玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「通りすがり」論・序説

2009年10月12日 | ネット・ブログ論
誰かのブログに「通りすがり」と名乗ってコメントを書き込むのは失礼なことなのか。
「通りすがり」のコメント自体が悪いとは言えないが、使い方によっては相手を不快にする。
不適切な使い方をする人が多いために「通りすがり」の評判が傷付けられている。



まず「通りすがり」という言葉の意味から始めよう。

とおりすがり【通りすがり】の意味 国語辞典 - goo辞書
とおり-すがり とほり― 0 【通りすがり】
偶然、そばを通ること。通りかかること。通りがけ。
「―の人に道をきく」


「通りすがり」とは偶然そばを通ること。当たり前のようだが辞書で確かめると安心する。
面白いのはネット用語としての「通りすがり」だ。

通りすがりとは - はてなキーワード
最も代表的と思われる捨てハンドル。

匿名掲示板ですら嫌われる。


あはは。確かに2ちゃんねるでわざわざ「通りすがり」と名乗ったら「何だこいつ」と袋叩きにされそうだ。



偶然そばを通ること、たまたま立ち寄ること。どこかに「通りすがる」こと自体はもちろん何の問題もない。
「寄り道禁止」は中学校の生徒手帳に書いてある決まりだ。たぶん高校にも寄り道禁止の校則があるのだろうが、たいていの生徒は気にも留めない。大人になれば(時間に余裕があれば)出勤途中で喫茶店に寄ろうと、仕事の後で居酒屋に寄ろうと自由だ。
そして、「通りすがった」先で誰かにものを言う、コミュニケーションをとることも何も悪くない。ここまではどなたにも同意していただけるだろう。

それならなぜネットで「通りすがり」のコメントは嫌われるのか。
たぶん多くの人に嫌われているのは「通りすがってコメントすること」ではなく、「捨てハンドルとして『通りすがり』を使うこと」のほうである。この二つは似ているようでずいぶん違う。

「通りすがりがコメントすること自体不快だ」という感覚は「身内と他人」意識が強い人のものだ。常連との馴れ合いを好み、必要以上に他人を警戒する。「コメントする前にちゃんとあいさつしろ」とか「コメントする人は常連になれ、自分とお友達になってくれ」というふうに高いハードルを作りたがる。
私の見るところ、強い身内意識から「通りすがり」を嫌う人はそれほど多くない。「読み逃げ禁止」とか「無断リンク禁止」といった奇妙なネットマナーを強要する人もたぶん同類だが、彼らは閉じたコミュニティを作りたがるからそれほど目立たない。

「捨てハンドルとしての『通りすがり』」を嫌う人は多い。
私もつい最近「通りすがり」氏と不毛な対話を強いられてすっかりうんざりした。「通りすがり」に対する今の印象は最悪だ。
だが、私も含めてたいていの人は「常連以外はコメントしないでくれ」と思っているわけではない。「どなたでもコメントしてください。ただし、ことさら『通りすがり』と名乗るような人は歓迎できません」というのが一般的な感覚じゃないかと思う。

そもそも、「通りすがり」は捨てハンドルとさえ認めにくい。
ハンドルネームは個人をアイデンティファイするためのものなのに、「通りすがり」はアイデンティファイを否定する意図で使われる。捨てハンドルというよりも「アンチハンドルネーム」だ。本来は「名乗るほどのものではありません」という謙遜の意味で使われはじめたのだろうが、実際は「お前なんかに名乗る名前はない」という侮蔑に感じられることが多い。これではますます「通りすがり」が嫌われる。
わざわざ「通りすがり」と名乗る意識の裏には「匿名でもいいでしょう」と責任を回避する甘えと「自分は『通りすがり』と名乗っている、個人として尊重しろ」という傲慢の二つ潜んでいる。一挙両得を狙い二兎を追う。虫が良くて身勝手だ。


ここまでは「通りすがり」に否定的なことを書いてきたけれど、正しく使われれば「通りすがり」の捨てハンドル(アンチハンドル)はそれほど不快ではないし、むしろ「粋な人だ」と好感を持つことだってある。

たとえば批判や罵倒コメント。もちろんどちらも嫌なものだが、「通りすがり」の野次であれば無視しやすい。
知り合いに「あなたの意見は間違っている」と批判されたらちゃんと聞いて反省したり反論することが期待される。無視するのはとても失礼だ。知り合いじゃなくても、ちゃんと名前を名乗って批判してくる人をないがしろにはしにくい。
だが、「通りすがり」の捨てハン(アンチハンドル)であれば「なんだこいつ、名前も名乗れない卑怯者じゃないか」と無視できる。同じ「あなたは間違ってます」「お前はバカだ」と言われるのでも、名前のある誰かに批判されるのと「通りすがりの卑怯者」に言われるのとではダメージがずいぶん違う。罵倒されるなら「通りすがり」のほうがいい。もちろん罵倒なんかされないほうがいいけれど。

批判や罵倒ではなく普通のコメントの場合はどうだろう。文字通りの「通りすがり」で一回限りのコメントを書くなら不快ではない。一回限りのコメントは「書き捨て」などと呼ばれて嫌われがちだが、「通りすがり」と「書き捨て」は相性がいい。
たとえば私が「A」という意見を書いたとき、「B」や「C」の意見をもつ人が名前を名乗ってコメントすると「この人は議論を求めているのか、『果たし状』をつきつけられたのか」と思って身構えてしまう。相手が書き捨てのつもりだったら身構えるのは無駄で、「なんだよ、書き捨てるなら『通りすがり』でいいじゃないか」ということになる。
対話や議論がしたいときは名前(ハンドルネーム)を名乗り、コミュニケーションを求めないなら「通りすがり」で済ませる。そういう使い分けは悪くない。

誰かにちょっとした親切をしたいときに使われる「通りすがり」は粋だ。
ズボンのチャックが開いているときいきなり「私は山田奈緒子と申しますが、あなた、チャックが開いてますよ」と注意されたらびっくりする。「ご親切ありがとうございます。 …ところでどちらの山田さんでしょうか?」と不審にさえ思う。こういうときは匿名に徹して「チャック開いてますよ」と耳打ちしたらさっと姿を消すほうがいい。
ネットでは誤字や誤用の指摘など「通りすがり」が本領を発揮する場面だ。「『汚名挽回』は誤用です。『名誉挽回』か『汚名をそそぐ』じゃないでしょうか」と注意してもらうなら、まともに名乗る人よりも「通りすがり」や「名無し」さんのほうがありがたい。名乗って行う親切よりも匿名の親切のほうが粋だ。


思いつくまま書いてきたが、最後に箇条書きにしてみよう。

 ・ 「通りすがり」は捨てハンというよりも「アンチハンドルネーム」
 ・ 「通りすがり」が嫌われるのは使われ方が悪いから
 ・ 書き捨てや「小さな親切」のとき「通りすがり」は役に立つ
 ・ 「通りすがり」を毛嫌いするよりも正しい使い方を考えたほうがいい

ご成長ありがとうございました。



参考記事
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