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福田歓一氏は、私が大学時代に読んで感銘を受けた政治学者の一人です。
決して気取った抽象的な言葉を使わず、読み手にわかりやすく直截的な文を書く人なので、感動しました。
この本もその例外ではありません。
そして この本は、文系理系とわず大学生に読んでほしいと思った本でした。
この本を読まずして大学生活を終わりにしてほしくないなと思いました。
確かに学問とは、大学生の全部が全部に向いているわけではありませんし、大学生の全部が全部講義を主体的に受けなくてはいけない、などというのは幻想にすぎません。
でも、向いていないかどうかは、まずこの本を読んでから断定してほしいな、と思った次第です。
そもそも、大学で学ぶ学問というものは何のために存在するのか、それを確かめたいという衝動に駆られたのも、私が大学進学を決意した理由の1つです。
そしていろいろ講義に出て、出てきた結論は、「社会をよくするため」ということがわかりました。
そこで学んだことを、社会において実行していくことは更に大事であるということもわかりました。
ことは大学だけでなく、本等も主体的に学んで、知性を磨いていくことは必要であろうと思います。
一般市民にも知性を磨く必要はあるのです。
しかし、その知性ですが、ショーペンハウアーは、 「知性は実は薄いヴェールにすぎない。世界を決定するのは、結局盲目の力にすぎない。人間の知性にとってできることは、恐ろしい盲目の力をみて、あきらめに達することにすぎない」ということを言ったとこの本では書かれています。
これは悟りによって解脱する仏教の涅槃の考えに近い、ということで、ショーペンハウアーは「非合理主義の哲学者」「悲観主義の哲学者」のレッテルを貼られるのです。
ショーペンハウアー
とくにマルクス主義者から。
ハンガリーのルカーチは、『理性の破壊』において、 「ショーペンハウアーは帝国主義のはしりである。」とまで書かれるのです。
でもショーペンハウアーの言葉は、核心のついている言葉ではあると思います。
世の中を良くするための学問であるにも関わらず、ほとんどの学生は講義に出ずに遊んでいる。
学年末の試験時だけ勉強して、試験終了と同時にその知識は雲散霧消してしまう…そんな場面を私は大学でみてきて非常に残念に思いましたからね。
しかし、いろいろ学ぶうちに、やはり文字嫌いの人は多くいるもので、だからと言ってその人たちは、自分にはないものを多く持っているし、そのために自分がこうして生活していけるのですから、一様にそうした文字嫌いの人たちを卑下してはならないことを社会生活を通じてわかりました。
でもそういった文字嫌いな人たちも、できる限り社会をよくする努力、問題点を見つけてそれをよき方向へもっていくための行動はしなくてはいけません。
しかし、ショーペンハウアーは「人間の情念を理性によって統御することに」人間の生き方の根本をみようとしたのです。 これがまさに学問の力なのです!
だからこそ、本をたくさん読まなくてはいけないのです。
講義に出なくてはいけないのです。
文字の力で自分の行動を律するのです。
文字の力で社会を動かすのです。
確かに知識欲だけが人間の歴史を動かしてきたわけではありません。
本能や衝動も見逃せませんし、それらによって文学や芸術が創られたことも否定できません。
食欲、金銭欲といったものも社会を作り上げるうえで大事なことも見逃せません。
しかし、食欲、金銭欲、色欲それだけで放置していっては混沌としたカオスに変貌してしまうのです。
であるからして、知識欲をもって、それを活かしていかなくてはいけないのです。
自己犠牲心、隣人愛、こういった心は文字の力で醸成することができるは疑いもないでしょう?
宗教改革も知識欲が社会のコースを変えたのです。
その知識欲に携わる人間(学者、政治運動家など)は、「そこに働きかけようという人間について、その具体的なありかたをつかみ取るだけの練達した目を持っていて、その落ち着くところを示してあげる。その能力を持っていることである」と福田氏は書いています。
これはなにも社会変革だけではありませんね?
あらゆるスポーツや技芸、そして普通の仕事においても知識欲をどんどん高めて、後進の人間にとって模範となるだけの見識をもっていかなくてはいけません。
その際、知性の誤った使用法や、どういう知識を身に着けていかなくてはならないか、どういう知識のあり方がいいかが詳しく書いてあります。
それについては本書に詳しく書いてあります。
福田氏は、「精神的に大人になるとは、何よりも自分の事だけではなしに、他人のことがわかる自分にとって慣れ親しんだものだけではなしに、異質のものが理解できるという成熟した心性、メンタリティを持つことである」と言います。
良き社会を創るためには、やはりこういった精神が必要なのはいうまでもありません。
この人は、政治学が専門ですが、いろんな領域について成熟していて、その広大無辺さに感動させられました。
論文を書くに際し、「専門」が中心なのではなく、「問題」が中心なのです。
こういった姿勢をどの学者も見習ってほしいですし、これから学者を志す人には持ってほしいメンタリティです。
「知識のあり方」の他、大学論、教育論についても言及されていますが、これは、86年に刊行された本であるのも関わらず、そこで展開されている論の普遍性には驚くでしょう。
それらに興味を持った人は是非とも読むべきでしょう。
この本は以下より!
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