K.V. ウォルフレン 『民は愚かに保て』

2020-04-29 21:32:47 | 政治学

このウォルフレン氏は私の敬愛する著作家で、新刊が出るたびに必ず書店で予約して買って、読んでいたものです。

しかし、2015年白井聡氏との対談集を最後に、作品を出していないのが悲しいところです。

その後、ネットのブックストアから、ウォルフレン氏の新刊が出る予告メールをいただき、早速予約しましたが、その後発行がキャンセルになり、そのまま新刊が出ないままなのです。

そうでしょうね。

日本の政府のトップシークレットにかかわる部分についてウォルフレン氏は、さんざん書いてきたのですから、やはり政府の高官か誰かが、発行に圧力をかけたのでしょう。

しかし、それまでの発行された本を読めば、言わんとすることは残るわけですし、その批判部分について今も残存しているか吟味して、残存しているならどうすべきかを、一般市民が考え行動していかないといけないでしょう。

同じく政府のトップシークレットにかかわる部分についていろいろ批判してきたリチャード.コシミズ氏も本の原稿を書いて、それを講談社にもっていってこれを本にするように依頼したところ、「これはいい本です。しかしこの内容の本を出したらうちは政府からたたかれるし出版社としての生命を絶たれる可能性があるからダメだ。」と言われたエピソードがあるようです。

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リチャード.コシミズ

 

やはり言論の自由というのは表向きにはあるけれども、実際厳密には自由ではないようですし、政府の批判をする機関は出版社であろうとつぶされるのが現実のようです。

さてこの『民は愚かに保て』という題の本ですが、これは日本の政府の本音を表す言葉のようですね。

ニュースや新聞、雑誌をよむと、スキャンダルが起きたときにその舞台に上がった政治家なりをたたくことで終始しているということは、これまでにも氏の本やその他の本で明らかです。

これまでウォルフレン氏が継続して貫いてきたのは、官僚批判です。

リクルートや佐川事件において、政治家のスキャンダルが取り上げられていたのですが、政治家に大金を注ぎこむような状況を作り出したのは官僚である、ということの批判で始まっているのです。

これは官僚が無能である、ということを言わんとしているのではないのです。

日本の官僚は優秀であるとしているのです。

その仕事にかける懇親的なアティチュードには目を見張るものがあるとしているのです。

しかし、ただこれまでやってきたことを踏襲するだけで、生起した問題点についてはおざなりにして、それを良き方向へ舵取りしていく創造力が欠如しているということで批判をしているのです。

そして真の意味での総理もこの国にはいないとしているのです。

これは目の覚める、驚きでしたね私は。

権力の中枢がないのだから広く一般に受け入れられた国家と言葉通りにこの国が機能することは不可能であるとしているのです。

政治的指導力の欠如と権力中枢の不在が軍部による独裁を招いたとしているのです。

これは、いろんな国の歴史や政治制度をものすごく深く比較研究してきたウォルフレン氏なればこそ透徹した見方であるといえますね。

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  K.V ウォルフレン

 

軍部にストップかけられるグループが存在できる政治のメカニズムが皆無であったということですね。

日本は、権力集団の集合体であるとしているのです。

より強力な省庁は戦前、戦中に軍部が手にしていた権力にほぼ匹敵する自由裁量権を持っているということです。

法律制定も意のままにできるし、自分たちのルールを強要できるのです。

それのみか、政治家の演説は外務省のワープロで打たれているのだそうです。

また、大企業や業界団体、学界代表は官僚を弁護するのが日課になっているのだそうです。

ここまで探り当てた氏には感服せざるを得なかったですね。

実際に現場に赴いて、こういった探り出した事実の積み重ねが、やはり日本の官僚批判に結び付き、そして氏に研究の対象になったのでしょう。

その研究の結果、世界に冠たるジャーナリストになったのでしょうね。

その抉り出しの適格さには、やはりさすがですね。

国の運命を左右する重大な事態においても同様でしょう。

重大な決断を下した側と大衆の間のコミュニケーションが、日本ではかけているか、皆無であるとしているのですね。

信頼が全く欠けているのです。

それでは、PKOは国としての決定は下されていないことになるのですね。

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官僚は、日常の行政事務的決定からあまりにかけ離れていた政策の策定やその実行という仕事に、対処できる能力がないというのですね。

大蔵省が下した情け無用の経済拡大計画さえあれば日本の将来に不安なしという政策の犠牲に日本人はなっているというのも目の覚める視覚ですね。

これを変更して、戦後経済に移行すれば日本にバブルは起きなかったという主張は、かの有名な『人間を幸福にしない日本というシステム』でさんざん書かれていますね。

こういった権力の側の、研究を読んでいくと、次第に官僚の明確な業務が明らかになってきますね。

それが知らされていないのは、やはり権力の側に意図があってのことであるのかなあといぶかしげになってきますね。

やはり表題を『民は愚かに保て』というのが権力の側の意図なのでしょうか?

その遺産は明治期にまでさかのぼり、それは山県の遺産として、『人間を幸福にしない日本というシステム』その他いろんな本で論じられていますね。

議会制民主主義を嫌った山県有朋がこの制度にして、それが今も継続しているということですね。

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   山県有朋

 

その内容については、『人間を幸福にしない日本というシステム』を読めばいいのですが、これは廃刊になってしまっているので、興味ある人は続編の『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』という本を読むことをおすすめしますね。

※参考ページ

     ↓

『いまだ人間を幸福にしない日本というシステム』

 

その民主主義に反するのは官僚だけでなく、新聞検察も批判の的に挙げているのです。

特定の政治家をえらびだして、政治生命を絶ったり傷つけたりしているのです。

それは恣意的であり誠意にかけるのです。

日本の政治家は多額の政治資金を集めなければ政治家としての大義をなすのは不可能です。

資金の主要源は企業であり、企業は官僚の独断の許認可権におびえるがゆえに、政治家に頼んでとりなしと保護を求めるのだそうです。

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また選挙で選ばれた政治家からの政治的監視が権力に効いていないのです。 非公式な関係と取引は、日本のすべての政治経済制度に特異な性格を付与しているのです。

構造的な保護主義を温存させ続けているのです。

官僚にスキャンダルを使って野心的な政治家を失脚させるのです。

それは新聞や検察だけではないのですね。

これだけ例をあげられているのをみれば、非常に整合性があり、ウォルフレン氏の分析力に感服せざるを得ないですね。

かねてから小沢一郎に称賛の辞を送っていたウォルフレン氏ですが、その小沢氏のほか、細川護熙、羽田孜も称賛し、この3人が日本の官僚たちの権力の上位に政治からの支配力を確立することに成功したならばそれはヘラクレスの功績にも匹敵する大事業を成し遂げたことになるという賛辞を送っているのです。

このような状態になるのが望ましいと思っている人が多く出て、そのようになるように行動する人が多く出れば出るほどいいことは言うまでもないです。

その視点に共感できた人はこの本を読んでもらいたいです。

●この本は以下からどうぞ!

  ↓

民は愚かに保て―日本/官僚、大新聞の本音

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