くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

「世襲」批判 2: 「自民党をぶっ壊す!」=「小泉ジュニアを落とせ!」でなくてはならない

2009年05月23日 | Weblog
自民党の「世襲」候補対策案は、国民をバカに仕切ってる。

民主もだめだが、こんな自民党は「滅ぼされねばならない」。

自民を叩き壊すには、小泉ジュニアを血祭にあげることだ。彼に対する個人的遺恨はないが、親の因果が子の因果、あの「自民党をぶっ壊す!」と叫んで自民党総裁・総理になった方のご子息に生まれたのが運の尽き、小泉ジュニアを落選させることでしか、自民党は変われない。自民党自身が小泉ジュニアを葬らなければならない! 

自民が今回の選挙に勝ちたいのなら、小泉ジュニアを総力を挙げて「餌食」にすべし!

でも、自民にそれができるわけがない、と思う。絶対にできない。できるはずがない。

ところで、民主も、あの若い東大出弁護士では手ぬる過ぎる。なんなら、小沢か菅ぐらいぶつけてみてはどうか? 鳩山? あの人、選挙強くないからダメです。あるいは、お得意のタレントでも持ってくるか?くさなぎつよし候補ってのダメ?
当選しても鏡割りの酒に酔ってすっぽんぽん? そりゃダメか?

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「世襲」批判 1: 民主主義の成熟という点から言えば・・・

2009年05月23日 | Weblog
一般論として、私は、世襲というものを全否定しない。

世襲はあって良いと思っているし、法の許す限りにおいてそれが行われるのであれば、問題はない思っている。と言うと、数年前ホリエモンや村上ファンドに対する批判のなかにあったように、法的に問題さえなければ良いというのか、という批判もあろう。確かにそうなのだが、私は世襲が倫理的、あるいは社会通念上において問題であるとも思っていない。たとえば、恐れ多くも畏き御方の場合、その御方の御方たる所以は世襲によって保たれてきた。もちろん、それは法的にも保障されたものであり問題ないのだが、かりにその地位が世襲によらない方法で継承されるとしたら、はたして国民はその存在意義は認め続けるのであろうか・・・。あるいは歌舞伎などの襲名もそうだ。襲名=世襲では必ずしもないが、多分にそうだ。門閥批判は容易だが、歌舞伎を見る楽しさの一つは、世襲なくしては語れない。例えば、当代勘三郎は先代の実子、世襲なわけだが、当代に先代の面影、芸の継承をみつけて観客は楽しむ。芸の継承は世襲によらずとも可能だが、声色とは姿・形、あるいはいわく言い難い「似ている」等は、血のなせるわざ、世襲のなせるわざ以外の何者でもないのだ。

ところで政治家はどうなのか。関東学院大学だからダメとは言うまい。じゃあ、日大ならいいのか、大東文化大ではダメなのか、というくだらない話になってしまう。東大法卒でもヘベレケ姿を世界に晒してしまうのである。ただ、今の政治の閉塞感、無為無策が、この「世襲」と言われるものに一因があることは間違いあるまい。「世襲」と既得権益との関連性も言うまでもあるまい。

という意味では問題であると思う。志と能力のある者が政界というものに容易に挑むことのできる環境、制度作りが急務であるとも思う。かくいう私は、かつて血縁とは無関係に、期せずして地方議員の「地盤」を譲られそうになったことがあったのだが・・。勿論、丁重にお断りした。たぶん出たら当選だっただろう。そういう選挙区だったのだが、自分のような人間が出るべきではないと思った。このブログの内容とレベルを見ればおわかりのように。(笑)今でも、何で自分だったのだろうと不思議で仕方なく・・・。まあ、それ以前に他人にお世辞も言えない、言ったら自己嫌悪に陥ってウツになってしまうような性格である。「この野郎」と思う相手に愛想笑いなんかできないし、どこの誰だかしらないおばちゃんや小汚いおじさんと握手なんかしたくありません、かりに手袋していても。どうせ握手求めてくる連中なんかそんなのばかりだから。

閑話休題。「世襲」には問題がある、と私も思う。「世襲」候補の立候補を制限する、あるいはそれでは憲法上の問題があるからということで、英国のように各政党内の候補者選びに工夫を加えるなり、選挙区の世襲をさせないなどの方策は採られるべきであると思う。

しかし、政党が「世襲」問題にどう取り組むかというのは、実は、この問題の本質でないのではないだろうか。民主主義とその成熟という観点からすれば、この問題は政党がどうこうしてなんとかなる問題ではないはずだ。いやかりに何とかなったとして、それで結果オーライでは、我が国の民主主義は成熟しない。

「世襲」問題も最大の問題は、有権者にあるのではないか?「世襲」がいかんというのなら、「世襲」候補が出てきても投票しなければ良いではないか?小泉ジュニアがけしからんというのであれば、投票しなければようのだ。やつらを落とせば良いではないか?

しかし現実はそうではあるまい?これまで我々有権者は、あまたの「世襲」候補を自らの意思で国会に送り出してきたのではないのか?おそらく小泉ジュニアもかりに無所属ということになっても当選なのだろう。横須賀の賢明な有権者の皆さんは、東大出の弁護士ではなく、学歴は完全ダメダメで社会経験もなく背は低いけどイケメンで世襲の「ボクちゃん」を選ぶのでしょ、どうせ?

「世襲」はいかんと言いながら「世襲」候補に投票する。こうした有権者の投票行動、政治民度の低さこそが、この問題のもっとも深刻かつ重大な点でないのか?
どうも、昨今の風潮は、有権者はさておき、政党がなんとかしろ的なものばかりだが、我々国民がそれでこと足れりとすれば、それは「私たちは政治的不能者ですから、他力本願でしか政治改革はできません」と言っているようなものだ。

こんな国に民主主義は要らない。いっそのこと「大政奉還」してお上に御親政をお願いした方が良いのではないのか?何が国民主権か、である。
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アニメ・マンガの殿堂「国立メディア芸術総合センター」、よした方が良いのでは?

2009年05月23日 | Weblog
国(文化庁)に、アニメ・マンガの殿堂として「国立メディア芸術総合センター」(仮称)なるものを都内に、なんと100億以上かけて建設する計画があるという。

この計画、どうやらメディアや漫画家たちの間でも不評なようだが、私もよした方が良いと思う。

あの国立劇場を見てみるといい。あの無粋で陰鬱な劇場を。ロケーションも最悪で、御堀の前、最高裁のお隣り。何で裁判所の隣で芝居見なきゃならないんだよ?確か竹中工務店の基本設計で施工のはずなんだが、なんで「校倉造」なんだか? 校倉づくりといえば正倉院。すなわち倉庫の中で歌舞伎などの伝統芸能を演れ、観ろ、というのである、「お上」は。(笑)

国立演芸場なんかもっと悲惨だ。とってつけたように、それこそ落語、漫才は日陰の子扱いで、大劇場の裏手。これまた貧層で陰鬱な建物で・・・。あんなところに出たいなんて思う芸人いるのかねえ?

故大成駒曰く、役者は華が無くてはということだったが、芝居小屋も同じ。歌舞伎小屋に限らず劇場というのは、ある意味での非現実世界、しかも華やかな世界である。客もそれを楽しみに行く。歌舞伎座なんてのはまさにそうで、座席や見やすさなどの点では、国立劇場に随分劣るが、一歩中に足を踏み入れれば、何と言えない華やいだ空間がそこにはある。

国立劇場には、それがまったくない。外はくらーい色調の「倉庫」。中に入っても箱もの候で、6代目が場違いに見えて仕方がない。せめてもの救いは鏡獅子で良かった。あれが藤娘だった日には、浮いてただろうなあ。あえて良いところと言えば見やすさだ。最上階からでも、花道の七三がちゃんと見れるようになっている。ただ、それ以外には・・・。幕間にふと客席を離れて外に出てみたときのあの何とも言えない、寒さ、冷たさ・・。役所じゃあるまいに。

「官」のやることなんて所詮そんなもの。校倉造にとってつけたような赤ちょうちん、あの致命的なセンスのなさは痛すぎる。もっとも、国立劇場ができたのは40年以上前のこと。その間のお役人のなかにも粋人が出てきているのかもしれないが、そりゃないだろうなあ、霞が関という「沼地」に一度足を踏み入れてしまったら・・・。完成したときの「国立メディア芸術総合センター」の姿も推して知るべし。

先日も国ではないが地方自治体の作った文化施設に行ってきたのだが、何とも味気のないハコモノでした。人を呼ばなきゃ赤字になるんだろうけど、あれじゃあ、来たいとは思わんだろうなあ・・・。幸いGW中で結構なにぎわいだったが、最寄の民間施設は更なる人手だったそうだ。もともと素材のコンテンツ的な点ではそん色ないはずなのにねえ。ここに、民と間の差を感じるなあ・・・。

まあ、本当のところ、メディアも指摘のように、主眼はアニメ・マンガにあるのではなく、別のところに思惑があるのだろうなあ・・・。作って、カネ作って、一部業界を潤わせて、自分たちは天下り先を確保と・・。

117億円だっけ、はっきり言って無駄! 正倉院の次は、まさか伊勢神宮の内宮を模してなんて言うんじゃないだろうなあ・・・。掘立柱のアニメ・マンガの殿堂、それこそギャグ漫画だわな。

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