ずーっとお天気が悪い。自転車に乗れない。
しかし,ミニヴェロになれてきてるのかな。飢餓感がない。これはまずいのではないか。荻の葉で追い込んでおいたほうがいいかも。あのキチガイ娘,こっちのことほっといてかっ飛ぶから,アタマのねじ数本すっ飛ばしてくれるだろうし。
日曜日の出勤前,定例おそうじのあと,ミニヴェロとダフネのチェーンだけ洗った。
新品のチェーンってグリスがたっぷりついていて,結構たいへん。デグリーザで洗っても落ちやしない。雨のときは基本乗らないから,あんまり重たくないオイルでよいと思うのだけど,どうなんだろう。
あんまり乗ってないのに,結構汚れていた。後輪はずしてスプロケのそうじもしたかった。
おうちの窓も拭きたい……。畳は水拭きしちゃいけないということなので畳そうじのやり方を変えたものだから,窓拭きとの配分がうまくいかなくなってしまった。小分けにするか。
あと朝もうちょっと早く起きて,お庭の草取りを習慣化する必要もある。いもむしけむしがこわいから夏はいやだけどなあ。
習慣化してアタマで考えなくてもカラダが動くようにしておくとなにかと楽だ。
こんなのを見つけた。
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/100212/sty1002120748000-n1.htm
保険について,走行ルール,問題点がきちんと書いてあって,自転車に興味にない多くの読者にとってわかりやすいよい記事だと思う。
しかし「高速マウンテンバイク」ってなんだよ……。
「高速になるスポーツ自転車」とか「競技用自転車」とかでいいじゃん。
来週は神宮前クリテと東京マラソンが重なるようだ。ダフネと行くなら,ルートを開拓せねば。時間が読めないではないか……。
五来重さんの本はとてもとてもおもしろい。いろんなお祭りとか習俗の起源を五行説とかとか宮廷の行事に求めるような説明をよく見るけど,アタシはそれが不思議でならなかった。もちろん本なんて贅沢の極みであったろう大昔に,なんでそんな知識が中央からとても離れたところに伝わって,しかもそれが定着するなんていうことが,そんなにひんぱんにあったのだろうかと。
アタシが目にするようなそういう説明って多くは俗説であったのだろうけど,そのきもちわるさを払拭してくれるような説明に初めて会った気がする。
ところが,従来の研究は文献だけを金科玉条とするから,『日本書紀』の五月五日の記事や『続日本紀』や『延喜式』の端午の記事に,『荊楚歳時記』や『五雑俎』などに似たものがあると,鬼の首を取ったように,日本も中国や韓国の模倣文化を持っていたと自慢する。主体性のないことおびただしい。もちろん,そのような模倣文化を享受したのは,一握りの文化人や支配階級だけである。大部分は黙々として日本固有の氏神祭りや祖霊祭,御霊会などをおこなっていたのであった。
とはいうけれども,その「固有」がホントに固有だったのかは,検討の対象だとも思う。実はおんなじものを持っていて,あちらでは早くに文献として残ったけど,こっちでは文字に残ることなく,カタチだけで受け継がれてきた,ということだって考えられる。
日本列島にすむひとが,いつ頃あらわれて,それはどっからどういうふうに来たかっていうことは,だんだんわかってくるのだと思う。そういうことについての本を読んだときに,またこの本のことを思い出すような気がする。
東京では雨だったけれど,帰路,最寄り駅を降りたら雪になっていた。
上空の気温は低いようで,結晶が大きく,六花のかたちが肉眼でもわかった。
珍しく降雪の多い春だと思う。