この本を読んで、科学は改めて、人に行動を促すためのものであるなということを感じた次第です。
この著者の日高六郎氏は社会学が専門でしたが、それ以外のいろんな学問に精通しているのがわかり圧倒されました。
社会を大幅に、そして綿密に分析して、そこから何をすべきか、今どのような状態になっているか、どのような方向が望ましいかをつまびらかにしたうえで、議論を呈示しているのですね。
日高氏曰くに、「深い価値観は一般に国民的な体験と普遍的な原理とがある歴史的瞬間に交錯するときに生まれるのであって、普遍的な価値がただ普遍的であると認識されるだけではそれほど国民を捉えることはできない。」 ということですね。
やはり理念だけが1人で浮上していても仕方ないし意味がない。 やはり経験を通した理念であり理論でなければ不毛なものに堕してしまうということですね。
宗教に入っている人は要注意ですね(笑)。
宗教に入っている人は、その宗教内でいわれていることに無批判になりがちですから、経験を無視して、理念だけを追い求めて行為しがちです。
「歴史とは経験の共有と、その普遍性の認識であるとすれば、民衆の願望、認識が特殊閉鎖的なものとしてではなく、普遍的な共有的なものとなってきているということが重要である。
これらの諸価値を体験と願望とすることが全世界的、全民衆的な規模で可能になったのは現代が初めてである。
それゆえに、民衆が歴史の中の主体的な力として姿をあらわしたということは、彼の体験、願望、認識、行動から出発して、その中から原理とイデオロギーを作りだし、そのことで歴史を能動的に作り出していく過程で諸価値をただ並べ、大義名分として肯定するだけでなく、その実質内容と相互間の主体的な構造を明らかにしていく必要がある。
理想主義を欠いた現実主義はただ受益な態度の再生産に陥るだろう。」 と書いてることも、また私の食指を大いに動かすモノでした。 ある分野においては、その道の研究者がいて、その分野の理想とすべきレベルがあるのですね。
それはなぜそのレベルなのかは、そのことについて書いてある本なりを読むのがいいでしょう。
その理想のレベルのために、国民がどのようなことをすべきがいいのかを呈示しているのが科学に関する本なのですね。
ですから、その分野についての本を詳しく読み、そして行動を促しているのです。
促すことを望んでないならば、一般人に出す必要はないのです。 ですからそういった類の本は読んだら行動に移すべきなのです。
そして興味深くも、日高氏は「私生活派の登場は1つの問題点である」としているのです。 おそらく勤労者たちの中の私生活派も全くの無関心派ではなく、微量関心派であろうということですね。
やはり、完全なる無関心な人はいないのですね。
そして「一方にパチンコという無目標的行動を楽しむ大衆があり、他方その上に高度の技術を駆使して極東の緊張緩和に務める専門官僚がいるという構図がなりたつ」ということを分析しているのは興味深かったです。
これは、同じ社会学者であった清水幾太郎氏も、同様の趣旨の本を書いていたのを読んで関心したのを覚えています。
作為であろうが不作為であろうが、社会に影響を与えながら生きていることになるということですね。 不作為でよからぬ結果がもたらされても、それは国民全般の意思の総体なのである、ということですね。
作為によって良き結果がもたらすことがわかっているならば、作為にバイアスをかけた方がいいに決まっています。
それをどのように考えるか、ということですね。
政治的な行動に移すことをこれまでカレル.ヴァン.ウォルフレン氏はいろんな本を通じて、日本の読者に呼び掛けてきたわけですし、その言葉を私はこの場で紹介してきました。
カレル.ヴァン.ウォルフレン
その行為に移す衝動にかられるかどうかは、その人の置かれた立場によって変わってくるわけですし、一応新聞やテレビを通じて伝わってくる政治的、行政的な不祥事に関しては、遺憾に思うことがあっても、行動に移さないのは、それほど価値あることであると思ってない事だからにほかなりません。
行動しなかった人は、そういった政治的な行動に移すよりも、仕事や仲間内親族内での団欒の方が大事と思っているからにほかなりません。
それでも人生がうまくいっているのならば、政治的な行動に移さないという選択肢によって生きるのも文句は付けられないでしょう。
でもその不作為によって、自分がどのようなことを被るのかも、因果関係はこんにちのような複雑な社会であってみればわからないし不明でしょう。
ですから、心底行動に移さねば、と思う人は、いろんな社会の問題点について書いた本を読んで、その詳細を脳内に叩き込むという作業によってでしかないと思います。
やはり新聞やラジオなどの一過性の情報だけでは、やはり行動に移すのは難しいのではないかと思われてならないのですね。
精神分析学の第一人者であるジムクント.フロイトは、何気なくその日を暮らしているだけの人とは付き合えなかったということですね。
フロイトはやはり科学者である手前、いろんな本を読んで、社会の問題点について把握してたのみならず認識していたのでしょう。
フロイト
その問題点があるのに、それらのを良き方向へ向かわせないでいて我関せずの人間にはシンパシーを感じれなかったのは理解できる心情ではあります。
しかし、社会がどんなに高学歴化しても、やはり文字を読むことに愉しみを見出せる人は少数派なのです。
これまでいろんな学問について読んできた本からそれは明らかと思いおます。
ゆえにどの人も市民として政治的な活動に従事するような行動に駆らせるのは難しいことではないかと思われてならないのですね。
普通に働いていれば普通に生活できるような先進国であれば、それはもっともでしょう。
ゆえに、そういった文字を読むことに全くストレスを感じずに、それでいて問題点を良き方向へ変えていこうという気概を持っている人には期待をかけたいし、そういう人が多く出てくるように私はこの場でその立場を表明したいのです。
そのことにシンパシーを感じた人は、この本を読んで更に自分の立場を強化してほしいですし、そういう立場に興味のある人も読んでもらいたいです。
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