「新潮45」に続き「文春」と「新潮」までもが、橋下大阪府知事の出自問題を取り上げ出したが、なぜ今更騒ぎだしたのか?
橋下氏の出自のついては既に府知事になった頃から、あれこれネット上などにおいて取り沙汰されてきたはずで、既成マスコミもそのことを知らなかったはずはあるまい。 の血の者だ、ヤクザの息子だと騒ぐのであれば、それは彼らが「社会の公器」としての立場をかなぐり捨てたことを意味しなくもない。なぜなら、私個人はそこに社会の現実との乖離が厳然と存在していると認識しているのであるが、憲法上に出自等での差別を戒めている以上、「公器」の立場から公人とはいえ一個人の家系や家柄をとやかくすることは、今まで「なんたらの自由」とやらをさんざん謳歌してきたマスコミの連中の露骨な憲法への「反逆」に他ならず、非社会集団化したことを意味すると解さざるを得まい。
もっとも、出自をとやかくされたのは橋下氏に限った話ではなく、「有名税」の一種だと言ってしまえばそれまでだが、やはり内容が内容だけに、そして時期が時期だけに、「いつもながらの」で済むものでもあるまい。
穿った見方といわれればそれまでだが、私としてはやはり「裏」の事情があるのではとの疑念を持たざるを得ない。
至極単純に考えるならば、「橋下潰し」を狙ったものではと疑いたくなる。さもなければ、従兄が殺人犯だのどうのとまで書き立てる様は、ましてや選挙というものを前にしてのこのタイミングだけに、異様に感じられてしかたがない。
一体、何があるというのか。どこかで、橋下を潰したいという思惑が存在し、マスコミの一部が呼応しているということなのか。平たく考えれば、利害の一致があるから呼応しているに違いなにはずだ。
橋下氏はさておき、私としては、7人?だかの子供たちが気の毒で仕方がない。親や先祖の業から子孫が逃れきれるわけではないのは我が国に限ったことではなく、これぞ親の因果が子の因果であるが、「アイツのおっちゃん人殺しやてー!」などと騒ぎたてられた日には、大人ですら精神的に耐えることは容易ではあるまい。 奥方のご親族も決して無事ではあるまい。
子が親の因果を背負うことは致し方のないことだ。それが人間社会の現実であり、この現実の前に憲法なぞ無力なものである。
が、マスコミがことさらそれを騒ぎ立てるのはいかがなものだろうか。自分たちも親や子を持つ身であれば、いくばくなりとも橋下氏の子供たちに思いを巡らしたらいかがか。いささか、やることはえげつなさ過ぎるというか、人でなしに過ぎるのではないだろうか。
因果応報、己の今の行動がいずれ我が子、我が孫に降りかかるであろうことを少しは畏れたらどうなのか?