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私はダイエットについて勉強していますが、ダイエットのみならず、女性はこういったファッションにも気を使って、自分をきれいにして、男性から見た姿を向上させようと努力してるんだから、男性は、デートの際に、または職場や学校等で、こういったファッションで容姿を向上させていたら、すぐさまそのことについて褒めてあげるなり、そのファッションなどについて知識を得て、話しをできるようにしましょう!
そんな気遣いがあったら、女性はかなり嬉しいものです!
ねえ、女性諸君?
新しいファッションにしてきたのに、何にも言及しなかったら女性は相当幻滅し、残念になるのは必至です。
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私は大学時代は法学部に所属し、政治学のゼミナールにも入っていましたから、丸山真男の名はきかないはずはなかったです。
ゼミの先生は、丸山真男の本は「何百回読んだかしれないし、今も持っていてもうボロボロになった。」と語ってましたし、また政治学史の担当の先生も、丸山真男のことを「政治学の神様」などと評していました。
そんなにすごい人なのか、と思い私は丸山真男のいくつもの本を買い読みました。
その内容の是非はのちに譲るとしまして(笑)、この本『日本の思想』に関しては非常に感銘を受けました。
どんどんと滞りなく出てくる知識、その独自の見解については瞠目せざるを得なかったのが正直なところです。
「こういう文章はいろんな領域の学問をまんべんなく修めていないとできないな」という感想でした。
まさに博学な知識人といった感じでしょうか。
しかしそういう大家といわれる人の常として、ものすごく絶賛する人もいる反面、批判する人もいるのです。
「私は左翼知識人にも丸山眞男にも共感しない」と佐伯啓思は『西田幾多郎』(新潮新書)の29ページに書いています。
また共著である『この思想家のどこを読むのか』 (洋泉社)において、加地伸行氏はかなりの批判をしています。
「20世紀の本で今後も残りうる書物のランキング」において、丸山氏の『日本政治思想史研究』が10位になり、 『現代政治の思想と行動』が34位になったのだそうです。
しかし、この2著について「量が多くて大変」で、 「面白くもおかしくもなくかつ読みづらい」ということを書いています。
私もこの2冊は政治学を修めたはしくれとして読みましたが、古文や漢文の引用が多くて、主張もあいまいで読みづらく、印象に残ったことはなかったです。
この加地氏に言わせても「日頃、漢文や漢文体になれている者にとっても読みづらい」というんですから素人ではいわんやですね。
『現代政治の思想と行動』を漢文になれている加地氏が、1日3時間かけて読み、全部読破するのに15日間かかったというのです。
しかし上記のランクイン…これはおそらく、投票した人は読破していないとみなしているのです。
私もそう思います。
自分がいいと思ってなくても、評判になっているからという理由で投票して済ましてしまう…こういう例は学問のみならず音楽の世界でもあるのです。
さしていいと思わないけれども、周りの人間がいいというからその良さを語る、あるいはコンサートに行く。
こういうのは私にとっては無駄な時間と思うのでしないことにしています。
その道の大家といわれる人には、好評を博す反面、やはり批判をする人も多いですが、ことは丸山氏だけでなく、文芸評論家として名高い小林秀雄に対しての批判で、「定義をあいまいなまま論を進めているので、読み手に難解な印象を与える。」と評していた例を思い出しました。 やはり完璧な人はいないのは世の常でして、そういう批判にさらされる運命には誰もがあるのだと思います。
その批判を敢然と受け入れていくことで、人は成長するのだと思います。
さて丸山氏の批判を書いてしまいましたが、この本からは学ぶべきことが多いと思います。
丸山氏は、日本のしその在り方についての批判を書くのですが、その内容があまりに正鵠を得ているので、多くの人を虜にしてしまったのでしょう。
誰もが考え出せることであるならばいいのですが、そうはならなかった、だから今も信奉者がいるそんな感じがするのですね。
他の人と思考回路が違うのですね。
あらゆる時代の観念や思想にいやおうなく相互連関性を与え、すべての思想的立場かそれとの関連で自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸にあたる思想的伝統はわが国には形成されなかった。
その構造上の把握がもっと推し進められない限り、反動を呼び起こすだけ、と丸山はいうのです。
いろいろなものが開国時もその後も日本に入ってきた。
その新たなものの勝利は驚くほど早いということを書いています。
日本人は、知的好奇心が強く、いろんなものを思想界にも入れる。
その際に新しく入ってきた西洋の文物が話題になり、いろんなところで取り上げられるのが常です。
しかし、「過去のものはわきに追いやられ、意識から消え、忘却され、ある時「思い出」として噴出する。 それが国家的、政治的危機の時に著しい」というのです。 これはなかなかに説得的ですね。
これは長く日本の思想を俯瞰して、透徹した事実を発見したのですが、その内容があまりにあたっているのでセンセーションを呼び起こした原因にもなったのでしょう。
研究熱心さもさることながら、全般的な知識が凄いのですね。
生起した出来事や事件において、ただ茫然と過ごしてしまうのが一般人であり、知識人のほとんどであったのが丸山氏だけは気づいた事実だったのでしょう。
いや気づいた人はいたけれども、それを公の場で毅然といったのが丸山氏だったのでしょう。
キリスト教やマルクス主義は、日本の知的風土において共通した精神史的役割を果たしました。
しかしわが国にこういった思想が移動される、社会的意味が変化すると現実肯定でしかなかったというのですがこれも非常に説得的ですね。
丸山氏に言わせれば、「絶対者がなく、独自な仕方で世界を論理的、規範的に整序する下地が形成されなかったからこそ、それは外来イデオロギーの感染に対し無防備だったのだろう」ということです。
その絶対者とは、西欧でいうところのキリスト教やユダヤ教だったのですが、そういうものがなかったがゆえに、機軸がなくただ並列的にものが入ってくることになっただけ、という批判でしょうか?
西洋をやたら崇拝し、それに後れを取っているから日本はだめだという風に丸山はとっているいるという批判をしている著者がありましたが、私はそういうようには感じませんでした。
西欧でいうところのこういう宗教の代わりの基軸を求めるべきだったのかどうかはわかりかねますが、後のことを俯瞰して鑑みるにそれは不要だったのではないかと思います。
いや必要だったという人もいるでしょうけれども…この際は不問にしておきましょう。
またこの本で注目した箇所として以下の文をあげたいです。
「ただ森(鴎外)にも多くの民権論者にも、いわんや伊藤(博文)にも等しく欠けていたのは、私的な日常的な自由を権力の侵略から防衛するためにこそ全権力体系の正当性を否定する根拠を国民が自らの手に確保しなければならぬという発想であった。」
ここは自分だけの価値観だけの一存的という批判もありましょうが、こういう端的な意見は説得的に感じるむきもあるでしょう。 しかしこういうふうに思われてしまうのはことが丸山真男だから通ったというような気がします。
他の論者がいったら、目が通るだけで終わったか批難轟轟だったでしょう。
また注目すべき個所を紹介します。
末端の行政村に至るまでの官僚制支配の貫徹と軽工業及び巨大軍需産業を基軸とする産業革命の遂行、その社会的な秘密の1つは自主的特権に依拠する封建的=身分的な中間勢力の抵抗のもろさである、ということです。 また、社会的平準化も、最底辺の村落共同体にも、その頂点と底辺の両極における制度的にもイデオロギー的にも前近代性の温存と利用で可能になったというのです。
しかし、非常に私も賛同を受ける文であることは間違いないです。
個人主張の強い国民であれば、上からの改革は遅々として進まないものです。
しかし日本は、知的好奇心の強い国民であるとともに、自己主張をさける国民性であるために、富国強兵政策もスムーズに進んだということは往々にして言えるでしょう。
それはこと、明治期の中国の現代化の過程をみれば明かでしょう。
この丸山氏の意見は非常に説得的だけれども、だからといって丸山氏だけの意見だけで世界の全部がわかるわけではないですから、丸山氏だけの意見を読むのではなしに、いろんな本を読むことの重要性は忘れてはならないでしょう。
地方の自治性は、社会媒介が地主=名望家ゆえに可能であったというのです。
近代化によって崩れそうなバランスは上からの国体教育と下からの共同体的信条の吸い上げで可能になったというのです。
精緻な分析のように思えますが、その分析は他の国のそれと比較してわかったのかどうかわかりかねますが、他の国のそれをつまびらかに知っていた人にはものすごく説得的に映ったでしょう。
丸山による日本の思想の批判の内容が多くの人を引き付けたようですが、第1章の最後に、 「問題はむしろ異質的な思想が本当に交わらずにただ空間的同時存在している点にある。
雑居を雑種にまで高めるエネルギーに認識しても、実践してもやはり強靭な自己制御力を具した主体なしには生まれない。
その主体を私たちが生み出すことがとりもなおさず私たちの革命の課題である」 と書いてあります。
いろんな文物が海外から入ってきて、それが消化されずに併存していることは、当時もあり、今もよくあります。
それは、海外の文物を読み、それをカッコでくくって紹介するだけのつまらない本を書く人が当時もたくさんいたのでしょう。
いろんな本を読み消化する。 その時点で、この考えは人からの借りものである状態ですが、その後もいろいろな本を読み、それらから学んだ内容が融合し、発酵し、自分のモラルとなっていくと、その考えのもとは誰であったのかがわからなくなります。
すると、引用もいらなくなり、するすると意見が書けていく。
この状態が雑種なのでしょう。
そういう状態にまで高めていくことが重要なのは言うまでもないですね。
これはいつまでも心にとどめておきたいことですね。
いろんな丸山氏の本を読みましたが、ただ私がこの人の本を大事にしたいなという感慨になったのは、この『日本の思想』だけでして(笑)、あとの本は正直読みたいという衝動に駆られることはないのですね。
こういう場でも、こころにもないことを書くとやはりばれるのですね。
だからそこは正直に書いたほうが良いと思うのです。
確かにこの本はよかったけれども、あとの作品がよくないのでもう買う気になれない。
そういうのは音楽にも当てはまりまして、ものすごい素晴らしいアルバムを出しながら、あとの作品があまりよくないので、いつしか関心が薄れもうそのアーティストのアルバムは買わなくなってしまった…そういう例はありますよね、だれでも。
ことは丸山真男だけでなく、社会学でしたら「社会学を修める人ならこの人の本だけは読まなくてはいけない!」といわれるような古典的な名作を書いた人の本は大学では当然のように勧められるわけですが、その人の本を読んでもいまいちしっくりこない場合はありました。
または経済学の巨人、経営学の巨人といわれる人の場合もあるのですが、そういう例として勧められた本でも全然しっくりこない、ということは往々にしてあるのです。
ですから絶対に読まなくてはならない、という例でも、自分が感動できなければ読む必要はないと私は思います。
丸山真男が97年に亡くなって、遺品を整理していたら、未完の論文が出てきて、それが本になる、ということが私の記憶では2回ほどありましたが、そのいずれにしても私は「ほしいっ!」とは思わなかったですね。
この『日本の思想』は公演の内容を口語のまま本にしたので、わかりやすいのです。
かつ読みやすい。
しかし文語になるとどうも難しくて…私はだめでした(笑)
しかし、以上の書いた内容はこの本の内容のほんの1部でしかないですから、その内容に感銘を受けた人は、他の大部分についても感銘受けることは間違いないでしょう。
この本ついては本当に心から勧めたいので、興味関心の出たかたは以下よりどうぞ!
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★参考図書
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