くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

今の中国に思うこと: 50年代の毛沢東の”愚”を繰り返していないか?

2012年10月08日 | Weblog
50年代末、中国は三面紅旗の呼び声のもと、総路線、大躍進、人民公社の三大政策をまさに”国家総動員”で推進しようとした。

いうまでもなく、その旗振り役は毛沢東である。

しかし、こうした社会主義建設計画は、地方を中心に2000万とも3000万いや4000万ともいわれる犠牲者を出して失敗に帰して終わった。結果、毛は国家主席を辞し、劉少奇、小平の指導の下、「調整政策」によって疲弊した経済社会の回復を計ることになる。(が、間もなくして再び毛により文化大革命が発動される)

大躍進が発動される前、中国共産党内では、社会主義経済建設のアクセルをいっぱいに踏み込もうとする毛に対して、それを「冒進」であるととして反対する声が存在した。周恩来も「反冒進」の立場をとる指導者のひとりであった。が、毛の怒りに触れ、自己批判をもって反対論を引っ込めるた。おそらく、周が毛に対して公然と反対論を唱えたのは、これが最後になったのではないだろうか。以後、周は文革期も瓦解の淵に立たされた国家行政組織を一人守り抜きながらも、文革そのものに対して異を唱えぬままその生涯を閉じる。


今の中国を見ていると「冒進」の言葉を思い出す。毛の時とは方向性が違うとの指摘もあろう。いや、理論上、実は同じ方角を向いた
「冒進」なのである。いずれも共産主義を最終目標に据えて社会主義建設の一環という位置づけになるのだ。ただこれはあくまでも、理論上での話であり、実際には、小平による改革開放以来の流れつなわち社会主義市場経済建設は、事実上社会主義を破壊し、否定する行為とみるのが適当であろう。それはさておき、大躍進も社会主義市場経済も常軌を逸しているとしか言いようがない。しかし、管見の限り今現在公然と後者を「冒進」として批判する声を中共指導部に聞かない。「竹のカーテン」に囲まれたブラックボックスの中での話など当然のことながら聞こえようもないのは当然である。大躍進の実態も、文革の実態もそれを我々が知り始めたには、随分たってからのことだった。薄熙来がいるではないか?いや、実のところ彼自身「冒進」の恩恵にあやかってちゃっかり巨万の富をなした高幹の一人であったのだ。

「冒進」の果てが中国人民にとっても、そして国際社会にとっても用意ならざるものになることを、そしてその「果て」がそう遠くはないことを、我々も覚悟しておくべきであろう。







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