今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

木枯し紋次郎は西部劇の夢を見るか?

2009年08月02日 | ドラマ
【2009-05-27:荒野の用心棒】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/1a176cfefa9bbb5c23371b7e42aa9b17

ここらへんで、ちょっと話していますが、TANIZOKO(たにぞこ)という仲間内の上映会があって、今度「マカロニ・ウェスタン」の影響を受けた…時代劇?のようなものを集めて流そうとしています。僕の担当は「風雲(or 快傑)ライオン丸」と「木枯し紋次郎」かな?あと「荒野の用心棒」あたりなワケですが、この中の「木枯し紋次郎」について、当初は第10話「土煙に絵馬が舞う」を流そうとしていたのですが、このブログにも時々、コメントをくださるMODSTOONさんが、第3話「峠に哭いた甲州路」の方がよくない?(マカロニの影響を観るものとして)と言う話があがりまして……ちょっと、見比べてみようかな?と。まあ、多分、一番影響があるのは紋次郎のあのキャラクターと、三度笠の見せ方…そしてあのOPテーマあたりだとは思うんで、れいの「あっしには関わりのねえこって…」というセリフと、OPが流れればそれでいいんじゃないかという気もするんですけどねw



第3話「峠に哭いた甲州路」
冒頭で酔っぱらった侍をなぎ倒した紋次郎は、とある村のはずれで片腕の渡世人に「手を貸してくれないか?」と誘われる。片腕の渡世人源太はなぜか村への復讐心に燃えていた。誘いを断った紋次郎だが立ち寄ったその村で、片足の娘・お妙と知り合い、次第に村人達が怯える源太の復讐心の経緯を知って行く事になる。源太はかつてこの村の一員で、あまり普段の生活態度がよくなかったために、村の娘・お絹が何者かに殺された時に疑いをかけられ、村人に袋だたきにされて腕を失って無宿の渡世人となっていたのだった。そして渡世人として力を溜めた源太は、腕の立つヤクザ者を集めて村を襲った。
お妙を守るために紋次郎は長ドスを抜く。そして源太一味と戦い、全て切り伏せるが、時既に遅く村人のほとんどは死に絶えた後だった。そこで真相が分かる。かつて村の娘のお絹を殺したのは源太ではなかった。源太は濡れ衣を着せられていた。お絹を殺したのは、彼女と仲が良かった片足の娘・お妙だった。足が悪く村の外の世界に出る事を止められていたお妙は、(奉公で)外の世界へと行ってしまうお絹を強く恨み、崖から突き落としていたのだ。…最後に、紋次郎はお妙の死体を担いで、外の世界が見える峠に置いてあげるのですが、外の世界へ行きたいという願いが歪んで恨みに変わり、やがてそれが村を滅ぼしてしまう。そんな話ですね。

冒頭の侍との対峙する画がかなり“西部劇”ですし、全編を通す復讐というキーワードや、また不具者をてらいなく画面に盛り込んで行く“感覚”っていうんですかね?(説明、難しいですが…)ここらへんの空気がかなりマカロニな感じはしますね。



第10話「土煙に絵馬が舞う」
何者かの落石によって怪我を負った紋次郎が辿り着いた農村で、紋次郎が手荒い歓迎を受けて農家の柱に縛り上げられてしまう。そこには旦那を鉄砲水によって失い気を狂わせてしまった女・お花がいた。村は黒銀という悪党とその一味によって執拗に脅され、命の危険にさらされていた。銀造は寺社への寄進金100両を強奪した男で、金はこの村の地蔵の下に隠した、それが鉄砲水によって流されてしまったのだが、地蔵の流された距離を考えると村の誰かが金を見つけ何処かに隠したはずだと言うのである。
死の危険にさらされながらも、金について知った様子もない村人たちに痺れを切らした黒銀は、ついに村人達を殺して口を割らせる挙に打って出る。間一髪で縄を解いた紋次郎は、黒銀一味と戦うが、村人達はすでに殺された後であり、縛りつつも自分に食事を与えてくれた少年含めて、気狂いのお花以外は死んでしまった。息絶える寸前、村長はこう呟く「おめえが通りがかりさえしなけりゃ、黒銀だってこんなに慌てやしなかったんだ…。百両なんて金は、百姓には二度と手に入らねえ……金の在りかを知ってるのはオラだけだ…誰が渡すもんか…それをおめえが何もかもぶち壊しやがった……!」
お花だけが取り残された絵馬堂の絵馬から百両の小判が流れ落ちてくる。村長は命懸けで金を手に入れようとして村を犠牲にしたのだった。そして後には金の必要のないお花と、紋次郎だけが残った。紋次郎はお花を残して村を後にする。

ここらへんの一攫千金というか“黄金”への執着心っていうんでしょうか?あと常田富士男さん(「まんが日本昔話」の人)演じる黒銀一家の分かりやすい“悪人メイク”とかwそこらへんに、何かマカロニな雰囲気を感じたりするんですよね。

…というか影響云々以前にこの話、すごく好きなんですけどね。特にこのお金を独り占めしようとした村長さんが大好き!w勧善懲悪ものって事に限らず、ドラマというものの多くは弱き者、力無き者の味方で、また彼らも多くは力無きが故か清く正しく生きる様で描かれるのですが、この村長は弱き者、力無き者でも、非常~!にド汚く金を取りに行っている。そこにはとてつもなくみっともなく泥に塗れた、弱き者、力無き者の“戦い方”があるんですよね。
力の無い者の“戦い方”ってどういうものか?美しい物語だと「勇気を奮い起こして抵抗せよ!」ってけしかけるんでしょうけどね。相手を苛める事に覚悟もない小学生同士の話ならともかく、人を殺す事に躊躇がない悪党に対して、付け焼き刃の勇気が敵うわけがない事は自明なんですよね。じゃあ、どうするか?…戦うのならば自分にとって最も大きな武器で戦うしかないと思います。そして(この頃の)百姓にとって最大の武器というのは“耐える事”なんですよね。この村長さんは自分が金を独り占めするために「耐えてやり過ごす戦い」を挑んでいたんです。無論、黒銀の気分次第で切り捨てられる戦い方です。でも、僕は、弱いから、力が無いからこそ手に入れる事ができた自分の“強さ”に賭けた戦い方だと思う。その場限りの「勇気」なんてものより、よっぽど「覚悟」のある強かな戦い方だったと思う。…たとえそれが大金を独り占めしよう仲間などどうなってもいいという、ド汚い戦い方だったとしてもw、僕はそのド汚さが好きなんですよねw……返ってそういう戦いに対する“執念”というか、汚くても戦うという感覚こそがマカロニ・ウェスタンのスピリッツじゃないか?という気もしています。

「木枯し紋次郎」は、大体こんな暗い話ばっかりです(汗)w……よくヒットしたよなあああ?wあ、それと検索かけて「紋次郎」の事について述べているなかなか凄いサイトを見つけました。

【木枯し紋次郎の風景・・・上州長脇差のダンディズム】
http://blogs.yahoo.co.jp/monnjirounoaneomitu

【木枯し紋次郎・連載秘話①】
http://blogs.yahoo.co.jp/monnjirounoaneomitu/54171804.html

ここで語られているように、市川監督や笹沢左保先生がマカロニ・ウェスタンにインスパイアされたもので「紋次郎」を作っていた事は、まあ、確定事項としていいでしょうね。しかし、同時に僕はそこに違和感…というほどでもないのですが、少し引っかかる所もあります。あんまり明確に書いて突っ込まれても困る領域なんで、アレですが……(汗)たとえば、ここで笹沢先生はマカロニ・ウェスタンへの影響と同時に本格西部劇の「シェーン」なんかを好まれた事が書かれています。……で、紋次郎ってかなりシェーンな感じのキャラクターだと思うんですよね。トラブルに対する最初のスルーっぷりや、それでも最後は関わっちゃうあたりの流れとかw…まあ、だから何?という話を組んでいるワケでもないので、もう少しデータが溜まってきたら何か述べたりするかもしれません。


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
長い楊枝はシガーの香 (MODSTOON)
2009-08-02 09:39:21
お互いに無い要素が相手には在る二本だと考えています
ですから、実の所は両作を続けて観るのが一番良いと思うのです
時間的にはその余裕のあるプログラムだと思うのですが
LDさんが両方の素材を用意して下さるとの事でしたので
そこは当日提案しても良いかなと考えていました

マカロニの必要要件については未だによく判らないのですが
ひとつには「旅(彷徨)」の要素も有るのではないかと考えました
それは、しばしば彼らが不意の希人であることにも繋がるとも思うのです
(それは同じくマカロニ的と評される必殺シリーズではあまり目立たない)

そうしたコントラストで『峠に哭いた甲州路』は良く出来てはいると思うのです
脚の不自由なお妙に対置されデティル豊に語られる股旅行の紋次郎
このエピソードに於いて私が特に注目したのはその部分に集約といって差し支えありません

‥そこに強いて加えるなら──────── “酒場のギター”ですか、一瞬でウェスタン

そして一方、世界観に注目するなら『土煙に絵馬が舞う』は良いとも思います
クライマックスとそこへ至る描写、解かれた謎を取り巻く状況にも強くマカロニな印象を覚えます
難点を挙げるなら囚われの身となる為、紋次郎があまりアクティヴには見えない部分くらいでしょう

つまるところ、他ジャンル・時代劇へのマカロニの影響(余波と言うべきか?)を分析対象とする場合
“人の関係性”に重きを置くなら第3話、“構築された世界”に置くなら第10話なのではないかと考える次第です

 ちなみにリンク先のコレ↓ 一度、是非、観てみたいものですね
http://blogs.yahoo.co.jp/monnjirounoaneomitu/7170276.html
返信する
Unknown (ロヒキア)
2009-08-02 11:31:43
> それは同じくマカロニ的と評される必殺シリーズではあまり目立たない

初期必殺で「旅モノ」エピソード・ヴァリエーションの一環だったからね。シリーズ中期の非・主水シリーズの方で狂い咲いた感があります。

でも、旅モノはニューシネマのパターンの一つである「ロードムービー」の影響もあるので(OPはウエスタンよりもそちらだと思うし)、市川監督の『股旅』辺りを見ると、『木枯らし紋次郎』がマカロニと同時にそういったものにインスパイヤされた事が明確になると思うのです。

その辺りはいつか話した傷天などの“青春の彷徨い”をテーマにしたいとは思うのですが(w
返信する
花山大吉と紋次郎の間には (MODSTOON)
2009-08-02 19:54:33
>> ロヒキアさん

 「必殺」の“旅”は終わりに重要だとは思います
旅については伝統的な時代劇の一ジャンルでも在ります
ですので『木枯し紋次郎』の場合は一人旅という処に意味が出るのだと思います
それは他のロードムーヴィーや市川監督の『股旅(1973)』と比べても面白い部分ですね
返信する
Unknown (LD)
2009-08-04 00:53:12
Re:MODSTOONさん

両作品の共通項はどちらも“村が全滅”する事ですね。……「紋次郎」ってこんな話ばっかや……orz

僕もマカロニの必要要件というのは分からないんですが、観え方、見せ方としては3話の方が分かりやすいんじゃないかと思います。冒頭の対決シーンもそうですが、その次の酒場のギターも、なんかもうモロですねw
10話の方は、黒銀も村長も結局は悪党で、そういう悪党相咬む末の両倒れな所が、僕のマカロニ感にフィットするんですよね。ロヒキアさんにはちょっと窘められた部分ではあるんですけど…。

Re:ロヒキアさん
旅する事自体に意味を求める“ロードムービー”と、余所者が街にやってくる“流れ者もの”(?)とは、またカメラの位置が違う気がしますね。マカロニは後者の感があります。
ただ1969年作品の「イージーライダー」など含め、ここらへんは色んなものが入ってくるだろうなあ、とは思うんですけどね。
返信する

コメントを投稿