がちょうのうたがきこえてくるよ

最初に言っておく。私は、今、仮面ライダー沼にハマっている!!

好きな選手の最期を思う

2008-04-04 | Football
ゾラが好きでした。
私が好きになった頃は、チェルシーにいて、小さい身体でクルクル動き、FKになるとワクワクするような、そんな選手でした。
チェルシーが変革していく前にチームを離れ、地元のカリアリに戻り、セリエBにいたチームをAに昇格させ、1年プレーした後、引退しました。
最後の1年までも、その、ワクワクさせるFKは輝きを失わず、その小さい身体でカリアリを牽引する勇姿は素晴らしいものがありました。

最近、ピルロが選手としてどんな最期を迎えるのか、考えるコトがあります。
ミランに最後まで残るのか、地元のブレシアに戻るのか。
個人的には、ミランでコンスタントにスタメンで出れなくなるなら、ブレシアへ移籍してほしかったりします。ブレシアが昇格してくれてれば一番良いのですが、ゾラのように、昇格に貢献するのもカッコイイなぁ~、なんて思ったり。とにかく、引退するまでピッチでプレーし続けてほしいのです。
まぁ、以前から言ってますが、ゾラのような選手であってほしい、と。
あくまで、個人の希望ですが。

うん。
ピルロくらいなんだよなぁ、最期を考えてしまうサッカー選手は。
確かに、今現在は、ヴチニッチとかのほうが観てて面白いし、好きだし、感情抜きにしたら、今のピルロにはそんなに興味ないんですよ。
ただ、今後は気になる。
また、新たな道に踏み出して、新たなカッコよさをみせてくれるのか?
そして、サッカー選手としてどんな終わり方をするのか?
きっと、ピルロ以上に好きになれるサッカー選手が出てくるとは思えないし、だから、いい最期を迎えて欲しいと思うんでしょうね。

それは、きっと、近い将来、クリスに関しても考えるだろうなぁ。

とまれ。
ミランがボロボロですね。
やる気がない、というか、覇気がないですね。そのわりには焦っている向きもあり、チームがバラバラです。観ててつまらないことかぎりなしです。
戦術や技量以前の問題な気がします。
いっそCL圏内も取り逃して、とことんまで落ちたらいいんじゃないかと思っています。

CLは、マンチェスターUが優勝でしょう。
ローマ戦でのクリスティアーノ・ロナウドの飛び込み式のヘディングシュートに脱帽です。カッコよすぎ。ローマはトッちゃんがいない時点で、もうダメだと思っていました。最後のほうはバタバタでしたね。
シャルケは残念でしたね。今のバルサなら、もしかして!と、期待したのですが。試合が落ち着くまでは、もう少し慎重に守備をするべきだったと思います。ノイアーも、経験の浅さが出てしまいましたね。あそこはガッツリはじかないと!あと、コビは左サイドで使っとけよ...。ジョーンズやラキティッチがいないのが苦しいのは分かりますが、まず、スタメンの組み方からおかしかったし、クーラニーを早い段階で交代させたり、スロムカ監督の采配ミスは大きかったと思います。解任決定か?
とにかくも。
時代の流れは、華があるかないかで決まるので、今季のCLはクリロナが持っていくと思います。
決勝は、対リバプールがいいなぁ。

お、地震だ!

2008-04-04 | いろいろ
ね。
千葉北西部、震度3。

いや。
こうゆう時に思ったりするんですよ。死ぬ準備はきちんとしとかなきゃな、って。

今は死にたくないです。
部屋汚いし、遺書も作成してないし、なにより、楽しみにしてるものが山ほどある。描きたい絵も山ほどある。

でも、突然死んでしまったりすることってあるからね。
その時に、親族があたふたしないようにしておくことは必要なんじゃないかと。
死亡連絡してあげて欲しい人のリスト、ブログのパスワードと削除の方法、葬式を最小限で行う旨、遺品の処分方法などなど。
自分の持ち物もきちんと整理して、いつ死んでもいいような状況を作っておきたい、って、最近思っています。

長生きは、あまりしたくないです。
ただ、むやみに親より先に死ぬのは最大の親不孝だと思っているので、それは、できるかぎり避けたいです。

人間の命、それ自体は、そんなに尊いものだとは思ってないんですよ。
尊いのは、命ではなく、生命活動のあり方であり、外界との関係性であり、それは、つまり、そこに意味があるかどうかの問題なのだと思っています。
そして、肉体に死があるのと同様に、精神にも死があることが、もっと認知されてもいいと思っています。
高齢者医療や尊厳死の問題も、やみくもに命の大切さだけを考えていては、解決の糸口はつかめないでしょうな。

とはいえ、現代は混乱にあって、社会は大きな嘘に包まれ、夢や希望を持ちにくい世の中ですね。政治や経済の対策には、いつも失望させられますが、かといって、自分に何かをなす力はない。
平坦な戦場。
そこで生き延びていくこと。
きっと、現代を生きるということは、そうゆうことなんでしょうね。
実は、生きる意味がないのは、個人ではなく、社会そのものなのかもしれません。
本当は、今ある権力に立ち向かっていく必要があるんだと思うんですが、そして、それは、一人の英雄が、ということではなく、ごく一般的な人間が立ち上がって、あるまとまった人数で起こすべき改革でないと意味がないでしょうね。

まぁ、所詮、人が多すぎて収集がつかないんですよ、現代は。
いいんじゃないかな、ゆるやかに滅びていくのも。
個人は、とにかく生き延びていけばいい。

そんなことを、思う、春の夕べです。
桜、散り始めて、キレイですね。