くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

一寸おかしいんじゃないか?: 産経新聞の虐待関連特集

2011年02月14日 | Weblog
産経新聞では以前から時おり子供の虐待に関する特集記事が連載されているが、どうも、これが産経らしくないというか、議論の「すり替え」があるんじゃないか、もっと言うと既に「結論ありき」なのではないかと感じてしまうのは、私だけだろうか。

虐待はいけない。この点について、私は少しも異論を挟まない。

しかし、無条件に体罰はいけない、とは考えない。

私は米国に暮らす間、子供を預けた託児所には「お尻ペンペン」を許可する旨、承諾書にサインをしてきた。もっとも、その州でも数年前に体罰は違法となったが、当時は合法で、託児所から「お尻ペンペンどうしますか?」と書面にて問われたので、「どうぞ、宜しくお願いします」とサインをした。学校でも、子供たちの様子を見聞きすると、自分たちのときだったら、ひっぱたかれているなというようなケースも当然、体罰はなし。それで学校がよくなったのかといえば、はなはだ疑問だ。何度言っても聞かなかったり必要とあらば、体罰を辞さずと私は子供たちに宣言している。「学校の先生と親の言うことは、絶対だと思え」、「学校の先生が右を向いていろとおっしゃったら、止めというまで1時間でも2時間でも向いていろ」、「もし理不尽があると思ったら、それは親が判断をして学校に掛け合う。だから、子供があれこれ言うな」、「話せはわかるというのは、必ずしもだ。何度言ってもわからなかったら、体で覚えさせる。」、「個性とか個人の尊重なんてのは二の次。一番大事無いのは、個々人が世間様に迷惑な存在にならないこと。そのためには、体罰がやむをえないときもある」、以上が、私どもの方針だし、子供にも日頃から言っていること。つい先日も、下の子供を「お尻ペンペン」。

米国では体罰禁止州が増えている。合法な州でも実際問題体罰は難しい? 確かにそうだ。だが、米国では、子供の「非行」、「愚行」に倒して社会が、大人が断固として対応する。時には杓子定規に過ぎるのではないかと思うようなこともある。アメリカの学校は日本よりも自由?一面正しい。しかし同時に細々とした校則とさまざまな罰則がある。義務教育で事実上の退学、転校を強いられるケースもある。日本にそれがありますか?ないままに「米国では」をそのまま持ち込めば、待っているのは一体・・?


体罰と虐待の線引きは難しい?  体罰が虐待にエスカレート? 体罰とおもって虐待する親もいる? これも否定しない。
だが、だからといって体罰を無条件に完全否定するのは、どうしたものか? 羹に懲りて膾をふくとまでは言わないが、線引きが難しいから十把ひとからげというのは、いかがなものか?

産経の記事を読んでいると、どうも、虐待と体罰をごっちゃにして論じている。そうなると、虐待は無条件に否定されねばならないという前提にたてば、体罰もという流れになってしまうし、実際そう読めてしまう。あえて、世論誘導とまでは言うまいが。某大新聞には批判的な産経のこと、まさか同じ穴の狢になろうというつもりは毛頭あるまい。が、まさか無意識にごっちゃにしているというのでもあるまい?

で、記者はスウェーデンがお好きなようだが、そういえば、某党の女性党首氏もメディアに出だした頃には、二言目にはスウェーデンだったと記憶しているが・・。

産経新聞も宗旨替えですか?
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