現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

1年と10か月

2016-12-23 | Weblog

約2年。少し満たないが、好む好まざる関係なく、やむにやまれぬ状況にて、祝日も関係なく、ほぼ月曜日から金曜日までの5日間、朝3時から3時半ごろに起床する生活パターンが続いてきていた。そのエンドレスに続く、まるで試練とも感じられる、繰り返しの日々に終止符を打った。

大学の3年生時に、ただ家を出たい一心で、住み込みの新聞配達を勝手に決めてしまって始めてしまったが、右も左も、上も下も、世の中のことも、制度のことも、世の中の仕組みも、何もわからず、全くお金がかからず何ができるかだけを、狭い思考だけで決めてしまった結果である。確かに始めてみて、大変さを学んだし、晴天の日ばかりでなく、雨や土砂降りや、冬の厳しい寒さにも明け方から体をさらしてきたし、もう今後は2度とやりたくないとも思ったし。どうして、こんなことをやり始めたのか、今考えても、よくわからないというか、思い出したくないから、自動的に削除機能が脳みその中で働いたのか、あまり詳細のことが思い出せない。3畳一間のアパートの一室で過ごしたのだ。部活のバドミントンには休まず行っていたのだから、それなりに大学へも毎日足を運んだろうけれど、なぜかこまかく思い出せない。

毎日の時間割りとしては、同じような状況に再度追い込まれてきた、この1年と10か月。毎朝、明け方4時半からの風景を見てきた。4時半からのニッポン放送のプログラムにも耳を傾けてきた。こんな時間に、こんな場所で、突然、出会う人も見てきた。夜が明けてから、十人十色、百人百色、千人千色と実感、体現してきた。自分と考え方がこんなにも違う人が、こんなにもいるということを改めて思い知らされた。これも学んだことともいえるが、こんなことを学んだからといって、明日からの日々の生活に何か変化を自分の中で起こしていけるのだろうか?

そういえば、望まないのに、あいつにやらせとけ発想で、誰もやりたがらないリコールの対応処理班(嫌がる業務をこなしていっても給与が自動的に下げていくからやってられないが)の時も、かかってくる電話や対応しなければならない相手からは、一万人一万色を事前勉強として学んでいたのだが、それに上乗せしただけのことか。


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