鶴見川にある潮田の渡し場跡(うしおだのわたしばあと)。
江戸時代後期から、明治43年(1910年)まで渡し舟がありました。
渡しは潮見橋ができたので廃業。その潮見橋は現在架け替え工事中で仮橋です。
こちらは生麦事件(1862年)の後、幕府が厳重な関門を設置した場所です。
鶴見川橋(旧鶴見橋)の近くにひっそりと碑が建っています。
江戸時代後期から、明治43年(1910年)まで渡し舟がありました。
渡しは潮見橋ができたので廃業。その潮見橋は現在架け替え工事中で仮橋です。
こちらは生麦事件(1862年)の後、幕府が厳重な関門を設置した場所です。
鶴見川橋(旧鶴見橋)の近くにひっそりと碑が建っています。