火ぶたが切って落とされた大阪市長選、予断を許さない。まあ、橋下の力押しに役者的に風采の上がらない現職が敗れるのかなあ・・というふうには見ているが、よくわからん。
折悪しくというかなんというべきか、明らかに時を見計らっての『新潮45』の橋下特集。
芸能人同様我が身を公に晒して飯を食う人間が、その「出自」を暴かれるというのは、もうこりゃ不可避というしかない。出自を明かす理由は何か、出自で支持・不支持を決めるのか、それでは憲法違反だと叫んだところで致し方ない。アメリカでもケネディー家があれこれ言われてきたのも、JFK一人に帰するわけではなく、まあ、JFKが出て脚光を浴びたには相違ないが、やはり知られている限りにおいて「成り上がり」集団である米国の中において、その系図をたどれば紋章を持つ家柄に繋がることにもあるのではないだろうか。人は否応なく「貴」を求める。同時に「貴」に敵意をむき出しにすることもあるが、イデオロギー的背景あないのであれば、求め崇める心と、恨む心は同根をなしている。だが、「貴」を求めると同時に、「賎」にも関心をもつ。もっとも、これを求めることはせず、むしろ排斥して己の存在確認をするのだ。
今回の橋下特集は後者に属する。真実であれば、橋下氏は決して公にはされたくはないであろう出自の人だ。それは以前からあちらこちらで語られてきたことであるが、ここまで網羅的なものははじめてではないのか。そうした世間的にはニ重の意味において「後ろ暗い」出自(+ヤクザ)を持つ橋下氏が、弁護士・タレントを経て大阪府知事にまで上り詰め、更にその先を目指そうというのである。まさに「時代の寵児」であり、そうであればこそ、彼の出自に人々の、特に地元の関心が集まるのも当然というものであろう。それが人の人情というものなのだ。確かに、橋下氏の夫人が夫の出自を承知したうえで夫婦になったか否かは知らぬし、夫人が知っていたとしてもその家族は知らされていなかったかもしれない。親を選べぬ子供たちはどうなるなどと思わなくもないが、やはり是非はさておき「知りたい」と思う欲求に人は抗えない。
世の中には今回の選挙が橋下氏の終わりの始まりだなどという見方もある。
私は、市長選挙の行方を占うだけの知識もないので何とも言えぬが、以前からここで述べているように橋下という人物は「トリックスター」だと見ている。そして、やがて必ず「落日」はやってくるはずである。 彼はおそらく「トリックスター」の殻を破ることはできずに、いずれ世の糾弾を受け世間の表舞台から姿を消すことになるであろう。
あまりにも、性急に身の程をわきまえず上を目指せばそうなるのは、何も橋下氏だけではあるまい。が、氏には常人よりも大きな障害があることが今回明らかになったわけだ。
かりに今回市長選に勝利したとしても、やはり、生まれもった宿命のくびきを逃れることはできまい、と氏にはおそらく不愉快極まりないであろうしまた理不尽な予想をあえてしてみるのである。
と表現されているのは、今の日本において客観的にみても存在する差別なのかなと思います。
くまわんさんは中立的に書かれているので、どう思われているかは知りたいですが。
差別という表現となるか区別と表現したらよいのかは議論になりそうなのでここでは区別と
表現しようと思いますが、区別したがるのは、レベルの低い人々な気がしますね。
小学校で知恵遅れの子を標的にしてあれこれ陰口やいじめをするのと同じレベル。
顔の整っていない人に正面向かって、「ブス」「ブサイク」というのと同じレベル。
いじめられたくないからいじめる側になる、自分の考えを貫けないタイプにも似て
いるような気がします。
そういう意味で、もしと知っていて奥さんが結婚したとしたら、男前だと思います。
持って生まれたものにフォーカスするのは、変なイデオロギーが混じるので、政策や理念、
公共への奉仕の精神だけで勝負させてあげないないとかわいそう。でも大衆はそれを知り
たがるから、「くびきを逃れることができない」という一言につながるんでしょうね。
まぁ根本的に、橋本さんが崇高な思想を持っているかどうかは私にはわかりません。
現職市長派の策略なのか、あるいは週刊誌が単に売り上げ部数を上げるためのあら
捜ししているだけなのかわかんないですけどね。
橋本さんとちがって、既存社会にうまく溶け込んだのが孫正義氏。
大衆を味方につけて、他人(NTT網)のふんどしで大もうけしている。
個人の過去も公表し、弱みをみせて大衆にこびる。
個人的には、どっちが厄介かというと後者のほうが怖いです。