久しぶりの横浜の伊勢佐木町。
ここは1年半前にすでに解体工事をしていた横浜松坂屋本館があった場所。
今は「カトレヤプラザ伊勢佐木」という商業施設が2月8日のオープンに向けて準備中。
旧横浜松坂屋のアールデコ調のテラコッタ装飾を再現した外観です。
建物がちっちゃくなっちゃった。なんだか変な気分です。
1931(昭和6)年に竣工した旧横浜松坂屋西館はエクセル伊勢佐木としてまだ利用されています。
伊勢佐木町は古い店も無くなりみんなチェーン店になって残念な気分です。
ここは1年半前にすでに解体工事をしていた横浜松坂屋本館があった場所。
今は「カトレヤプラザ伊勢佐木」という商業施設が2月8日のオープンに向けて準備中。
旧横浜松坂屋のアールデコ調のテラコッタ装飾を再現した外観です。
建物がちっちゃくなっちゃった。なんだか変な気分です。
1931(昭和6)年に竣工した旧横浜松坂屋西館はエクセル伊勢佐木としてまだ利用されています。
伊勢佐木町は古い店も無くなりみんなチェーン店になって残念な気分です。
今はコインパーキングになっている、東海道川崎宿。
川崎宿は江戸口(現在の六郷橋)から、ここ京口(現在の小川町)までの約1.5km。
5年前とは看板の位置が違う。
そして関札(せきふだ)のレプリカが設置されていました。
ここには宿棒鼻という棒杭が設置されていました。
棒鼻の石垣の上には、その日その宿場に宿泊又は休憩する大名の関札が掲げられていました。
この関札「加藤遠江守宿」はレプリカで本物は川崎市民ミュージアムにあるそうです。
旅館の歓迎札(歓迎○○様ご一行)の原点?
近くには「芭蕉ポケットパーク」。
この先にある場所の句碑を訪れる人や歩行者が座って休める場所だそうですが、
芭蕉の句碑を訪れる人はどのくらいいるのかな?私くらいか?
京浜急行八丁畷駅近くにある芭蕉の句碑。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」。
川崎宿は江戸口(現在の六郷橋)から、ここ京口(現在の小川町)までの約1.5km。
5年前とは看板の位置が違う。
そして関札(せきふだ)のレプリカが設置されていました。
ここには宿棒鼻という棒杭が設置されていました。
棒鼻の石垣の上には、その日その宿場に宿泊又は休憩する大名の関札が掲げられていました。
この関札「加藤遠江守宿」はレプリカで本物は川崎市民ミュージアムにあるそうです。
旅館の歓迎札(歓迎○○様ご一行)の原点?
近くには「芭蕉ポケットパーク」。
この先にある場所の句碑を訪れる人や歩行者が座って休める場所だそうですが、
芭蕉の句碑を訪れる人はどのくらいいるのかな?私くらいか?
京浜急行八丁畷駅近くにある芭蕉の句碑。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」。
東京の品川神社。1187(文治3)年源頼朝が天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請したことから始まったそうです。
なんだかわからないくらい古い神社。鳥居には龍が巻きついています。
双龍鳥居と呼ばれる鳥居。左は昇り龍。
右は降り龍。
拝殿。
神楽殿。
境内には浅間神社。そして富士塚があります。狛犬の台には富士山。
品川神社の富士塚は1869(明治2)年に造られたもの。1922(大正11)年に現在地に移築。
ちょっと険しい山登り。
頂上はまだまだ。富士塚の高さは4m。
頂上からみた風景。眺めがいいなぁ。道路からは15mの高さになるそうです。
東京スカイツリーもよく見えました。
羽田神社、鶴見神社、多摩川浅間神社に続く富士塚登山でした。
なんだかわからないくらい古い神社。鳥居には龍が巻きついています。
双龍鳥居と呼ばれる鳥居。左は昇り龍。
右は降り龍。
拝殿。
神楽殿。
境内には浅間神社。そして富士塚があります。狛犬の台には富士山。
品川神社の富士塚は1869(明治2)年に造られたもの。1922(大正11)年に現在地に移築。
ちょっと険しい山登り。
頂上はまだまだ。富士塚の高さは4m。
頂上からみた風景。眺めがいいなぁ。道路からは15mの高さになるそうです。
東京スカイツリーもよく見えました。
羽田神社、鶴見神社、多摩川浅間神社に続く富士塚登山でした。