夜、晩酌をしながらぼんやりBS放送を見ていたら
徳光和夫さんが司会で立川談志の特集番組をやっていた。
高座も含めた生前の「お宝映像」を交えながら
弟子の談春が師匠のエピソードを語るという趣向だった。
彼が亡くなって以来、この手の番組はいささか食傷気味だったし
「ちょっと持ち上げ過ぎじゃないかな」という思いもあったが
意外に面白く、あらためて天才の片鱗を見た。
ただ・・・
彼の落語を聞いて笑ったことはない。
クスリとはしても、心から笑ったことがない。
確かに天才だと思うし、面白い落語家だとは思うが
笑いの「カタルシス」を味わったことは残念ながら一度もない。
こんなことを言うと談志ファンのお叱りを受けそうだが
しょせんは「インテリ好みの話芸だな」と思う。
「笑いは人間の業の肯定だ」というのが持論だった。
落語協会を脱退して「立川流」を設立したことも含めて
破天荒な行動やアナーキーな発言で常に話題を提供してくれた人だ。
しかし、それはあくまでも彼の生き方のスタンスであって
そんなことは落語とは何の関係もないことだと思う。
落語はいかに客を笑わせていい気分にさせられるかだと思う。
東京の人はどうしてここまで彼の芸を有り難がるのか
正直言って、ずっと疑問だった。
そんな談志と対極にあるのが上方落語の桂枝雀ではないだろうか。
ご覧のように芸そのものが躍動的で破天荒。
時にはオーバーアクションで徹底的に客を笑いの渦に巻き込む。
一門の落語会はつねに大入り満員の盛況で
終演後も拍手が鳴りやまず、カーテンコールがあったことも再三だった。
もちろん「人気」がすべての尺度ではない。
人気という点で言えば談志も負けず劣らずの人気があったと思う。
しかし、人気の質が根本的に違っていたような気がする。
私も何度か枝雀の落語会に出かけたことがあるが
思い切り笑わせてもらったなあ・・・という気持ちのいいカタルシスがあった。
落語とはそうあるべきだ、そうあって欲しいと思うのだが
私の偏狭な落語観だろうか。
上方落語界きってのインテリで知られていた。
神戸大学出身で文学や哲学にも造詣が深く、英語落語の先鞭もつけた。
それより何より「笑い」を追求する姿勢はすさまじく
つねにブツブツと「ネタ繰り」(落語の練習)をしながら街中を歩き回るので
気味悪がられて警察に通報されたことも一度や二度ではない。
それ故に重度の「うつ病」を患い、高座から遠ざかることも多かった。
「笑いは緊張の緩和」というのが持論だったが
長い苦悩と迷いの中でようやく「ふっきれた」境地だったのだろうか。
それだけに「自殺」という芸の幕引きはなんとも残念だった。
談志と枝雀。
単純に比較できる存在ではないのだが
そこにはやはり東西の「笑いの質の違い」があるのかも知れない。
二人とも命がけでトコトン自分だけの「笑い」を突き詰め続けたという点では
まぎれもなく天才だったと思う。
枝雀は何度か自分の番組に談志を招くなど
彼の芸に学ぼうとする姿勢は強かったようだが
談志は「体質的に合わない」と枝雀を余り認めてなかったようだ。
それもある意味、東西の気質の違いだったと言うべきか。
しかし、ライバルの志ん朝が亡くなり、枝雀の悲報に接した時に
「死んでしまわれちゃ勝負にならない」と涙ぐんでいた姿が印象的だった。
天国であらためて東西の「話芸対決」をして欲しいものだ。
二人ともすでに鬼籍に入られましたが
みごとに対照的な素晴らしいエンターテナーだったなあと、あらためて思う日々です。
俳優・枝雀の作品はいろいろ観ましたが「ドグラ・マグラ」は観たことがありません。
原作は夢野久作の難解(?)小説ですよね。
ただ、私の周囲にはこの映画の枝雀の「怪演」ぶりを絶賛する人が多く
ぜひ一度、観てみたいものです。
中学、高校時代、文化祭に行くと、かならず彼を真似する少年がいました。
自民党から選挙に出た頃から興味を失いました。
「落語は業の肯定」というのも、自分の身勝手な行動の言い訳のようで、私は肯定できません。
無条件に面白いとは言えないのです。
桂枝雀は、そう見ているわけではありませんが、天性の落語家だったように思えましたが、最後を考えるとよくわかりません。
彼が出た映画に松本俊夫監督の『ドグラ・マグラ』があり、これは本当に頭がひっくり返るような作品でした。美術の木村丈夫さんによれば、初稿はもっと分からない話だったそうですが、一見する価値はあると思っています。
私は個人的に「苦悩時代」の枝雀さんを多少存じ上げていますが、自分の笑いについて本当に苦しんで悩んで、もがき続けて、漸くあの「境地」にたどり着いたような気がします。言わば無類の努力型だった訳で、決して「狂気」の人ではありませんでした。違った意味で狂気に走って命を縮めてしまわれた訳ですが・・・確かにある意味では談志さんも同じだったかも知れませんね。
落語家の評価は「好み」もあって難しいですが、誰が好きかと言われると、やはり五代目松鶴の芸はハラハラしながらもグイグイ惹かれましたし、春蝶さんの「色気」は出色でしたね。とくにタイガースのまくらはいつも大笑いで興奮しました。早くに亡くなられて残念な限りです。
雀々はは確かに「天性」のものがありますし、枝雀さんをこえるのは彼かも知れませんねえ。
江戸落語はあまりなじみがありません。そんな私でも認める江戸落語家がいます。談志と志ん朝と談志の師匠の小さん師匠。この3人の落語は江戸落語ですが聞きます。
談志はまろさんがおっしゃるように、インテリを対象にした落語でしょう。だからどうして「語りたい」という欲求が談志にはあったのでしょう。だから、まくらが長くなることが多かったのではないでしょうか。とはいえ談志落語は圧倒的な技術と計算のたまものでしょう。
枝雀も、もちろん私も大好きで、独演会にも何度か行きましたし、主要な噺はほとんどDVDで持ってます。確かに枝雀は「浪速の爆笑王」の名にふさわしいでしょう。
でも、枝雀は一見天衣無縫に見えるが、きっちり計算された精密機械のような落語ではないでしょうか。枝雀は「狂気」に走ったことがありません。
弟子の雀々や笑福亭福笑は一線を超えたなと思うときがあります。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/4140f8f90181903e6fe54cc9456a5b19
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/bea3958d6e6752ec9bf829012e6f2141
談志と枝雀、双方とも計算された精密機械落語ということで似ているのではないでしょうか。
そういうお話を聞くとうれしいです。
枝雀さんは役者としても非凡でドラマにもずいぶん出ておられますが
本当に惜しい才能だったなあと、今さらながら思います。
枝雀さんと同時代に桂春蝶さんという落語家がいます。
この方ももう亡くなられましたが大ファンでした。
機会があれば一度・・・
なかでも、最近のお気に入りは枝雀です。
テンポの良さ、繰り返しの巧さ、笑わせ方……。
さすがです。