波佐見の狆

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博多・下関・宮島の旅その2

2013-05-29 18:49:33 | 平清盛ほか歴史関連

1.関門海峡を船でわたる

博多駅から下関へ行くには、幾通りかの経路があります。当初は、てっとり早くJRを利用して、陸路で関門トンネルを通過するつもりでしたが、 門司港駅そばの桟橋から連絡船が頻繁に出ていて、門司港~下関(唐戸)が5分だというので、門司港までJRで行って、桟橋へ向かいました。

一刻も早く、憧れの関門海峡を見たい、と気もそぞろだったから・・・

ボートという感じの小さな船ですが。。。こんな感じで速い速い・・・・

ああ、、ついに関門海峡にやって来た、ここに一門が散ったのだなあと思うだけで、早くも目が潤んでくる私です・・・

唐戸桟橋に到着すると、目の前が、本日の宿「下関グランドホテル」の裏口になっており、さっそく入って荷物だけ預け、散策へ。

2.赤間神宮詣で

何をさておき、まずは平家一門のお墓詣りをしなければ!というわけで、赤間神宮へ出かけました(ホテルから徒歩圏内です)。安徳天皇を祀る神社で、耳なし芳一の話の舞台ともなったところです。詳しい歴史などは、神社の公式サイトなどで読んでいただくとして・・・

この美しい水天門が目に入った途端、ああ、竜宮城とはまさにこれだったのだと、私は感慨深く思いました。

『(古典)平家物語』によれば・・・二位之尼と安徳帝の後を追って入水するも源氏により引き上げられた建礼門院徳子が、京へ護送される船のなかで、夢を見ます。そこは竜宮城で、清盛をはじめ一門の皆が幸せそうに暮していました・・・(注1)。つまり、二位之尼のいう「波の下の都」です。『平清盛』でも、最終回の最後のシーンがまさにこれでしたね・・・

★ 安徳天皇を偲ぶ

水天門を入り、一門のお墓はどこかなときょろきょろしていると、次に目にはいったのが、これです。

そうでした・・私は一門のお墓のことばかり思っていましたが、そもそもここは、安徳天皇の御陵があるところなのです。帝のお墓に手を合わせるのが先決でした。

これが安徳天皇の御陵で、中に入ることはできません。素朴ながらも厳かな雰囲気です。生後まもなく即位し数え8歳(つまり6歳)で入水しなければならなかった薄幸の幼帝の御霊にぬかづく気持ちで、深く一礼・・・。

たまたま居合わせたガイドさんの話で知ったのですが帝のご遺体が、壇ノ浦の合戦の数日後に、地元の漁師の網にかかって引き上げられたのだそうで、明治時代になって宮内庁が正式にここを安徳天皇陵と指定しました。注2)

ちなみに、その漁師というのは、元は平家の家臣だった中島四郎大夫正則という人で、漁師に身をやつして平家再興を願っていたそうです。そして、その子孫である中島家というご家族が現代も、赤間神宮との関わりが深いらしい・・・下関では毎年安徳帝を偲ぶための「先帝祭」という一大祭事があるのですが、(詳細はこちらまたはこちら)、その際この中島家が重要な役割を担うのだとか。幼帝入水から800年以上も毎年続けられているのですね!下関市民が平家をいかに誇りとし大切に思っているか、よ~~くわかりました。

京都の泉湧寺所蔵の安徳天皇像。作者不明。安土桃山時代。Wikipediaより転載。

★ 平家一門の墓は供養塔

そして。。。。こちらが一門の墓所です!

テレビなどでも何度も見てはいましたが、、、、実際に自分の目で見てみると、本当にあまりにひっそりとしたわびしい墓碑でした・・・思わす、涙が・・・ともかく、お線香をあげ、手を合わせました。
 
どんなにわびしい墓所であろうと、こうして14名でも一蓮托生で眠れるのは幸せなのではなどと、つくづく思ったのですが、、、、実は、私も後から知ったのですけれど、「墓」といっても、ここにそれぞれの御遺体が眠っているというわけではなく、ここはいわゆる供養塔なのだそうです。そうだったのかぁ・・・

では、御遺体はどこに? そのことについては、後述しますね。

★ 耳なし芳一さん

この供養塔群のすぐそばに、耳なし芳一の像というのが安置されています。

耳なし芳一については、、、いろいろと考えるところがあり、また別に記事を書くつもりでいます。というのは、、、、このお話のせいで、平家の恐ろしくて邪悪なイメージが日本人に根付いてしまったのですからね・・・。

ともかく、芳一さんにもちゃんとお線香をあげてお参りしましたよ~~。

★ 見どころいっぱいの宝物殿

次は、宝物殿に入ってみました。ここは何が展示してあるのか、下調べもせずぶらりと入っただけだったのですが、、、大変貴重な展示物がびっしりで驚きました。写真は不可なので、簡単に説明しますと・・・

【重要美術品】   平家一門肖像画十幅、源平合戦絵屏風、源平合戦図絵十幅、源平合戦絵屏風 

【重要文化財】   安徳天皇縁起絵図八幅、平家物語 二十冊 長門本平家物語 などなど・・・・

中に入ってまず目につくのが、一門の肖像画です。

普段テレビやネットでみかける、たとえば知盛のこの肖像・・・これの本物が展示されているのです!!

 <Wikipediaより転載>

知盛、教盛(のりもり)、経盛(つねもり)、資盛ら、男性6名、治部卿局(じぶきょうのつぼね; 知盛の北の方)、廊御方(ろうのおんかた; 清盛と常盤の子)など女性4名合計10枚があり、どれも雅な素晴らしい絵です。合戦の屏風絵も、圧巻!! なお、これらの絵師は誰だったのか、ということは明確にはわかっていないそうですが、研究により、狩野元信をはじめとする狩野派だと考えられています(16~17世紀)。

★ おみやげ

宝物図禄と、お守りを買いました。

確か、境内でワンコの散歩とかはダメだと書いてあったように思うのですが・・(うろ覚え)、でもこんな可愛い「ペット健康お守り」があり、つい買ってしまったのです。お空の栗と恵におみやげ?!

大変充実の赤間神宮参詣となり、一門のお墓には、また明日の朝もう一度お参りに来ますね!と言って、水天門から外へ出ました。

境内側から水天門の方を見て撮ったものですが、バス通りを挟んですぐ向かいが関門海峡・・・このあたりから先がまさに壇の浦の海です・・・!

ここから階段を降りて、道路をわたり、真向かいの海を見に行きました。すると、こんなオブジェが!

3.知盛を偲ぶ「碇」モニュメント

おお、これはもしや、知盛を偲ぶためのモニュメントの一つでは、、、と思うと、詳しい案内板が二つもありました。

なるほど・・・そういうことだったのか・・・知盛さまファンとしては、本当に感無量です....

下関にやってきて本当によかった!!

4.カモンワーフ

そろそろランチでもするか、と歩いてまたホテルの方にもどり、カモンワーフというシーサイドモールをぶらぶら・・・

下関はふくの町(注3)です。こんなユニークなでっかいふくさんが、海をバックに鎮座しております(私の背丈くらいあるんだよぉ~)

というところで、「その2」はここまで。「その3」に続く・・・・(下関旅行記がまだまだ続きます)。

注1)詳しくはWiki「平徳子」の大原御幸の項などにあります(こちら)。

注2) 安徳天皇の陵墓として、宮内庁が指定管理しているところは、実は他にも全国にいくつかあり、そのひとつが、長崎県対馬にも存在するとのことです。幼くして入水により崩御された帝を哀れに思う気持ちから、いろんな伝説が残っており、実は知盛とともに生き延びて大人になって崩御した、、などなど、ロマンですねえ・・・

注3) 下関では、「ふぐ」ではなくて、「ふく」という発音が好まれていて、「福」にあやかっている、とのことですが、まあ実際どちらも使っているようでしたね。