くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

対極の平和を希求する思い: 「勧進帳」の問答と憲法9条

2010年10月06日 | Weblog
以下、「勧進帳」における弁慶と富樫の問答の一部である。私はいつもこのくだりに7代目幸四郎と15代目羽左衛門の「名品」を」思い浮かべる。先代幸四郎と弟先代松禄の問答を良かったという人もいるが、松禄は富樫役者というよりは弁慶役者。弁慶役者二人が対峙する問答は、重過ぎると私は感じた。やはり、15代目のあの朗々にしてよくようの効いたセリフに勝る富樫を私は知らない。

もっとも、台詞、声色が良ければそれで足るというものではない。今月新橋にかかっている松嶋屋の「盛綱」、台詞の妙は当代一には違いないが、芝居の巧さ、あの曰く言い難い間の演技は、声色の優れたとは言い難い先代勘三郎に及ぶべくもない。松嶋屋といえば、以前、孝夫時代に「馬盥の光秀」をやってし、当代吉右衛門の「松浦の太鼓」もそうだったが、大中村の「巧さ」を返って再認識させる結果に終わったような気がする。

それはさておき、以下に「日本国よ、斯くあるべし」が示されてはいないだろうか。


富樫 いかに候、勧進帳聴聞の上は、疑いはあるべからず、さりながら、事のついでに問い申さん。世に仏徒の姿さまざまあり。中にも山伏はいかめしき姿にて、仏門修行は訝しし、これにも謂れあるや如何に。

弁慶 おおその来由いと易し。それ修験の法といッぱ、所謂胎蔵金剛の両部を旨とし、嶮山悪所を踏み開き、世に害をなす悪獣毒蛇を退治して、現世愛民の慈愍(じいん)を垂れ、或いは難行苦行の功を積み、悪霊亡魂を成仏得脱させ、日月清明、天下泰平の祈祷修(じゅ)す。かるが故に、内には忍辱慈悲(にんにくじひ)の徳を納め、表は降魔の相を顕し、悪鬼外道を威服せり。これ神仏の両部にして、百八の数珠に仏道の利益を顕す。

富樫 シテ又、袈裟衣(けさごろも)を身にまとい、仏徒の姿にありながら、額に戴く兜巾(ときん)は如何に。

弁慶 即ち、兜巾篠懸(ときんすずかけ)は、武士の甲冑に等しく、腰には弥陀の利剣を帯し、手には釈迦の金剛杖にて大地を突いて踏み開き、高山絶所を縦横せり。

富樫 寺僧は錫杖を携うるに、山伏修験の金剛杖に、五体を固むる謂れはなんと。

弁慶 事も愚かや、金剛杖は天竺檀特山(てんじくだんどくせん)の神人阿羅邏仙人(あららせんにん)の持ち給いし霊杖にして、胎蔵金剛の功徳を籠めり。釈尊いまだ瞿曇沙弥(ぐどんしゃみ)と申せし時、阿羅邏仙人に給仕して苦行したまい、やや功積もる。仙人その信力強勢を感じ、瞿曇沙弥を改めて、照普比丘(しょうふびく)と名付けたり。

富樫 して又、修験に伝わりしは

弁慶 阿羅邏仙人より照普比丘に授かる金剛杖は、かかる霊杖なれば、我が祖役の行者、これを持って山野を経歴し、それより世々にこれを伝う。

富樫 仏門にありながら、帯せし太刀はただ物を嚇さん料なるや。誠に害せん料なるや。

弁慶 これぞ案山子の弓に等しく嚇しに佩くの料なれど仏法王法の害をなす、悪獣毒蛇は言うに及ばず、たとえ人間なればとて、世を妨げ、仏法王法に敵する悪徒は一殺多生の理によって、忽ち切って捨つるなり。


弁慶のごとき破戒の者の言を持って国家のあるべき姿を語るを愚とするなかれ。むしろ、聖俗を知る武蔵坊の言なればこそ、なのではあるまいか。
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