くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

「岡田はクリーン」は、政治とカネの本質を見誤らせる

2009年05月15日 | Weblog
岡田は金にクリーンだという。誰が?メディアに顔を出す連中がしきりにそういう。だから、信じる人も多いようだ。

だが、一寸待て。

確かに岡田には、カネにまつわる胡散臭い話はないのかもしれない。その意味では「クリーン」なんだろう(ところでなんで横文字なんだよ、マスゴミ! 日本人なら日本語使え! ん、マスゴミには「なりすまし」が多い?)

ただ、厳密にいえば、岡田は「クリーン」でいられる御身分なのだ、幸いに。なぜ? 言わずもがなだろう? ご本人は、子供のころの岡田家は金持ちじゃなかった、みたいなことを強調するが、じゃあ、今はどうなんだ?ということになる。昔よりも今だろうが。話をすりかえるあたりはさすが元霞が関。

岡田の人格や人柄、政治家としての生きざまゆえに、「クリーン」なのではなく、幸いにして家庭環境に恵まれ、「クリーン」にやっていけるというだけの話。その点は、鳩ポッポも同じ。

まあ、やっていけるにこしたことはなく、その点、三階ならぬ○階や、政治家としては「言語障害」レベルの会話能力しかないイチローよりましであることも、これまた事実なのかもしれない。

それにしても、「クリーン」イメージが誇張されて独り歩きしてないか?

それに、岡田にカネがらみの話がなくとも、旧岡田屋っていう企業は、そんなにキレイな企業なのか? 一部じゃ、パクリとか、地域経済の壊し屋なんて言われている。そんな企業・一族のカネに支えられた政治家がホントに「クリーン」なのか?

更に言うならば、手あかのついてないかねをわんさと使うという点で、岡田も他の政治家と同じ。つまり、岡田個人のクリーンさが、現在の日本の政治とカネの関係を解決するわけでもなるまい?たまたま、岡田には、自分の手を汚さなくても良いカネヅルがあるというだけのこと。それだけの違いであって、従来型の政治家と大して変わりはない。

マスコミもいい加減なイメージ振りまくなって。もっとも、それで岡田を安易に支持する連中も連中だが。

私は、鳩ポッポ支持派?

いえ、売国奴は支持しません。ん、誹謗中傷、名誉毀損? だって、自国の主権を否定するような発言したじゃないですか。これを売国奴、国賊と呼ばずして何と呼びます。少なくとも、愛国者ではないはず。愛国者でない政治家って、日本に限らず、どこの国にでも、要らないでしょ? もっとも、我が国には愛国者じゃない政治家が鳩ポッポ以外に明らかにいますけど・・。

でも、鳩ポッポの方が、政界再編のためには良いのかな?
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「じゃりん子チエ」声優=中山千夏の天皇論のおぞましさ

2009年05月15日 | Weblog
「じゃりん子チエ」が最近アニマックスで放映されている。内容的な、というかあの言葉の下品さから、個人的にはあまり子供に見せたい番組ではないが、子供たちは結構楽しんでみている。

その主人公チエの声優と言えば、いわずもなが、中山千夏である。と言っても、最近の人はほとんど彼女の名前を知るまい。かくいう私も、中山千夏=参議院議員をやっていたタレント政治家、チエの声優くらいしか知らない。親世代に言わせれば、名子役だったそうだが。

そのかつて超有名人だった中山女史の天皇論を偶然ネット上に見つけて、何とも嫌な気持ちにさせられた。私は天皇制度というべきか、天皇制というべきか、天皇・皇室の存在を否定するつもりは100%ない人間である。もっとも、だからち言って、今の天皇・皇室のあり方やそれをめぐる諸状況に対して批判すべき点・改められるべき点はあると思ってはいるが、いわゆる廃止論者とは真逆の立場にいる人間である。

であるから、中山女史のような立場の方々の天皇論には最初からアレルギー反応というか嫌悪感すらあることは、正直に認めねばなるまい。

ただ、それを差し引いても女史の天皇論には、いやーな気持ちにさせられた。一個の人間として、そして子を持つ親として。

中山氏によれば、現行憲法の天皇条項は、民主主義憲法、人権憲法の「醜い傷」だそうな。そして、その「自然治癒」について、以下の抜粋のように論じている。

象徴天皇・制の民主的な運営を求めて、私はこう主張する。皇族の数を増やすなどもってのほか、皇族を天皇なみの扱いから解放し、通常の国民としての権利と義務を与えよ。世襲を定めた憲法の真意(天皇という地位の政治的利用を防ぐ)を汲んで、後継者は直系に限れ。資格はそれのみ、性別を問うがごとき性差別はするな。世襲の強制をやめて、当人の意志を必須の条件とせよ。
そして、当人の意志も含めて、後継者が絶えた時には、無理な存続を考えず、象徴天皇・制を廃止せよ。象徴天皇・制の成立事情と、そのために制度がよぎなく抱えた、非民主的、反基本的人権の性格を直視するならば、それこそが憲法成立時に暗に予定された、民主主義国家の正しい選択だ。
当然ながらその際、憲法から天皇条項は削除する。
その時ようやく、天皇たる人間は基本的人権を獲得し、私たちは民主主義国家のそれとして矛盾のない憲法を獲得するのだ。

女史は明らかにアンチの立場の方で、私とは真逆の立場の方だ。皇位継承については、「後継者は直系に限れ」とおっしゃる。そして、「後継者が絶えた時には、無理な存続を考えず、象徴天皇・制を廃止せよ。」が、「傷」を治す「自然治癒」法だとおっしゃる。

この言説の裏に、「産むな」、「生まれるな」という女史の願望が見てしまうのは私だけであろうか。天皇・皇族の人権を云々しながら、その一方で、「後継者が絶え」ることを実は願望している。「産むな」、「生まれるな」と。人権を説く人間が、他の人間の不妊あるいは流産、死産の類を願う、これは相手が天皇・皇族に対するものでなくとも尋常ではない。流産の悲しみを知り、生まれることの喜び、子を持つことの幸せを知る私には、なんとも・・・。人は心のうちに不可避に闇を持つものだが、なんともはや・・・。

中山女史、人の子であるには違いないが、人の親でもいらっしゃるのだろうか。親の子を気持ちを知るならば、ましてや自らおなかを痛め、乳を与えた経験がある女親なら、他人に子のないことを願うなんて気持ちには、余程の怨嗟の情がなければ、なれないと思うのだが・・・。女史流に解釈すれば、3年前にご誕生の秋篠宮家の親王殿下も「自然治癒」の方向に対する逆行減少ということになる。しかし、人権や差別やらに関心のおありな方の言うべきことではないと思いますな、「自然治癒」論。私には非常におそましいというか、グロテスクに聞こえます。


コメント (1)
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