現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

携帯電話

2007-05-02 | Weblog
お父さんが生まれた頃には、家にテレビも電話もなかった。電話を持っているというか、備わっている家は、小学校の1クラスの中で半分ぐらいだったかな?学校へ提出する書類に必ず電話番号蘭に「呼び出し」という個所があり、自分の家の近所の中で、電話がある家の番号を書かせてもらっていたんだよ。子供心に何となくそれが嫌で、書類提出の時はぎりぎりまでカバンから出さなかったのを覚えている。家に電話がない、イコール貧乏な家みたいなところがあって、実際、電話を備えるのに今で言えば、3ヶ月分ぐらいの親父の給料がなければ申し込めなかったと思う。
 電話といっても色は真っ黒、指を穴にかけてダイヤルを回すやつ。それでも早く家に電話をつけてもらいたかった。結局、小学校の卒業間際に初めて家に電話がきた。
 ダイヤルの真ん中におふくろが万年筆で自宅の番号を書いた丸い白い紙を入れて、買ってきたばかりの電話台の上に置かれた黒光りする電話を見た時は、本当に嬉しかった。すぐにでも友達家へ電話をかけたいけれど、それもうれしがりみたいで、やせがまんしとった。学校への提出書類がもっとたくさんあれば、と思った.げんきんなもんやね。
 それに今度は相手の電話番号を書いておく、ちょっと分厚い番号簿を横にひっかけるようになった。今とちがって、用事もないのに電話なんかしたら怒られる時代やから、かけたいのにどこにもかけられないもどかしさ。
 時々、学校のことなんかで好きな女の子の所へかける時、「出てくれ」と願いながら、案の定、お母さんが出て声を聞けずじまい。無性に悲しい。
 携帯電話も、今から16,17年前はバッテリーが広辞苑ぐらいの重さと大きさで、駅のホームで話し出すと、誰も見たことも持ったこともないから、ほとんど全員に振り返られてなんかバツが悪かった。たまたまお父さんの勤めていた会社が早くから携帯を使ったために、それと並行して自動車電話もついていたよ。
 それでも、こんなに早く今のような携帯電話時代が来るとは予想できなかった。ここまで書いてきたように、全く家に電話がなかった時代から考えるとすごい進歩だし、その変わりようをこの目で見てこれたことは幸せに思います。
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