くてくてのフォト日和

-カメラのおかげ-

少し出遅れ

2018-11-30 22:40:16 | 浦和
さいたま市園芸植物園のカエデは赤かったけれど、表から見たら紅葉には少し出遅れたかんじでした。


少し変わった形のカエデはトウカエデ。

11月が終わるのに暖かい今年です。

お初

2018-11-27 00:03:06 | 浦和
首をかしげて遠くからこちらを見ているのは


シメのようです。メスかな?お初です。


キリリとした顔です。あごひげが生えているみたい。

釈迦種子板石塔婆

2018-11-25 15:32:49 | 浦和
さいたま市緑区大崎の井上家の墓地に立てられている薄い石の板の1つは


釈迦種子板石塔婆(しゃかしゅじいたいしとうば)です。1381(康暦3年)年。
1.5km離れた中野田明照寺の釈迦種子板石塔婆に形などが同じ(比丘尼浄本と僧浄僧の文字だけ違う)ものがあるそうです。
夫婦と思われる2人の人物を供養するために建立されたものと考えられています。


近くに馬頭観音がありました。

あまり人が通らない場所です。いろいろ古いものがあるようです。

旧高野家離座敷

2018-11-20 00:04:28 | 浦和
さいたま市緑区大間木の住宅街にひっそりとある「旧高野家離座敷」。


江戸時代末期の蘭方医、高野隆仙が母屋の離れとして建てたものです。
もともとは赤山街道沿いの旧高野家の敷地内にあったもので、2005(平成17)年に解体修理復元工事が行われました。



茅葺寄棟で4畳半と3畳の2間の小さな建物。
高野隆仙はシーボルトの弟子である高野長英に師事し、大間木村に戻ってからは父の後を継ぎ、蘭方医として診療していました。
蛮社の獄で捕えられていた蘭学者の高野長英を、逃亡途中にこの離れ座敷にかくまったそうです。
その後隆仙は長英をかくまったことで捕えられ、そのときの拷問の傷が原因で1859(安生)年に49歳で亡くなりました。