くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

変わらない明石屋さんま: ビッグスリーを比較して

2011年03月04日 | Weblog
ビッグスリーこと、たけし、たもり、さんま。

ん、ビッグスリーなんてもう死語だって?

しうかもしれない、さんまの最近の無残な姿を見ていると。

まあ、他の二人ももうすっかり「おもしろみ」を失くしてしまった。たけしは今じゃ「巨匠」だし(自分は北野映画は生理的に受け付けず、観ているのが苦痛になってしまう)、タモリはもう「昼の顔」として成功してしまった時点で終わっているが(「徹子の部屋」で年末にやらかすハチャメチャなんておもしろかったけどね)、彼らはよくも悪くも「進化」しながら今まで生き延びてきた。

ところが、その一方でさんまはほとんど「進化」せずに生き延びてきたが、どうやらどの番組見ても息切れというかガス欠状態になりつつあるのではないだろうか。

では、さんまに次があるのかというと、それは無いような気がする。

さんまが芸風を変えずに、また活躍の場を買えずに今までやってきたことは、スゴイことなのだろう。が、それは当時に、芸人として引き出しを増やしてこなかったということではないのか。

今からもう20年以上も前だが「さんまのまんま」を見ていて、思ったものだ、「この人は下世話な世間話的なトークネタ以外に、素養ってものが乏しいんだなあ・・」と。でも、まだ若い頃はそれで良かった。30台の芸としてぜんぜん許された。だが、40代になっても、50代になっても、そのままで今まできてしまった。50代のオヤジが20代の女の子たちを相手に10年一日どころか20年一日のごときレベルの軽薄で子供じみたヘラヘラ笑いのトークは見ていてイタイ。

馬鹿げた話でも年を重ねたなりに含蓄のある笑いならよいが、そうではない。昔のままの軽さ、うっすぺらさなのだ。

もっと言えば、彼には今あのしゃべりしかできないのではないか。なぜなら、素養を積んでこなかったからではないのか。たけしは時事問題や社会情勢も笑いにできる。タモリは昔の方がそれができた。今はきっと求められないのでしないだけなのだろう。一方、さんまにそれはできない。しないのではなくてできないのだ。

おそらく今からしようと研鑽を積んでももう遅いだろうし、きっと彼はあの芸風のままで一生を終えるのだろう。だが、一体どこのだれがあの軽々しくかつ空疎なダベリを60代、70代のジイサンに期待するだろうか。

今のさんまは、見ていて痛々しくそして哀れですらある。きっと、本人も行き詰まりを感じていることとは思うが。もっと早くに誰がいなかったものなのだろうか、助言する誰かが。吉本もある意味罪だなあ・・。
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2 コメント

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くそ野郎 (サンマファン)
2011-03-04 22:31:38
お前はこだわってずっと生きて来たことあるんか?えらそーに人の批判して優越感にでも浸ってるん?へぇーお前こそくそ野郎やろぼけが!!
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芸人ふぜいを (kumawann)
2011-03-05 00:18:38
上から見ることはあっても、下から仰ぎ見るなんてこと、普通の家庭で育った人間はいたしません。

さんま自体、芸人の「分際」ってわかっているんじゃないですか。最近は、マスコミがセレブ、セレブなんてはやし立てますが、わが国では昔から芸人ってのは・・・でしょ? 勘三郎もそういう来歴を忘れてはいけないって言っているじゃないですか?

芸人が仰ぎみられたら、それこそオシマイですわ。
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