YOMIURI ONLINEを見ていたところ、2月16日付の人生案内欄に「家名絶やしたくない30歳妻」の見出しのついた読者相談を見つけた。
掻い摘んでいえば、結婚三年目、30歳、子なしの女二人姉妹の長女氏、妹も既に結婚して家を出て、このままでは実家の家名が絶えてしまうという心配をかかえているというのだ。
今時の「若い」女性にしては珍しく殊勝な考えをもった方では、と私などは思うのものだ。
これに対してコメントしたのは、作家立松和平氏。氏のコメントの前半部分には、私も至極同意。まだ、30歳。今後1人ならず子宝に恵まれないとは現時点で断定するには時期尚早。二人以上の子に恵まれれば、養子・養女という手もある。
氏の次のコメントにもただ叩頭するのみ。
先祖がいるから現在のあなたがいることは間違いがなく、そのことには感謝を
すべきです。
まったく同感・同意、「生んでくれなんて頼んじゃいねー!」なんて大馬鹿野郎には到底理解できまいが。
ところがその立松氏、最後に「しかし、」と続けておかしなことをおっしゃりだす。
お墓に眠っている先祖で実際に知っているのはせいぜい曽祖父母止まりです。
つまり、将来あなたを知っているのは曽孫ぐらいまでです。それより現在を大 切に、夫やまわりの人と仲良く過ごすことが一番です。
今の自分の「現在を大切に」、そりゃごもっとも。我々は家名や先祖のためのみに生きているわけではない。それに、先祖に感謝すればこそ、自分自身の現在只今の生を大事にせねば。しかし、自らの人生の大切さと家名というもの、つまり感謝すべき先祖から受け継いだ血脈の継承と、個人の幸福の追求の両立させようとした時、相談者のような悩みも出てくるというものだ。
それに対して、なんで「実際に知っている、いない」なんて判断基準を持ち出すのだ?先祖に感謝すべきと言っておきながら、実際に見知っていない「先祖」なんかよりも、「現在を大切に」だとさ・・・。立松氏もおっしゃるように、普通直接に接触があるのは人間の寿命から言って曾祖母までだ。でも、爺さん婆さんは言うに及ばすひい爺さんひい婆さんに会って、「私のご先祖様」なんて思うヤツいるか?常識的に考えて我々が「ご先祖様」と認識するのは、やはりもうこの世にはいない先達たちのことでしょうが?
立松氏のこの珍妙なコメントに対して、筆者は次のような推論をめぐらしてみるのだ。
1.氏は特異な先祖様認識の持ち主である。
2.その特異な先祖認識は実は氏の本心ではなく、氏は家名存続云々なんぞよりも
一個人の現在只今こそが大事ということを言いたいために、そのようなおかし
な先祖の定義をあえてつくり上げた。
もっとも、立松氏にも同情せぬわけでもない。回答の難しい相談内容だもんね。かりに私が氏の立場だったらこういうかな?
1.自分に立場をわかっていながら、そのような悩みを生じるような結婚したこと
こそそもそもの間違い。つまり今の相談者の悩みは自業自得。この際、潔く自
らの所業のもたらした悩みを業として甘受し、一生苦悩して生きるべし。
2.30歳ならまだ若い。家名存続を本当に願うのであれば、さっさと今の旦那とわ
かれて、養子に入ってくれる男と再婚すべし。
ってなこと、個人的にはぜ~んぜん暴論とも思っていないが、公器に顔出してなんぼの職業コメンテーター諸氏として言えないわね、普通。
となると、これしかあるまい。
悩んでいる暇あったら、今の旦那と昼夜問わず子作りにはげむべし! そして、多産して、そのちの1人を跡継ぎとしてもらいうけるべし!
簡単に言えば、子作りマシーンになりなさい、以上。
掻い摘んでいえば、結婚三年目、30歳、子なしの女二人姉妹の長女氏、妹も既に結婚して家を出て、このままでは実家の家名が絶えてしまうという心配をかかえているというのだ。
今時の「若い」女性にしては珍しく殊勝な考えをもった方では、と私などは思うのものだ。
これに対してコメントしたのは、作家立松和平氏。氏のコメントの前半部分には、私も至極同意。まだ、30歳。今後1人ならず子宝に恵まれないとは現時点で断定するには時期尚早。二人以上の子に恵まれれば、養子・養女という手もある。
氏の次のコメントにもただ叩頭するのみ。
先祖がいるから現在のあなたがいることは間違いがなく、そのことには感謝を
すべきです。
まったく同感・同意、「生んでくれなんて頼んじゃいねー!」なんて大馬鹿野郎には到底理解できまいが。
ところがその立松氏、最後に「しかし、」と続けておかしなことをおっしゃりだす。
お墓に眠っている先祖で実際に知っているのはせいぜい曽祖父母止まりです。
つまり、将来あなたを知っているのは曽孫ぐらいまでです。それより現在を大 切に、夫やまわりの人と仲良く過ごすことが一番です。
今の自分の「現在を大切に」、そりゃごもっとも。我々は家名や先祖のためのみに生きているわけではない。それに、先祖に感謝すればこそ、自分自身の現在只今の生を大事にせねば。しかし、自らの人生の大切さと家名というもの、つまり感謝すべき先祖から受け継いだ血脈の継承と、個人の幸福の追求の両立させようとした時、相談者のような悩みも出てくるというものだ。
それに対して、なんで「実際に知っている、いない」なんて判断基準を持ち出すのだ?先祖に感謝すべきと言っておきながら、実際に見知っていない「先祖」なんかよりも、「現在を大切に」だとさ・・・。立松氏もおっしゃるように、普通直接に接触があるのは人間の寿命から言って曾祖母までだ。でも、爺さん婆さんは言うに及ばすひい爺さんひい婆さんに会って、「私のご先祖様」なんて思うヤツいるか?常識的に考えて我々が「ご先祖様」と認識するのは、やはりもうこの世にはいない先達たちのことでしょうが?
立松氏のこの珍妙なコメントに対して、筆者は次のような推論をめぐらしてみるのだ。
1.氏は特異な先祖様認識の持ち主である。
2.その特異な先祖認識は実は氏の本心ではなく、氏は家名存続云々なんぞよりも
一個人の現在只今こそが大事ということを言いたいために、そのようなおかし
な先祖の定義をあえてつくり上げた。
もっとも、立松氏にも同情せぬわけでもない。回答の難しい相談内容だもんね。かりに私が氏の立場だったらこういうかな?
1.自分に立場をわかっていながら、そのような悩みを生じるような結婚したこと
こそそもそもの間違い。つまり今の相談者の悩みは自業自得。この際、潔く自
らの所業のもたらした悩みを業として甘受し、一生苦悩して生きるべし。
2.30歳ならまだ若い。家名存続を本当に願うのであれば、さっさと今の旦那とわ
かれて、養子に入ってくれる男と再婚すべし。
ってなこと、個人的にはぜ~んぜん暴論とも思っていないが、公器に顔出してなんぼの職業コメンテーター諸氏として言えないわね、普通。
となると、これしかあるまい。
悩んでいる暇あったら、今の旦那と昼夜問わず子作りにはげむべし! そして、多産して、そのちの1人を跡継ぎとしてもらいうけるべし!
簡単に言えば、子作りマシーンになりなさい、以上。