現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

柳瀬を証人喚問したところで

2018-04-16 | Weblog

記憶にない、を繰り返すことが目に見えているのに、野党は同じ過ちを繰り返すのか?

それより、正直に話す側の、愛媛県を参考人として呼んだほうがいいのに。

なんで、そうしないのか?

頭の構造がわからない。


現在の愛媛県知事は至極まっとうでも、今治市が

2018-04-15 | Weblog

当時の出張指示書があるのに、開示しないという行為を、勇気をもって全うな対応をするべきだ。

何の摩擦を恐れているのか!

うそを指摘された側が、うそつきでない何の証拠も示さず、記憶しない、言っていないと、答弁するだけで、

済まされるなら、世の中、それがまかり通るなら、みんなそうするぞ。

三権分立、独立機能が機能しない、この国の司法は死んでいる。


警察官を目指す理由

2018-04-13 | Weblog

2割ぐらいは、不純な動機というか、

いじめられたり、他人から認知されなかったり、自分にかしずかせたい願望が非常に強い奴が、

警察官になって、制服の姿で、周りを威圧させることに快感を覚えるようなやつらが、志望してなっている。

2割と設定したが、もしかしたら、8割ぐらいは潜在意識として同じことを妄想しているかも。


自分の父母や身内の者に

2018-04-12 | Weblog

記憶の限り会っていない、なんて言葉、文法、用法、文章を教えてもらったり、教えたりしたのか?

記憶の限り会っていない、ということは、もっと簡潔明瞭に言えば、記憶にない→覚えていない→忘れた、というのが

普通でしょ。

それともっと大事な、かんたんな言葉。嘘をつくな、と、教えられたり、教えてきたんじゃないの?

自分の父母や身内の者に、真正面から顔を向けられるのか?

どうしてたまたまの首相をかばうのか?

なんかすごい見返りがあるのか?

それとも、嘘をついてまで、一蓮托生というのが、生きる規範となっているのか?

そんなことを最高学府で習ってきたのか?

違うだろ。


ダグラス・マッカーサーが占領統治を終えて米国に戻ってから

2018-04-10 | Weblog

日本人の精神年齢が12歳だと公にコメントしたというが、

それに対して怒る日本人もいるだろうが、

そのようにとらえられても仕方ないと思っている。

物事の判断基準が、やっていいかどうか他人というか、上司だとか、年配者に同意を求めてからでないと行動できないし、

自分自身の判断を自信をもってやらないから自己責任を取らないし、

なんでもかんでも規則、法律に合致するかどうかばかりを物事の尺度とするし、

それよりもヒューマニズム、人間性、人間の尊厳、創造性、自由、平等、博愛、道徳心などが一番大切なのに、

それらを拠り所にしないし、その結果、この前の土俵での考えられないトラブルが起こる。

『これ、ここでやっていいの?』とか、すぐに聞くし、基本、自由という強い信念がない。

ビジネスでどこかに挨拶や交渉に行くのも、日本人の場合、ほとんどのケース、複数、もしくは団体で行き、

一言もしゃべらない、まるで、あんた何しに来たの? と聞きたくなるような輩がいっぱいいる。

それに対して、相手は一人で対応している。

Salesmanのことを、正確にはSales Representativeと表現する場合が多いが、代表で相手と対峙しているわけで

持ち帰って、とか、上司と相談してとか、検討させていただきますとかの回答だけなら、それを、日本でも子供の使いと

表現するのだから、大人の日本人が今でも、同じことを繰り返しているのだから。


日本のクオリティがベスト?

2018-04-07 | Weblog

品質第一と強調するが、サービスを含め、本当にそうなのか?

海外でもしっかりと対価を払えば、一流のサービスを受けられるし、心地よいものもいっぱいある。

何が違うのかと、つらつら考えると、日本の場合、人と人の関係が対等でない。

どちらかが、まさに『俺は客側だ』という意識が強すぎる。

客だから、お前がもっと尽くすべきといった具合だ。

お客様は神様なんて、こんなバカなことを言うのは日本だけ。

あくまでも双方パートナーで、対等の立場で物を言い合える。

俺は歩行者だから守られる、みたいな優先意識なんて要らないし、歩行者でもスマホやったり、

道路を無理やり渡ったら、歩行者が悪い。

すべて自己責任で、もっと自己責任、という概念を持つように教育改革が必要だ。


それなりに、いい年してる男が

2018-04-06 | Weblog

片耳ピアス。

たいてい、この手の男、腕輪とかも、二重、三重にしとる。

なんで耳に穴開けてまで、輪っか付けて、何がいいのか、全くわからない。

もし、自分が、ピアスなどつけたら、周囲はどう思うだろうか?

おそらく、止めな、と言ってくるだろう。


アメリカ従属国、日本

2018-04-06 | Weblog

米国の日本法人社長時代、社員の夫が横田基地の米国軍人だった。

その関係で、横田基地内でのバーベキューや、多摩にある米軍ゴルフ場でプレーした。

ゴルフ場には、優先階級制度があって、日本人のランクは一番下で、あくまでも米国人トップ。

そのことが看板や書類にきっちり記載されている。

今回、オスプレイが横浜港から離陸して、横田へ向かったが、日本のヘリだったら、同じように離陸がスムースに行われるのか?

おそらく、許可取るのに、あれやこれやとなるんじゃないのか?

空の管制も含めて、日本の法律に従うということが、まずはベースだということを、地位協定に反映させっる努力を歴代内閣は

やってきたのか? こんなことは、相手の機嫌を損ねるなど忖度など不必要。自国の主張を簡潔明瞭に堂々と言えばよい。

なんでこんなことできないのか?

米軍基地、関連施設は、まさに米国なのに。日本にあっても。

ドイツ、イタリアの、地位協定は、どちらもそれぞれの国の規則がまず第一となっているようだ。

こんな従属国のような地位協定は日本だけらしい。その情報も、歴代政府は口を閉ざし、情報公開しない。

 


ここは日本だから。しゃあない。

2018-04-05 | Weblog

海外ではこうだと提案すると、ほとんどすべてと言っていいぐらい、どっぷり日本の人間は、

最終的に、『ここは日本だから』 となる。

『しゃあない』と来る。しゃあない=仕方がない、は、可能性を100%当たってからの、それから出てくる言葉。

それゆえ、仕方は実際、あるのだ。

おりしも、相撲の土俵で、人が倒れ、人命救助中にも関わらず、女性は土俵から降りてくださいと3回も

アナウンスしたバカな行事がいた。

日本人はマニュアルが大好きだが、実際、何も役立たないのが、マニュアルだ。だから不要。

臨機応変に対応することが、機転がきいて、機敏に対応する結果、表彰物となる。そこにはマニュアルなどない。

マニュアル無視の考えが実際に役立つのだ。

ここは日本だから、という言葉には変えようという意思がないし、このまま何もしないという、最悪の事なかれ主義

となる。外圧を受けないと何も変われなかった日本。いまだに全く同じ。ここは日本だからという結論は

正直止めてもらいたい。どうしたら取り入れられるかという発想にならないのが不思議極まりない。

日本の会社に入ったら、文房具のひとつまで総務管理となり、まるで社会人というより幼稚園生レベルの扱いに

日本の大人たちは慣れ切ってしまっている。何をするにも、上と相談、規則を調べてみるね、まとめて頼むから、それまで

待って、バスの回数券、新幹線の切符、これで行ってね、、、、もう、うんざり。

そんなことは自分でやれる。


いまどきの仕事の中で

2018-04-03 | Weblog

外資系と日本企業の両方を、それなりに経験してきた者にとって、1995年のwindows95出現以来、

faxでの送信が激減していく中、圧倒的にe-mailのやり取りの時代。

外資系では、自発的に、あまり無駄に、CCを入れることを、最小限に抑える傾向が強い。それでもそこそこのメールは

関連部署のマネージャーとなれば、こちらへ送らなくてもと思いながらでも、入ってくる。

これが、日本の会社で働いていると、こうも沢山の人間にメールを発信するのかと、なんでこんな奴にも送っているのかと

疑問を抱くぐらい、多数のメールを発信している。こんなことは、日本の会社と外資系の両方をしっかりと経験したことがない人間でない

かぎり、状況の違いを分かりようがないはず。

特に日本の会社の場合、社長も社員も自分の会社のやり方がベストと信じて、外部からの意見など、ああだこうだと言って、

結局取り入れない。いわゆる島国根性丸出し。陸の孤島、やたら管理職も多く、部長課長ほとんど全員に発信しているのが常。

馬鹿じゃないのと、外資を経験したものからは、そのように思えてしまう。

それだけの数の情報を、日本の会社は交信しており、紙ベースの時代と違って、民間企業で考えたら、

どんな情報もデータとして必ず残っているのが、今どきの仕事では普通だろう。

なんで官庁だけが、データを全てを破棄したなんてすぐに言えるのか理解に苦しむ。

責任を押し付け合う組織ほど、そのメールの飛び交う分量もさらに増えるはずだ。

もう誰も無関心だろうと思える時期に、実はありました、と言ってきたのか?

これ一つとっても、国会での答弁が、嘘だらけか証明しているようなものだ。