どうやら世間ではビデオを流出させた(と自白した)海上保安官を擁護する声が高いようだが、血の気の薄い私には理解しがたい。
私にとって今回の「流出」事件がよろしくないのは明白だ。治安を預かり、機密情報を扱う公務員としての基本的な倫理をないがしろにしている。たとえるなら、銀行員が客の金を勝手に流用するのと同じくらいダメだ。どんなに気に入らない客だろうと、流用を正義だと信じたとしても、そんなことを正当化したら業界全体の信用に関わる。「流出」海上保安官を擁護する人は、彼以外の真面目な海上保安庁官の顔に泥を塗っているようなものだ。
「流出」を擁護する論理には二種類あるはずだが、どうもごちゃ混ぜにされている。
まず一つ目は、「流出ビデオは特に秘密にする価値がないものだ」「公開は当然だ」とするもの。私が擁護するとしたら(実際は擁護しないけれど)こちらの論法を使うだろう。専門家の中にもこの点から「流出」海上保安官を起訴し有罪に持ち込むのは難しいとする見方がある。
だが、この論法なら「流出」海上保安官を英雄視するのはおかしいのである。「何も秘密にすることじゃない」「ビデオを入手した誰でも(公務員でも)Youtubeにアップして問題ないし、そうすべきだ」ということであれば、件の主任航海士はたまたま最初にアップロードしただけで、もてはやすほど特別でも偉くもない、ということになる。
二つ目の論理は「これは内部告発だ」とするもの。政府が悪事を働き国民に情報を隠しているような場合であれば、私も大いに内部告発を賞賛する。だが、典型的な内部告発は嘘を暴き、所属組織にダメージを与えるものである。今回の流出ビデオはその意味で内部告発とは言えない。衝突事件の後で前原外相は「ビデオを見れば中国側に非があることは一目瞭然」と語っていたが、実際にビデオを見た国民のほとんどが同じ感想を抱いたはずだ。政府はビデオの画像を公表しないことを選択したけれど、別に嘘をついたわけではない。
仮に流出が内部告発だとしたら(無理があるが)英雄視されるのも不思議ではない。正義のために組織と同僚を裏切ってわが身を危険に投じるのだから大いに賞賛に値する。
最初の論法(ビデオを秘密にする意味がない)と二番目の論法(内部告発であり英雄的だ)はほとんど矛盾しているのだが、「流出」海上保安官を擁護し賞賛する人たちはちっとも気にしていないようだ。そのあたりやはり擁護論は感情的で危なっかしい、と思ってしまう。
仙谷氏:海保職員による映像流出、故意なら由々しい事案(Update2) - Bloomberg.co.jp
仙谷氏はやたらと強気だが、私には「けじめのついたしかるべき措置をしてもらいたい、という健全な国民が圧倒的な多数」とも思えない。人数的には「しかるべきけじめ」論のほうが多いとしても、人数と熱意を掛け合わせたエネルギー量では「寛大な措置を」「罰するな」派のほうが上回っているのではないか。仙谷氏がsengoku38処罰に熱意を燃やせば燃やすほど世論はsengoku38擁護に傾きそうである。
2002年に当時の田中真紀子外相が更迭されたときのことを思い出してしまう。あのとき世論の圧倒的多数(たしか8割くらい)は真紀子外相支持だった。私は「あんなメチャクチャな人を外務大臣にしておくなんてとんでもない、更迭は当然だ」と考えていたから気が滅入った。
あのとき田中氏は「もっとヤレヤレ、と仰るから、前に進もうと思ったら、どうもつっかえて進めないんですよね。で、後ろを振り返ると、スカートの裾を踏んでいたのが、けしかけた張本人だった」という名(迷)セリフを残したが、「流出」主任航海士氏の「映像は元々国民が知るべきものだ。国民の倫理に反するなら甘んじて罰を受ける」という発言も同じくらい「カッコいい」。
参考 海上保安庁に『英雄』は要らない-蒼き清浄なる海のために
私にとって今回の「流出」事件がよろしくないのは明白だ。治安を預かり、機密情報を扱う公務員としての基本的な倫理をないがしろにしている。たとえるなら、銀行員が客の金を勝手に流用するのと同じくらいダメだ。どんなに気に入らない客だろうと、流用を正義だと信じたとしても、そんなことを正当化したら業界全体の信用に関わる。「流出」海上保安官を擁護する人は、彼以外の真面目な海上保安庁官の顔に泥を塗っているようなものだ。
「流出」を擁護する論理には二種類あるはずだが、どうもごちゃ混ぜにされている。
まず一つ目は、「流出ビデオは特に秘密にする価値がないものだ」「公開は当然だ」とするもの。私が擁護するとしたら(実際は擁護しないけれど)こちらの論法を使うだろう。専門家の中にもこの点から「流出」海上保安官を起訴し有罪に持ち込むのは難しいとする見方がある。
だが、この論法なら「流出」海上保安官を英雄視するのはおかしいのである。「何も秘密にすることじゃない」「ビデオを入手した誰でも(公務員でも)Youtubeにアップして問題ないし、そうすべきだ」ということであれば、件の主任航海士はたまたま最初にアップロードしただけで、もてはやすほど特別でも偉くもない、ということになる。
二つ目の論理は「これは内部告発だ」とするもの。政府が悪事を働き国民に情報を隠しているような場合であれば、私も大いに内部告発を賞賛する。だが、典型的な内部告発は嘘を暴き、所属組織にダメージを与えるものである。今回の流出ビデオはその意味で内部告発とは言えない。衝突事件の後で前原外相は「ビデオを見れば中国側に非があることは一目瞭然」と語っていたが、実際にビデオを見た国民のほとんどが同じ感想を抱いたはずだ。政府はビデオの画像を公表しないことを選択したけれど、別に嘘をついたわけではない。
仮に流出が内部告発だとしたら(無理があるが)英雄視されるのも不思議ではない。正義のために組織と同僚を裏切ってわが身を危険に投じるのだから大いに賞賛に値する。
最初の論法(ビデオを秘密にする意味がない)と二番目の論法(内部告発であり英雄的だ)はほとんど矛盾しているのだが、「流出」海上保安官を擁護し賞賛する人たちはちっとも気にしていないようだ。そのあたりやはり擁護論は感情的で危なっかしい、と思ってしまう。
仙谷氏:海保職員による映像流出、故意なら由々しい事案(Update2) - Bloomberg.co.jp
仙谷氏はこの職員への対応について「犯罪がもし発生しているとすれば、刑罰も含めて、行政罰もしかるべく行為の質と量に応じて行わなければならない。徹底した捜査に基づいて処分を行う必要があれば行う」と指摘した。
世論は職員に寛大な措置を取るよう求める声が多いとの質問に対しては「国民のうちの過半数がそう思っているとはまったく思っていない。いろんな事件が起これば、けじめのついたしかるべき措置をしてもらいたい、という健全な国民が圧倒的な多数だと信じている」との見方を示した。
仙谷氏はやたらと強気だが、私には「けじめのついたしかるべき措置をしてもらいたい、という健全な国民が圧倒的な多数」とも思えない。人数的には「しかるべきけじめ」論のほうが多いとしても、人数と熱意を掛け合わせたエネルギー量では「寛大な措置を」「罰するな」派のほうが上回っているのではないか。仙谷氏がsengoku38処罰に熱意を燃やせば燃やすほど世論はsengoku38擁護に傾きそうである。
2002年に当時の田中真紀子外相が更迭されたときのことを思い出してしまう。あのとき世論の圧倒的多数(たしか8割くらい)は真紀子外相支持だった。私は「あんなメチャクチャな人を外務大臣にしておくなんてとんでもない、更迭は当然だ」と考えていたから気が滅入った。
あのとき田中氏は「もっとヤレヤレ、と仰るから、前に進もうと思ったら、どうもつっかえて進めないんですよね。で、後ろを振り返ると、スカートの裾を踏んでいたのが、けしかけた張本人だった」という名(迷)セリフを残したが、「流出」主任航海士氏の「映像は元々国民が知るべきものだ。国民の倫理に反するなら甘んじて罰を受ける」という発言も同じくらい「カッコいい」。
参考 海上保安庁に『英雄』は要らない-蒼き清浄なる海のために