out of curiosity

blog ってどんなものだろ?
そんな好奇心から衝動的に作りました。

大地震が来た。。。

2011年03月11日 22時28分12秒 | weblog
 本日午後2時半過ぎごろ。 地震が東京を襲いまいした。 いつも通り授業準備も終わり、さて夕食の支度をしてクラス開始を待とう、という頃にガタガタガタ。。。と。

 普段の地震のように揺れがすぐに収まるだろう、とジッとしていたのですが揺れは収まるどころか長く強く続いてゆく。 ガタガタガタガタ、と家じゅうのあちこちから音がして、そのうちバタン、ガタン、ガシャンと何かが倒れたり落ちたりする音がしてきて、気持ちがちょっと怖いから心配、恐怖に変わっていって「お願いだからもう止まってーっ!」と思ってもなかなか止まらず、「何かしなくちゃ」「いや、今は何もしないで柱の多い所でジッとしていよう」とか、結局どうすることもできず、「これ以上大きくなったらどうする?」とパニくっているうちに揺れがいったん収まった。

 とりあえず食器棚やタンスが倒れることもなくホッとしていると再びカタカタカタカタ。。。と地震が。 その後も何度も余震が来て「これは普通の地震じゃない」とようやく思い、テレビをつけると東北地方が震源地でこれから津波が来る、と。 今までのケースでは津波が来ると言っても大したことにならなかった場合が多かったので、「まさか」と思っていたのだが、数分後には信じられない光景がテレビ画面に映し出される。

 なんとなく呆然としていながら「もうすぐ授業だ。」と思い、「いや。授業なんかしてていいの? いや、うちに被害はないし。 辺りを見回しても普通だし。 これくらいで授業休んじゃダメでしょ。 いや、違うでしょ。」などと試行錯誤していると更に余震が。 「あ。 この地震はまだまだ揺れる可能性があるんだ。 今生徒なんか呼んでる場合じゃない。 授業中にもっと大きな地震が来たら私なにもできない。」ということがようやくわかって、すぐに生徒の保護者に休みの連絡を入れる。

 ところが、電話が通じない。 再びパニくる。 メールが送信出来ることがわかりすべての保護者にメールで連絡できたのは幸いだった。 けれど、このメールもいつものようにすぐに送られていたわけではなかった。 授業前に連絡がついたのは幸いだったけれど。

 その後何度も余震が来る中、自分の娘が本日大学受験で名古屋から帰ってくる予定だったことを思い出す。 どうする? とりあえずメールが送れることは分かっていたので送ってみるが。。。先ほどのようにサクサク送れない。 
 時間をかけて「今日東京に帰ってくるのは無理。電車がすべて止まっている。残りの試験を受け終えるまで名古屋にいなさい。」とメールを送る。 時間がかかって返信された娘のメールには「携帯の電源がもうすぐ切れそう。 お金もない。」
 そりゃ、そうだ。 すこし余分には渡してあったが、一泊で帰ってくるだけのお金しか渡していないのだから。 

 困った。 こういう時、本当に何もできないんだ、と実感する。 昨年一浪してようやくチャンスをつかみかけている娘なのでなんとかしてあげたいのに。 知人を頼って電話すると(この電話が通じたのがほんとうに奇跡)お金も貸してくれるし、今夜の宿も一緒に探してくれるとのこと。 助かった。。。
 結局のところ名古屋のビジネスホテルはその時間には(午後4時半ごろ)どこも満室になっており、娘はその知人宅にお世話になることになった。 本当にありがたい。 ありがとう。 ありがとう。

 テレビでは朝仕事に出かけ、すべての電車が止まったために家に帰れない人々の姿を映していた。 すべての電車が止まるということはこういうことなんだな、と思う。 みんな帰れないんだ。 この寒い夜の駅前で信じられないくらい多くの人が立ち往生している。 家に連絡しようとしても電話も通じない、メールも通じない。 夜に向かうにつれメールもどんどんつながりにくくなり、家族への連絡はiモード災害用伝言板などを使うように、と言っているが実際iモードもつながり難くなっている。 携帯電話間は時折つながるようだった。 それから、公衆電話からの電話も通じているようだった。

 今は娘のこともうちのことも授業のことも何事もなく対処できたので一段落しているが、テレビに写る各地で起きた被害や今も引き続き影響を受けている人々のことを考えると胸が痛い。 とんでもなく大変なことになっている。 なんとかこれ以上被害や被害者の出ないことを祈るばかりです。