玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

政治主導という名の「政治無能」

2009年12月17日 | 政治・外交
天皇陛下と中国副主席の異例の会見について「憲法上は鳩山総理や小沢氏の言うことが正しい。天皇が海外の要人と会うか会わないかは助言と承認をする内閣の決めることだ。宮内庁長官(官僚)が批判するのは間違っている」という説がある。

アゴラ : 天皇陛下の特例会見騒動に思う - 北村隆司
羽毛田宮内庁長官の進退について - extra innings

私は憲法をよく知らないのでこの説が正しいのかどうかわからない。こんな話を見ると諸説あって定まっていないように思える。

だが、「異例の会談」は机上の憲法論ではなくすでに政治問題となっている。
仮に(あくまでも仮に)憲法解釈の点で鳩山氏や小沢氏が間違っていないとしても、政治的責任を逃れることはできない。
政治というのは理屈だけで動くものではない。
政治とは人の心を動かし、相反する感情と利害を調整して合理性を実現する働きのはずだ。
正しい事をやるにも手順があり、「俺が正しいんだから従え、文句を言うな」というゴリ押しではうまく行かない。

鳩山内閣が「一ヶ月ルール」自体が不合理だ、柔軟性を持たせるべきだというなら国民の理解を得られるように順序を踏んでやればいいのである。天皇陛下の健康は国民の重要な関心事だから、まず「ご負担の軽減のため公務のありかたを見直す」と発表する。一ヶ月くらい検討して「国事行為以外はなるべく皇太子殿下にやっていただくようにする。その代わりといっては何だが、『一ヶ月ルール』には多少の柔軟性を持たせてスピード時代に対応する」という風にすれば反発はほとんど出ないはずだ。
今回の問題で多くの人が怒っているのは「ただでさえ負担の多い天皇陛下の公務を政治家の都合で増やすのか」「天皇陛下は政治家の使用人じゃないぞ」という感情的な反発が大きい。もちろん「感情的」というのは馬鹿にしているのではない。生身の人間なのだから感情があるのが当たり前で、感情を無視して「正しい理屈」をごり押しすればいいと思うほうが愚かなのだ。

逆に「一ヶ月ルール自体は必要だが、副主席にはどうしても会っていただきたい、今度だけはルールを曲げる事を認めてほしい」というのであれば事前に「習近平副主席歓迎ムード」を作り上げればいい。
「習副主席は次期中国主席の最有力候補で、彼を歓迎して貸しを作っておけば大いに国益になります、尖閣問題とかうまいこと解決しちゃうかも…」とかハッタリでもいいから(いや、良くはないが)期待を盛り上げれば、国民の間から自然に「ぜひ天皇陛下にも会っていただきたいものだ」「一ヶ月ルールだって?そんなのは官僚が勝手に決めたことじゃないか、政治主導で曲げてよし」という意見が出てくる。鳩山総理は国民の声に従う形で宮内庁長官に面会の日程を組むよう命じればいい。


鳩山内閣と民主党はどちらのやり方も取らず(意図したのか単に無能なのか定かでない)、結果として「ゴリ押し、政治利用だ」と批判されるハメに陥った。そして、ここからの対応が私の想像を超えて最悪だった。
小沢幹事長が宮内庁長官の苦言に対して「辞表を出せ」と恫喝したのが多くの国民の怒りに火をつけた。まったく信じられないほどバカな事をしたものだ。気に入らない部下を(いや、小沢氏は内閣の一員じゃないから官僚は部下ではないのだが)怒鳴って黙らせるか「クビにするぞ」と脅すことでしかコントロールできない人物は無能だ。田中真紀子外相の二の舞になるのがオチだろう。
歴史小説を読んでいる人なら、羽毛田長官の批判にどう対応すればいいかすぐにわかる。「あっぱれ忠臣」と褒めてやればいいのである。「天皇陛下の健康を何よりも大事に思っている羽毛田長官はまことに職務に忠実に立派だ。彼の心情はよく理解できる。だが、政府には外交を円滑に行う責任がある。確かに今度のことは中国側と外務省の不手際で遺憾である。無理を聞いて日程を組んでくれた羽毛田長官に感謝する」と褒め倒しておけば、批判する側も二の矢を撃てなくなる。とりあえず批判の火が付かないよう処置した後で、じっくりと宮内庁長官の「心得違い」を「説得」すればいい。
これくらいの嫌らしいやりかたができるのが本当の政治家だろう。みっともない逆切れ会見をした小沢一郎という人物は豪腕というよりただの傲慢だ。まことに無能な虚喝漢と呼ぶほかない。