自転車操業日記

自転車と組版ソフトについての備忘録。

本日休業。

2010-09-30 18:52:46 | 泡沫
雨の多い年でありますな。
8月雨続きだと貴腐病の発生が期待できるらしいけど,今年でてるのはべと病だそうな。
勝沼にも自転車連れて行きたい。ていうかあのへんまで自走でいけるようにしたい。
でもあれだ,自転車で行くと飲めないからなー。葡萄背負って帰ってくるのも,傷むから無理だし。
酔臥沙場君莫笑。
足が自転車じゃどこにも(飲みに)行かれないよう。
夜光盃ってガラスなのか水晶なのか。水晶だと山梨にはあうけど。

『中世の音,近世の音』(笹本正治著,講談社学術文庫)読み終わった。
いろいろ刺激があって面白かった。中世以前,「音」が異界と現世を媒介するものと考えられていていて,その残滓があちこちに見られること(仮名手本忠臣蔵の「梅が枝の手水鉢」とか,鉦と太鼓で迷子を捜すとか),その背後に金属を扱う技術があること,信仰の崩壊とともに技術への崇敬が薄れて「音」の地位も低下すること,などが述べられている。芸能史でいろいろ言われてることに揃うはなしだ。
著者は信州大のひとで,諏訪大社の鐘が誓約に使われていたという史料から説き始めている。響く鐘の音が,神様への誓約だと言うことで,鐘を鳴らすのにかなりのお金が必要だったらしい。証書みたいなもんだな。法制史からもつつけそうだと思う。

読んでいて岡ノ谷さんの本を思い出したのは,なぜ金属音なのか,ということが,読んでいてずっとひっかかっていたから。これ,ヒトの聴覚とか音の認知のしくみとかと関係してるんじゃないのかなあと思う。
「鉦と太鼓で迷子を捜す」話題の中で,こうして音を立てることが,人をさらった者に対して「いなくなったのに気づいて探している」と知らしめたり,うごけなくなっている迷子を力づける役割があっただろう,と合理的な考察なんかはあるのだけど,イキモノとしての人の感覚についてはふれられていない。
そういえば,神隠しのおはなしでは,いなくなった人はだいたい(探したはずの)近場で発見される。なんか脱走ねこみたい。
あと,異界と音の関係として,お琴や鳴弦,「鉦と太鼓」の太鼓など,金属音ではない音の話が出てくるのだけど,それらが金属音となぜ並列されるのかに触れられていないのが気になった。音源としては金属より早くあったけど,金属音が特殊な者として扱われるようになったのに引きずられたりとかだろうか。

奈良の宿探し。紅葉シーズンなのであまり空いていない。食事の量控え目,というコースのある宿を一応取ったけど,あとでクチコミサイトを見て不安になってきた。
きょねんはよい感想ばかりなのだけど,今年に入ってから接客の悪さを指摘する書き込みが多くなっているのですよ。遷都1300年イベントで忙しくなって,急ごしらえのスタッフでも増やしたんだろうか……。あるいは逆に,イベントのせいで客層が変わったのか。どうも,よいスタッフがやめて,その穴埋めができてないんじゃないか,って感じがする。
まあ,設備と料理に対する苦言は少ないから,そのへんは安心してていいのかなと。
和辻の本を引っ張り出しておきましょう。すきじゃないけど万葉集とか。あと会津八一のは何か持っていたかしら。

最新の画像もっと見る

post a comment