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山梨県西八代郡市川三郷町のマンホール蓋(その2)旧市川大門町

2021-04-06 18:11:19 | マンホール蓋

市川大門町の経緯は、明治33年4月24日市川大門村が町制施行して市川大門町が誕生、その後昭和29年に高田村を編入、昭和30年代にも一部編入などが有ります。
そして、平成17年10月1日市川大門町、三珠町、六郷町が合併し市川三郷町が誕生した事により、市川大門町は廃止となりました。

町章は、「市川」を表し、「市川大門」が想像できるデザインとなっているようです。(昭和38年7月制定)

町の花は「リンドウ」、町の木は「アカマツ」です。

前置きはここまでとし、マンホール蓋の整理に移ります。
最初は、デザインマンホール蓋です。
「和紙と花火の町 いちかわだいもん」のイメージがデザインされています。
 
こちらは親子蓋です。

こちらは小型蓋です。
見ずらいですが、左蓋上部は「△」、右蓋上部は「♢」のマークがあります。
 
こちらは、市川三郷町役場内に展示されていたカラー蓋です。

市川三郷町商工会のHPに市川の花火の歴史が書かれています。
花火は、武田氏の軍事用の狼煙(のろし)打ち上げから始まったと言われています。江戸時代になると観賞用の花火が盛んになり、市川の花火は常陸の水戸、三河の吉田(豊橋市)とともに、日本三大花火に数えられ、全国各地の花火大会で市川の花火が夜空を彩っています。

市川の和紙の興隆に貢献した紙工「甚左衛門」の命日7月20日を、紙の神をまつる「神明社」の祭礼日として盛大に花火を打ち上げ、里謡に「七月おいで盆すぎて、市川の花火の場所であいやしょ」と歌われ、“神明の辻”の相撲とともに有名で「神明の花火」と呼ばれていました。

この「神明の花火」は花火の町、市川三郷町にふさわしいビッグイベントとして平成元年、山梨県下一の規模の”神明の花火大会”として鮮やかによみがえりました。毎年この花火大会は8月7日(花火の日)に開催されます。当日の花火の打ち上げは2万発。県下最大級の二尺玉のほか、さまざまな形、色合いの花火が夜空を焦がします。

次は、プラスティック製の汚水枡の蓋です。
 

次は、上水道関係他の蓋を整理します。
最初は消防関係の消火栓蓋です。
 
こちらは角型の蓋です。
 

こちらは、制水弁の蓋です。
  

以上で、その2.旧市川大門町のマンホール蓋の整理は終了です。

 

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