エーリッヒフロム 『フロイトの使命』

2015-10-13 00:37:41 | 心理学

 

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 私は、この本を読んで、科学(社会科学、自然科学、人文科学全て含める)は何のために存在するのかを考え、答えを探していた大学時代を思い出しました。

 科学は、人の世に絶えず生起する問題点を探し、その生起する構造を明らかにし、よりよき状態にもっていくためにあるという事がわかった。

   そのためには、  国民がより良き状態にもっていくために、社会で起こることに関心を持ち、一人でも多くの人間がそのための行動に移さなくてはいけない。

 こう大学時代に考えたが、今でもこの考えに変わりはないです。

 フロイトは心理学ではおなじみの、精神分析学の祖である。

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 そして、  フロイトは偉大な教師であり、真理のために何者も恐れず、妥協せず、家族を愛し、虚栄心や利己心はなかったという。

 彼によれば、  理性は、人生を意味あらしめ、幻想に頼らなくてすむために、さらに自らを拘束する権威からはなれ、そして我々自身の権威を確立するための唯一の道具、または武器であった。

 
 それとは対照的に、一般大衆は、フロイトによれば御都合主義であるという。

 一般大衆は、安楽な眠りだけを求め、信念と意見、理性と常識、真理と理屈は違うと強調するだけであるとして、非常に低く看做していた。
 

 フロイトユダヤ人であった。

ユダヤ人の伝統それ自体が理性の伝統、知的訓練の伝統であったのです。

    軽蔑された少数民族であることが、暗黒、非合理性、迷信を打破することに関して強い情緒的な関心を持たせていた。

 それにくわえ、フロイトの特殊な生活環境(例えば生活の不安定さ)が、大衆の意見に頼らず理性に頼ろうとした。

  フロイトの青年時代に全オーストリアの経済変動がフライベルクを襲い、窮乏をもたらすと、彼のより理性に頼ろうとする性格を強めたのだという。

 

  なるほど、かれは学者という職業柄、いろいろな本と接し、いろんな知識を蓄え、知的な武装を行ったのだといえる。

 私もよくあることだが、何か困難にぶつかったときに、それにはめげない。

他の人なら逃げてしまうところを。

 それは、私もいろんな知識を蓄えて知的武装を行っているために、違う側面からものを考えることが出来るのだと思います。

 例えば、仕事上で何か失敗をやらかして、上役にしかられる。

そこでめげてしまう人間は、しかられたことで頭がいっぱいになり自分はそれに向いていないなどと悪いほうにばかり考えて、その仕事を辞めてしまうのです。

他に、自分にいい点があるにもかかわらず。

  しかし、私はこういうパターンではめげない。

たとえしかられても、その点で悪かっただけであって、全部が全部自分は悪いわけではないと、自分にいい聞かすことが出来る。

違う側面からものを見ることができる。

 それが=理性というものでしょう。

 それは、たえず知識や情報を得るという行動が習慣化されなくてはきたえられないのではないだろうか?

 

人間のパーソナリティー形成には、周りの人間からの影響は見逃せないです。

 フロイトのパーソナリティーの形成にあたって、対女性、対父、対母、対友人の特徴が詳らかに説明されている。
 

  また、彼は、偉大な将軍たちへの憧れを持っていたという。

哲学、政治学、倫理学へ深い関心を持ち、政治的指導者になろうとしていたのだという。

 
   人の心の完全な理解、これこそが不合理性を明らかにすることができ、人をその宿命に応じて導いていくことが出来るとし、  信頼に足るものが出来るのは国家主義でも宗教でも社会主義でもなく理性  であり、彼は世界を改革したいと考えていた徹底的な合理主義者であった。

 そのため、普通に生活しているだけの一般人にはなじめなかったといいます。

   なるほど人間社会は、動物のそれとは違って、問題点があらば、それをより良きものに変えていくためには、人間が一人でも多くその問題点に気付き、どうしたらその状態から良き方向にもっていけるか考え、合理的に行動していかなくて良くははならない。

 そのための道具になるのが科学であるのはいうまでもない。

それは、環境問題や政治、経済は勿論、人間関係その他あらゆる領域においてもいえるだろう。

 その際、必携の道具となるものが科学的な知識やものの見方である。

それをフロイト理性とよんだ。 

  社会をより良きものにしていく市民として、科学的な知識は必携のものなのに、試験直前にだけ頭に詰めて、試験終了と同時に頭の中から抜けてしまう。

こういう事態を私は憂ていたのである。

 その嘆きとフロイトの嘆きは同じものであったのだと思う。
 

  ただ日々をすごしているだけの一般人をフロイトは卑下していたが、そこまでには及ばないです。

 不断の生活を見渡してみれば分かるように、我々は住居に住み、食物を食べ、飲み物を飲み、テレビやオーディオ、パソコン、バイク、車、その他電気機器を使い、消費財を使って生活している。

 これは、フロイトのような学者だけでは生活が成り立たないことを示している。

 フロイトの卑下した一般人がいるからこそ生活していけるのだ。

一般人がいるからこそ、フロイトのような学者が勉強する時間ができるのだ。

 それを卑下するなどというのは、傲慢の極みであるのはいうまでもない。

 しかし、フロイトの提唱した理性の重要性は看過することは出来ない!

 科学的な知識やものの見方を身につけ、社会を良くしていく営みは誰もが日常生活の中で実践していいかなくてはならない  のは大賛成です。

 その精神をこの本から汲み取って貰えればこの上ない私の喜びです!   

精神分析学で有名なフロイトだが、その精神分析学については、別の機会に紹介したい。

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