くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

親の因果が子の因果: 127人の無戸籍児

2008年01月22日 | Weblog
無戸籍児が、「道府県庁所在地と政令指定都市の計50市と東京23区に、少なくとも127人いることが毎日新聞の調査で分かった」とのこと。

その原因は、離婚前妊娠。前夫との離婚前とのやりとりでできた子である場合もあれば、前夫以外の男の子である場合もあろう。今どきDNA検査で簡単に判明することだ。

前者の場合はさておき、後者の場合、いわゆる不義密通の果てにできた「不義の子」。生まれながらの将軍ならぬ、生まれながらの不義の子というわけだ。

子供は親を選べるから子供に罪はない。無戸籍問題は法制度的に何とかせねばなるまい。

しかしながら、不義の子であることは厳然たる事実だ。社会通念上許されぬ形でこの世に得た生というわけだ。それゆえ、差別はいけないと声高に叫んだところで、人生において幾多の不利益を被るであろうことは想像に難くはあるまい。

私の子がそんな「不義の子」と結婚したいなどと言ってきたら、成人の婚姻は本人の自由だからいかんともならばいが、断固反対だ。祝福も援助もするつもりはない。

血や育った家庭環境というものは怖い。不義を働いた親の知をひき、不義をなした親に育てられた子供が、親と同じ所業を繰り返して自分の家庭を壊したケースを私は一つならず見てきた。その一例が私の小学校の同級生の元妻だ。男に走った母親に捨てられた女が、同じく母親になってから不倫に走り我が子を捨てた。あるいは、家庭や家族など見向きもしなかった父親をもった娘は、やはりささいなきっかけで突然子供を捨て、家庭を崩壊に導いた。

不義者の子供がすべからくまっとうに育たぬとは言うまいが、確率的に道を踏み外す可能性は高いと思っている。であれば、我が子にそのようなリスクを背負って欲しくはないし、またそのような危険因子をもった人間を身内にしたくはない。

これを差別だ、偏見だというのであれば、言うがいい。私は一向に気にしない。
地雷があるかもしれないとわかっている場所に、恋愛感情などという一時のもの、いつ醒めてもおかしくないものにつきあって、足を踏み入れるつもりはない。不倫などなんだので離婚、家庭崩壊となったとき、その被害を被るのは当の本人たちだけではないのだ。

不義者の子は哀れだ。望まずして、親の因果を背負わされる。いや、誰でもそうだ。産声を上げた瞬間から親の因果、先祖の因果を背負って生きていく。不細工な両親の下に生まれて、美人、イケメンはあまり期待できまい。貧乏人の子に生まれて物質的な豊かさは期待できまい。遺伝病をもった家系に生まれたら、それはまたそれでその負の連鎖を背負わねばなるまい。同様に、不義者の子は、不義を働いた親の子、身もちの悪い親の子、としての烙印を背負って生きていくしかないのだ。

そうした不幸な子供たちがこの世に生を受けないためにも、不倫、姦通には法的に
厳しく対応するしかあるまい。身の下の問題に公権力が介入するのか!という反発はあえて覚悟のうえだ。不義の子はまさに、身の下の問題の所産である以上、生まれてしまってさあどうしましょうという対応策も必要だが、同時に未然にそうした不運な子供を増やさぬための方策も必要ではないのか。不倫による妊娠の場合、強制堕胎あるいは生まれた後の間引きをしろ、とまでは言うまい。そうなる以前に、自分の性欲も満足に抑制できない連中に足かせをかけろと言っているに過ぎないのだ。

社会生活上、自由というものにはおのずと制限が生じる。まさか、セックスの自由だけはその例外などということはあるまい。
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