佐伯啓思 『反.幸福論』-その弐

2015-11-14 16:01:54 | 現代社会

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佐伯啓思氏『反.幸福論』は他のページで書きましたが、新書であるにもかかわらず、1つのページでは紹介し、あるいは要点をまとめることができないほどの有用な書籍なので、今回もまたこの本を紹介したいです。

この本の他の部分については以下のページで書いたので参考にして下さいませ。

http://hair-up3times.seesaa.net/article/428518819.html?1447480927


佐伯氏は現代社会、現代文明について常に警鐘を鳴らしているのです。

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佐伯啓思

これはなにも、現代社会、現代文明を批判することに時間を費やしているクレーマーではなく、それらの内容について深く吟味し、そこに宿る問題点を浮き彫りにして提示し、読者に考えさせるのです。

こういった姿勢はいつの時代でも大事だと思います。

やはりどんな事象にも、良い点も当然ありますが、問題点は必ず存在するのですから。

この本でも以下のような論点を書いています。

街は、24時間ギラギラと光を発し、超高級品から超低価格品までありとあらゆる品物が手に入り、世界中のオーケストラや絵画がやってくる。

こうしたもの、金、人の巨大な集積地、人間の可能性と享楽の極限化、それが巨大都市としての「東京」だということです。

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しかし、それを自明のものとする姿勢は大いに疑わなくてはならない、ということを佐伯氏は言っていますが、私も大いに賛成です。

70年代のオイルショック時に、節電で夜11時くらいには街中が真っ暗になった。

けれども、それでも何ら支障がなく生活できたといいます。

私は、この年に生まれていなかったので知りませんが(笑)。

しかし現代人は、3,11以降の節電時にパニック状態になった。

このことから鑑みるに、幸せとか、充実というものは何なのかな、ということを考えざるを得ません。

どうすれば、そういうものを得れるか、ということですね。

物が無い状態から、自力でお金を稼いで得る、そのプロセスを得ることによって、人は幸福や生きがいを得る事ができるのではないでしょうか?

私はそう思っています。

物心ついた時から、なんでも不自由なく物やお金をあげてしまう家庭は考え物ですし、そんな教育は問題です。

かといって何にもあげないのも考え物ですが(笑)。

事は、忍耐力も同様です。

物心ついた時から、寒いときは暖房を、暑いときはクーラーをつける、というのは問題なのです。

それが当たり前になると、人は我慢する力がなくなってしまいますからね。

寒い暑いということは、本来「我慢する」ものなのです。

しかし、エアコンが壊れてしまい、その供給ができなくなると、それは「人災」になってしまう。

本来それは我慢すべきもの、ということですから、人災でもなんでもなく、その「ない」状態が自然なのです。

普通なのです。

このように文明の利器が当たりまえになると、幸福を奪ってしまうことになる一因になってしまうということを心した方がいでしょう!

こういったことから鑑みるに、人間というのは、ない状態からある状態になることによって、その瞬間に幸福感を得ることができるのです。

ですから、初めにエアコンがある状態から生活をさせてしまうと、それがあるのが当たり前になってその状態をありがたいと思わなかくなってしまう。

ならば、その状態をありがたいと思わせるには、ない状態を作ってあげる。

すると、暑い寒い状態が襲ってくる。

しかし、そこでエアコンがある状態になると、そのありがたさが身に染みてわかるようになる。

こういうプロセスを経ることが非常に大事なんではないか?と思われて仕方ないのです。

ですから、小さな子供には、エアコンなど与えずに、自然のままの状態にさせる。

そして暑い寒いという状態を体感させる。

もちろん親御さんも見本として、その暑い寒いを体感しなければなりませんが…。

そこで、子供が高校生になった時に、アルバイトをさせて、そこで初めてエアコンを買い設置する。

こうやって初めて、そのありがたさがわかるのではないでしょうか?

初めから、なんでもかんでも与えてしまうのは教育上考え物です。

何でもかでもあげてしまうと、ハングリー精神が萎えてしまうのです。

昨今の需要不足はこんなところにも原因があるのです。

幼少の頃からなんでも欲しいものは買ってもらえた。

すると、その子供は大きくなって、欲しいものがなくなってしまう。

探しに探してものを買いたい、という感情がなくなってしまう。

すると、どうしても欲しいものが国全体で減少してしまう…これでは需要不足になてしまうのは当然ですね。

こういった自明のものを疑う…こういう姿勢は大事ですね。

ことは、原発なども同様です。

3,11の東日本大震災において、明らかになったのは、人間の生み出した科学の限界でしょう。

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人は、「理性」によって自然を支配し、この世をより良いものに作りかえることができる、としていました。

ひいては、より良い世界とは、人間の幸福の増進する世界で、人はこの世を最善のものにする義務があるとしていました。

西欧の科学や技術への深い信頼と執着はキリスト教的信条を背景にしていたのだそうです。

しかし、現代は、自然が内蔵しているものの発現を手助けする(=テクネー)のではなく、自然に対し、それを支配しそれに挑発したのです。 自然と機械的なプロセスへと組み立て、有用性や効率性へ送り出したのです。

そして産業化によって人は物的な富の蓄積を幸福だとみなし、技術によっていくらでも富を増進できる、という技術信仰を生み出したのです。

しかし、3,11の後に明らかになったのは、自然を支配もできないということです。

本来の意味での、自然の持つ途方もない力に思いをいたすことしかできなかったのです。

このように、佐伯氏にはいろんな引き出しが脳内にあるために、事象1つ起こった時に、このようにいろんなコンテンツが次から次に提示されるので、しかもその1つ1つが、非常に奥深く、読み手が集中せざるを得ないようなことを書いているのでついつい読み進めてしまうのです。

しかも、過去の事象についての個人的な経験談や、当時の雑誌等でしか得れない文や評論家のコメント等を大事に保管して、それを引き合いに出しているので、非常に興味がそそられて読み進めてしまうのです。

非常にマメに情報を収集しているのです。

社会科学全般を網羅している学者ですが、1つの専門に拘泥せず、いろんな領域のエキスパートでもあります。

知識人としてあるべき姿を体現しています。

この本を読んで、「古典とは何か?」と考えてしまった。

それは、だいたい以下のようなものを指すのだろうと思う。

それは、いつの後世になっても、読んだ人が為になる、人生の指針になる書物の事。

そんなふうに捉えています。

この『反幸福論』2010年から2011年『新潮45』に連載のために書かれたものですから、このようなものはいずれ廃刊になる運命にあるでしょうが、私はいつまでも読み返したい、そんな思いに駆られました。

私にとっての「古典」なのです。

やはり人間にとっては「古典」は大事です。

佐伯啓思氏にとってはまさにニーチェこそが、「古典」なのでしょう。

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ニーチェ

この書物でも、他の自身の書物でも何回もニーチェを引用しています。

それは、ニーチェの言が読んだ人に感銘を与えて、頂門の一針になるからでしょう。

今回の本のテーマはまさにそうなのです。

学者に課された使命というのは、起こる事象について賛成をするだけでも、否定をすることでもありません。

その生起した事象について、深層を深く掘り起し、分析した上で読んだ人がハッと驚くようなこれまでに抱いていた考えを根底から変えてしまうような論を出すことだと思います。

その資質が佐伯氏には存分にあるので、疲れのせいで読む気がなくとも、佐伯氏の本を読んでいると、ついつい読み進めてしまうのです!

しかし、過激さはありません。

私が尊崇するもう1人の著作家である森永卓郎氏は、著作の中で「○○は▲を即行退陣すべき!」という意見をあらわに書きますが、佐伯氏はそういうことは書きません。

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森永卓郎

しかし事の深層を深く分析したうえで論を展開しているので、おのずと当為はわかってくるのです。

わからざるを得ないのです。

しかし、社会科学全般について網羅している学者である佐伯啓思氏ですが、それだけの大きい範囲を網羅しているのなら、「反官僚的」になるのが必然だと思うのですが、そうではないです。

そういった「反官僚的」な著作家として、森永卓郎、植草一秀、ベンジャミンフルフォード、カレルヴァンウォルフレンなどがあげれます。 佐伯氏は、こういった著作家の本を読んでいるとは思うが、そうにはなっていません。

それは、佐伯氏が得てきた膨大な情報が、「反官僚的」には傾いてはいないからだと思います。

ですが、自分的には、やはり「反官僚的」にならざるを得ないです。

佐伯氏は、私にとって必ず新刊本を買うと決めている数少ない著作家ですが、だからといって佐伯氏に対して無批判にはなりえません。

そうなったら、やはり「宗教」になってしまいます。

宗教にハマってしまうと、どうしても人というのは、その教団のすることには無批判になってしまうんですね。

創価学会は、「平和」を信奉する宗教団体であるにも関わらず、先日の集団的自衛権をめぐる法案にイエスをしました。

平和の団体なのに…おかしいですね!(笑)

こうならないように、いろんな情報を摂取して自分の頭で考えなくてはいけないのです。

やはり尊敬する著作家でも無批判にならずに、吟味をしていかないといけないのです。

佐伯氏は、3,11以降の原発事故とその後の世論の動向について、「太陽光への急な転換はできない」としています。

そして、「フランスは電力の供給の80%を原発に依存している」とも書いています。

そして、「火力への逆転は原油依存を更に強める」としています。

佐伯氏は、今の時点では原発に反対ではなく「安定的、安価な資源エネルギーで原発に変わるものなし」ということで、とりあえず原発寄りの姿勢を貫いています。

しかし、それには私は反対します。

いずれも、やはり原発反対のほうへ導いていかなくてはならない、と私は思います。

やはり国民主権ですから、その意見を重要意見として汲まなくてはいけないというのと、日本は地震大国であり、今回の3,11のような予期せぬ災難が訪れるのも同様に、いつ大地震が起きて、それに次いであの原発事故のような災難がおこるかもわからないのに、そのまま放置していてはいけない、と思うからですね。

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やはり社会にある問題点をよきものに変えていかなくてはいけない、という基本モラルが私の中にあるからですね。

その要因になった本は以下の本です!

『北欧のエネルギーデモクラシー』

このように、いくら尊敬する人間でも、やはり全部が全部賛成とはいかないのです。

大部分については賛成ではあるけれども、反対の部分があって当然…それが自然であると思います。

やはり完璧な人間などいませんから、いろんな事象について調べ、吟味していかなくてはいけないのです。

そのためには本を読むのは不可欠です。

いろんな本を読みましょう。

1つの、あるいは少数の著作家だけでなくいろんな著作家の本をです!

そして、自分の「哲学」を作り上げるのが大事なのです。

その際に参考になる本としてこの本を紹介したいです。

反・幸福論 (新潮新書)

 

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反・幸福論 (新潮新書)


★その他、佐伯啓思氏の本について紹介したページは以下!

『反.幸福論』

『経済学の犯罪』

『西田幾多郎』

『従属国家論』

『科学技術と知の精神文化』

『正義の偽装』

『貨幣と欲望』

 

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