くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

新型アコードに見るホンダの”病”の深刻さ

2012年08月11日 | Weblog
クーペのコンセプトを見て、「大丈夫か」と思ったものだが、やはり・・。悪い予感は的中した。

またもや、カムリに続き随分とコンサバなデザインで攻めてきたものである。

確かに、ヒュンダイソナタのデザインは好き嫌いがはっきりする。かつて、斬新さでこけたフォード・トーラスという例もある。

が、個別の車種の販売台数うんぬんということだけではなく、メーカーのブランドイメージとか、それが市場において及ぼす影響とかを考えた場合、「無難」路線ばかり追求するというのは、長い目で見て果たして
利口な選択と言えるのだろうか。

トヨタがそれをするなら、いかにもトヨタらしいで納得してしまうのだが(かといってあの会社の将来にとって良い目が出るとも思えないのだが)、ホンダの場合は・・。

この会社、かつては今のようなことはなかったと思う。が、近年特徴のない、良い意味での「らしさ」のない車ばかり出してくる。それが米国で酷評されたシビックであり、そして今回のアコードということになる。
以前から感じていたが、この会社は明らかに「大企業病」的な症状を呈している。かつて知人の社員は、自由闊達の社風を自慢していたが、どうやら近年この会社は意思決定プロセスに問題があるように思えてならない。遅いのだ、遅い。世の中がよく見えていないのではないかとすら感じる。そのせいか、自社独自の「イズム」みたいなものが、宗一郎以来のそれをことあるごとにひけらかすところがある。が、実は、もう創業者の精神などほとんど残っていないのではないのではと疑わざるを得ない。味方によっては、もう創業者がどうのとかいう「昔の名前で出ています」みたいな発想それ自体捨ててしまった方がよいのかもしれない。

新型アコードがホンダという企業の病を象徴しているとすれば、それは外装の目新しさの無さ(まったくないといっても過言ではあるまい)、つまらさなのみならず、内装のバラバラさ、とりとめのなさにも表れている。一体、この車はどういう開発プロセスを経て出てきたものなのか。旧型アコード同様、ぎりぎりまですったもんだした挙句の陀あ今日の産物ではないのか。

いまや生産台数は現代の半分以下。

国内市場では鳴かず飛ばず。欧州市場においても、ホンダ車は見る影もなきに等しいありさま。北米でも今のままでは早晩・・・。

いい加減に宗一郎の残像にしがみついて、「ウチは他とは違う」みたいな妄想から解き放たれないと、やばいと思いますよ、この会社。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ZIPPEIの悲劇 | トップ | 渡辺淳一の反天皇論: 『週... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事