トヨタは実にわきが甘い企業であることが、今回判明したわけだが、トヨタがそうであるということは他の日本企業はなおさらなのではないだろうか。
かつてファイヤストーン社製のタイヤが米国で問題になった際、議会公聴会において同社の日本人社長は冒頭で「アイムソーリー」とやらかした。「バカ!」の一言であり、それで流れは決した。
今回、トヨタの御曹司は自らの出馬も遅かったが、会見も国際的にみれば「異常」なほどに短く、しかも「英語でやってくれ」と突っ込みを入れられる始末。タイミング的にも、内容的にも、そして演出的にもダメダメであった。
結局、トヨタはファイヤストーンの失敗から教訓を得ることができなかったのだ。「カイゼン」を売りにしてきた企業の学習能力の無さが露呈した瞬間でもあり、あの企業の「カイゼン」の程度の程が知れた瞬間でもあった。
今振り返れば、トヨタという企業のわきの甘さというか危機管理能力の無さ、問題発生時の対応の鈍さは、以前からその気配をうかがうことはできた。それが2006年に発生というか表面化した米国トヨタでの日本人副社長による同じく日本人女性秘書に対するセクハラ騒動である。秘書が妙齢であったことと、巨額の賠償を要求したことで、批判の矛先は女性にも向けられたが、訴えた側の言い分では、法的手段にう訴える以前から社内の担当部署に対応を求めていたという。それなのに、社内では何らの措置も取らず、ということだったらしい。
セクハラ発生あるいはそれと疑われる事案の発生に対しては、しかるべき担当部署がしかるべき対応を迅速に取り、表ざたになる前に社内で解決することが「定石」である。が、相手が副社長ということもあのか、米国トヨタはそれをしなかった。
今回のような品質管理とは一件無関係であるかのように思えるが、どう言い訳しようが、既に過去にもトヨタはその世界的プレゼンスと名声に似つかわしくない間抜けな失敗をしてきたのであり、やはり、その時も、対応を誤ったばかりにメディアをにぎわせることになった。
2006年といえば、当時の同社トップは渡辺氏。今回の問題も実は御曹司ではなく渡辺氏の政権下で発生した問題である。
これは渡辺氏という一個人の資質・能力に帰すべき問題なのか、それともトヨタという企業の体質的な問題なのか。非常に興味のあるところではある。
かつてファイヤストーン社製のタイヤが米国で問題になった際、議会公聴会において同社の日本人社長は冒頭で「アイムソーリー」とやらかした。「バカ!」の一言であり、それで流れは決した。
今回、トヨタの御曹司は自らの出馬も遅かったが、会見も国際的にみれば「異常」なほどに短く、しかも「英語でやってくれ」と突っ込みを入れられる始末。タイミング的にも、内容的にも、そして演出的にもダメダメであった。
結局、トヨタはファイヤストーンの失敗から教訓を得ることができなかったのだ。「カイゼン」を売りにしてきた企業の学習能力の無さが露呈した瞬間でもあり、あの企業の「カイゼン」の程度の程が知れた瞬間でもあった。
今振り返れば、トヨタという企業のわきの甘さというか危機管理能力の無さ、問題発生時の対応の鈍さは、以前からその気配をうかがうことはできた。それが2006年に発生というか表面化した米国トヨタでの日本人副社長による同じく日本人女性秘書に対するセクハラ騒動である。秘書が妙齢であったことと、巨額の賠償を要求したことで、批判の矛先は女性にも向けられたが、訴えた側の言い分では、法的手段にう訴える以前から社内の担当部署に対応を求めていたという。それなのに、社内では何らの措置も取らず、ということだったらしい。
セクハラ発生あるいはそれと疑われる事案の発生に対しては、しかるべき担当部署がしかるべき対応を迅速に取り、表ざたになる前に社内で解決することが「定石」である。が、相手が副社長ということもあのか、米国トヨタはそれをしなかった。
今回のような品質管理とは一件無関係であるかのように思えるが、どう言い訳しようが、既に過去にもトヨタはその世界的プレゼンスと名声に似つかわしくない間抜けな失敗をしてきたのであり、やはり、その時も、対応を誤ったばかりにメディアをにぎわせることになった。
2006年といえば、当時の同社トップは渡辺氏。今回の問題も実は御曹司ではなく渡辺氏の政権下で発生した問題である。
これは渡辺氏という一個人の資質・能力に帰すべき問題なのか、それともトヨタという企業の体質的な問題なのか。非常に興味のあるところではある。
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