大学で、同じ部活やゼミ生のほぼ全員が、いわゆる一部上場の日本の大企業に就職して、その1社に終身雇用で勤務してきている者達がほとんどだ。彼らと比較すると、自分だけがカヤの外の存在だ。珍種だ。
もう数年前になるが、昔のK製鉄に入社して、今は数ある中のグループ子会社に出されてしまった奴だが、それでも年収1500万円とのことだ。60歳からは、50%になるというが、それでも750万円だ。
JRへの依存度の高い、N電設工業。守衛室を任されているY課長。毎日、これといって何もすることがない。年齢的に60歳近くと思われたが、それでも900万円だとか。確か家族を広島に残しての単身生活の身と記憶しているが。
日本の会社は、時代がどうであれ、無意味な非生産的な残業に縛られる毎日を送らされてしまうが、おそらくそれがあったがこそ、ようやく辞める前になって、世の中の中小企業との差が顕著になってくる。それはそれでいいのだろうが、失われた、というか、ひたすら、何も考えず会社人間だった時間は取り戻せない。まあ、そんな後悔をしているなどと聞いたこともないから、そんなもんだと思っているのだろう。彼らの子供たちのなかには、同じ部の者同士で結婚した者の子供の何人かが、京大へ進んでいたりして、自然にそのようになっていくのかと合点がいくような、いかないような。
大した仕事もこなしていないのに、日本の大企業で長年勤続している者に対しては、大した役職者でなくとも、それなりの大学を出て、周りがおなじような大学出身者ばかりで固められており、そんなにも格差もつけられこともなく、子会社も多く、天下りと同じように、いくらでもポストは用意できるので、それなりの給料を確保する。
それやこれや、すべてのコストが織り交ぜれて、新国立競技場の建設コストになっていく。
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