出来る事を増やして行くのですから愛着も一入です。

そして、カードを全て自分の魔力で発動させる“さくらカード”として物語は終わります。さくらの魔法は、既にさくらの一部であり、ここに来るまでに助け支えてくれた全ての人たちに感謝するこの女の子が、魔法を失う事も手放すこともない(勿論、魔法の国とかに帰る事もない。正体がバレても問題ない)。それは一時の覚める夢として描かれた魔法少女の結末とは別の、再生の物語であり、もう一つの「完成」であったと思います。

※ 「魔法少女になる!」という物語は直後に始まるこれまた超傑作の「おじゃ魔女どれみ」でも取り入れられて行きます。「さくら」の影響というより、魔法少女に対する“答え”のシンクロニシティでしょうね。しかし、この作品もまたの機会にします。…今回、後回しにしたものが多い事からも分るように、まだまだ全然語り足りないぜ!!(`・ω・´)



コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


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コメント
 
 
 
おもしろい! (ペトロニウス)
2009-09-23 01:16:43
これは面白い。この系列、僕はほとんど意識的には見ていないのですが、ペルシャとかのころのアニメは、リアルタイムで見ているので、すべてつながりますー。なるほどー。しかし、、、ドラマ(=が訴求するエンド)ではなく、「過程」を楽しむってのは、、、まさに、、、という気がします。
 
 
 
Re:ペトロニウスさん (LD)
2009-09-23 22:15:35
僕はここらへんの流れを話すときに“臨界点”のような言い回しをするんですが「マジカルエミ」は“臨界点”じゃないんですよね。
やられてしまったら、実は魔法少女にはその結末が最初から見えていた事がわかってしまう…“消失点”というか予定された何かなんですよね。

「エミ」後の作品は「エミ」を無視する事を含めた、様々な回答を意味するものとなっていったのですが、その中で一番強力な答えは、新ジャンルを創世した「セーラームーン」だったと言えそうです。

 
 
 
Unknown (渡辺)
2009-09-27 20:01:38
 魔法少女モノを体系的にひも解いてゆく、というのはおもしろそうですね。この記事に影響されて私、今CCさくらを1話から通しで見ている最中ですw

>これが男の子向けの場合はどうなるかというと、この件について特に問題は発生しなかったりします。男の子の“超能力”の多くは“悪”と戦うために振るわれる限定的な武力である

 ここを読んでふと思ったのですが、『魔法少女リリカルなのは』シリーズは、魔法少女モノというよりむしろ、魔法少女モノのフォーマットを借りた少年漫画モノとして解釈すべきものなんですかね…?
 
 
 
どうでもいい追記 (渡辺)
2009-09-27 20:06:11
>タイトルを冠する板
 これに関しては、さくらスレ(大半がロリペドネタ)の乱立と、そのさくら信者による他板への領土拡大政策があまりにひどかったため強制隔離されたwという話も…。
 
 
 
Re:渡辺さん (LD)
2009-09-28 21:55:47
> ここを読んでふと思ったのですが、『魔法少女リリカルなのは』シリーズは、魔法少女モノというよりむしろ、魔法少女モノのフォーマットを借りた少年漫画モノとして解釈すべきものなんですかね…?

「なのは」はデザイン面では「さくら」の匂いがする作品だと思いますが、内容は「セーラームーン」から派生した“少女戦士もの”と捉えるのがよいように思います。
また“少女戦士もの”が魔法少女モノのフォーマットを借りた少年漫画モノという解釈は成り立つと思います。

…“少女戦士もの”と何気に言っていますが「ブラッグラグーン」や、最近最終回を迎えた「ファントム」なんかをこれにカテゴライズするつもりはないので、あるいは別の「言葉」を考えないといけないかもしれませんね。…ふむ(考)“少女ヒーローもの”…とか?(´・ω・`)

> さくらスレ(大半がロリペドネタ)の乱立と(ry

いんですよw(不名誉でも)人気は人気ですw
 
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