くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

高村外相の「盲言」: この際閣僚辞職、自民党離党で政治家としての「本道」を歩むべし!

2008年01月20日 | Weblog
高村外相いわく、衆院解散は「任期満了が憲法の本道」だとか。

この人、弁護士資格を持ついわゆる法律の専門家のはずだが、それでもってこういうこと平気でいうかなあ・・・? まあ、この発言は政治家としての発言として受け止められるべきなんだろうけど、それにしても、立法府に身を置く者としても「おバカ」発言ですな。

4年の任期を得て総選挙を行うことが憲法上の衆院の本道であるならば、同じ憲法に明記された首相の解散権は憲政の本道ではないということになる。であるならば、内閣不信任案が決議された場合に、首相が解散・総選挙を決断した場合も、これは「本道」ではなく、総辞職こそが「本道」という解釈も可能になる。ただし、その憲法に不信任案が議決された場合におけるそれら二つの選択ははっきりと明記されている以上、つまりいずれも合憲である以上、内閣不信任案の議決、さらにはその提出そのものが憲法の「本道」ではないいうことを示唆することになりはしないか。

また、任期満了に伴う解散こそが「本道」であるとして、それがやはり憲法に規定されている衆院の優越を否定することにはならないが、その根拠を幾分弱めることにもなりはしないか。4年という衆院の任期は言うまでもなく参院の6年よりも短い。すなわち、衆院は参院にくらべより頻繁に民意の審判を受けねばならない。言いかえれば、その任期の短さゆえに衆院の議席状況は、参院以上に民意を反映したものということが言える。それが優越の根拠の一つのはずだ。ただ、同時に解散というものがあり、解散のない参院よりもこれまた同じくより民意を反映する立場にあることも、衆院に優越的立場が与えられるゆえんではないのか。それにもかかわらず、任期満了以外の解散・総選挙を「本道」ではないとする高村氏の発言は、衆院の優越をも危うくするものであり、憲法の趣旨をも危うくしかねない。

更に言うなれば、高村発言は、これまでの歴代自民党総裁すなわち歴代総理の多くを批判するものでもあり、しいてはこれまでの政権党としての自民党の所業を批判したものとも受け取れる。近くは小泉総理に例をあげるまでもなく、これまで何人もの総理が解散・総選挙をおこなってきたではないか。これも憲法の「本道」ではないというのであれば、結党以来長くそして繰り返し自民党は「わき道」か「けもの道」かは知らぬが「本道」ではない憲政にもっぱらしてきたことにはなりはしないか。高村発言は自民党の歴史そのものを断罪したものとして評価されてもいたしかたあるまい。自らの属する政党をそこまで言うのであれば、閣僚辞職は言うに及ばず、離党してはいかがか。それこそ、政治家、法律家として歩むべき「本道」ではないのか。

いやしくも一派閥の領袖であり、かつ外相の重責にある者が、政治的下心丸出しの軽々しい発言をするものではない。まるで下帯一枚で袴もはかず公道を闊歩するような恥ずかしい発言だ。

しかしながら、高村正彦という政治家が所詮この程度のもの、ということが明らかになったという点では評価にあたいする出来事であるかも知れない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 福田総理、大陸でバカをさら... | トップ | 福田和也という人 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事