くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

右太衛門の「旗本退屈男」

2010年08月09日 | Weblog
今時代劇専門チャンネルで右太衛門のTV版「退屈男」が放映中である。

実は、この番組、昭和48年に放映されたもので、私をその時見ているのである。既にその時分、まだ物心ついてまもないころであったが、時代劇好きであった。どういうわけか子どもの頃から明治維新以来の「近現代」を当時歴史的背景など知るよしもないのに生理的に嫌う傾向があった。西洋とか東洋、和風、洋風などというものの区別がつかない年頃であったが、いわくいいがたく洋物やそれ風のものに対する違和感を感じていたのである。時代劇を好み、やがては歌舞伎を好むようになるのは当然の帰結だったのかもしれない。

だが、「退屈男」は嫌いだった。なんなれば、右太衛門が嫌いだったのだ。役柄と衣装に不釣り合いな年化柄と容貌、そして周囲から浮いた演技がダメで、子どもながらに、「この退屈男、かっこわるい!」と言っていたことを、自分ながらに覚えている。よもや、それが一世を風靡した「御大」だとは当時知るよしもなかったのである。

しかしその後、週末にしばしば放送された映画版「退屈男」を見るようになってからは、かえってあの大時代な顔かたち、化粧、演技に魅せられるようになっていった。その理由は簡単で、当時80年代の初めからなかばであったが、TV時代劇は私が子どもの頃から生理的というか本能的に嫌っていた「近現代」の臭い、雰囲気が強まりつつあったからである。千葉真一の「影の軍団」シリーズ等その最たるものと感じ、あれはもはや時代劇ではないとすら思っていた。「影の軍団」に限らず、特に女優陣から時代味が消えていくことが非常に気になった。これに対して「退屈男」はじめ古い時代劇映画は、変質しつつかつ衰退しつつある時代劇へのアンチテーゼのように思え、私はそれに楽しむとともに、いつしかTV番組字よりは若いということもあったのだろうが、それでもその時ですらもう十分に「退屈男」の出で立ちには無理があった右太衛門が好きになっていた。あの「大きさ」はまさに画面のなかでも「御大」であり、当時すでにあれだけの存在感を示す時代劇役者は希少価値的な存在となっていた。

それから更に30年近くが過ぎ再びTV版「退屈男」に出くわした。当時右太衛門は60半ばを過ぎ、やはり子どもの目にはウソをつけないものだ。今見ても、正直滑稽さを禁じえない。いでたちから演技まですべてが「浮いて」いるのである。しかしながら、「浮いて」いるからこそよりその存在が際立ち、しかもその原因は右太衛門にあるのではなく、周囲の共演者に、変質しつつある時代劇に、そして日本社会そのものにあるのではないかと、今は、思うのである。

あの台詞回し、立ち居振る舞い、表情、どれもが古めかしく、大時代なのである。しかし、動きの一つ一つが決まっているのである。立ちまわりはさすがである。時代劇が本来持つべき「劇画」性がそこには濃厚に含まれているのである。要するに、見ていて気持ちが良いのだ。

後年、息子の北大路欣也が「退屈男」を演じたが、それは時代の要請というものもあって致し方なかったのであろうし、制作側もそう考えたからにそういないが、実に「近現代」的な雰囲気のもので、父親のそれとは随分違っていた。私としては、あえて北大路には濃いー化粧で父親移しの大仰な演技をしてもらいたかったと思う。むしろそのほうが、年配者は昔を懐かしみ、若い父親を知らない世代は、見慣れぬ演技にむしろ新しさを感じたのではないだろうか。残念ながら、北大路の「退屈男」が私に残したものは、フラストレーションだけであった。

先日ももう一人の「御大」千恵蔵の大石に、千恵蔵のニンでは必ずしもないとは思いつつも、その時代味と存在感に感服したものだが、右太衛門の退屈男にも、同じものを感じ、この酷暑のなか、いくばくかの清涼の感なきにしもあらずなのである。

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