中国自動車道、山口県のSAで思わず目に止まったのがこのネーミングの菓子。
武蔵と付くネーミングで一般的に多いのは武蔵側の立場で付けられたもの。
ところが、この菓子のネーミングは明らかに小次郎側のものだ。
それが目に止まった理由だった。
商品化されるものには勝者のネーミングを付けるのが普通である。
勝者にあやかって商品も売れるようにという願いもあるだろうし、敗者の名前はゲンが悪いという気がするに違いない。
それを思い切って敗者の側で付けたネーミングという点に引かれた。
もしかすると最近商品化した菓子かもしれない。
遅れて商品化した菓子だから、遅れた菓子、遅い菓子、「遅いぞ武蔵」となったのか。
そんなことを考えさせる菓子である。
パッケージのデザインもいい。
感心しながら他にも見ていたら「巌流焼」というのもあった。
「巌流焼」と「遅いぞ武蔵」の違いは餡が白餡か黒餡かだ。
結局、白餡、黒餡の両方入ったものを買った。
中身はいわゆるどら焼きである。
パッケージの中には巌流島と両者の決闘に関するいわれが書かれている。
「宮本武蔵」は吉川英治の小説で有名になったが、小次郎のことを描いた小説もある。
村上元三の「佐々木小次郎」である。
武蔵の養子、宮本伊織が小倉の手向山に建てた碑文には「両雄同時に相まみえ」とある。
伊織が身内びいきからそう記したといえなくもないが、武蔵が決闘の場に2刻も遅れてきたというのはいくらなんでも信じられない。
1刻はいまの時間で2時間だから、2刻といえば4時間になる。
(この辺りのことについては私のHP内の「栗野的視点2」で書いているので、そちらを参照していただきたい)
仮にこの商品を「下関銘菓どら焼き」としていたら売れるだろうか。
恐らくノーだろう。
餡が違う、大きさが違う、といっても、それは消費者にとって差別化にならない。
消費者の感覚は「どら焼き」という概念の中で捕らえるからである。
結局、中身によほど個性がなければ商品のネーミングやパッケージ、販売方法によって売れる売れないが決まるのである。
そういう意味、大いに感心した商品だった。
武蔵と付くネーミングで一般的に多いのは武蔵側の立場で付けられたもの。
ところが、この菓子のネーミングは明らかに小次郎側のものだ。
それが目に止まった理由だった。
商品化されるものには勝者のネーミングを付けるのが普通である。
勝者にあやかって商品も売れるようにという願いもあるだろうし、敗者の名前はゲンが悪いという気がするに違いない。
それを思い切って敗者の側で付けたネーミングという点に引かれた。
もしかすると最近商品化した菓子かもしれない。
遅れて商品化した菓子だから、遅れた菓子、遅い菓子、「遅いぞ武蔵」となったのか。
そんなことを考えさせる菓子である。
パッケージのデザインもいい。
感心しながら他にも見ていたら「巌流焼」というのもあった。
「巌流焼」と「遅いぞ武蔵」の違いは餡が白餡か黒餡かだ。
結局、白餡、黒餡の両方入ったものを買った。
中身はいわゆるどら焼きである。
パッケージの中には巌流島と両者の決闘に関するいわれが書かれている。
「宮本武蔵」は吉川英治の小説で有名になったが、小次郎のことを描いた小説もある。
村上元三の「佐々木小次郎」である。
武蔵の養子、宮本伊織が小倉の手向山に建てた碑文には「両雄同時に相まみえ」とある。
伊織が身内びいきからそう記したといえなくもないが、武蔵が決闘の場に2刻も遅れてきたというのはいくらなんでも信じられない。
1刻はいまの時間で2時間だから、2刻といえば4時間になる。
(この辺りのことについては私のHP内の「栗野的視点2」で書いているので、そちらを参照していただきたい)
仮にこの商品を「下関銘菓どら焼き」としていたら売れるだろうか。
恐らくノーだろう。
餡が違う、大きさが違う、といっても、それは消費者にとって差別化にならない。
消費者の感覚は「どら焼き」という概念の中で捕らえるからである。
結局、中身によほど個性がなければ商品のネーミングやパッケージ、販売方法によって売れる売れないが決まるのである。
そういう意味、大いに感心した商品だった。
速解!“売れる商品を創る”開発マーケティング50のステップ石川 憲昭日刊工業新聞社このアイテムの詳細を見る |