原爆の悲惨さをずっと後世に残して、語り継いでいくためには、この両日なり、この間の期間を休みにするとか、
なんか手を打ってもいいのにと思う。
昔は、原爆を投下した、米国。どうなるかわかっているにも関わらず、あえて実験みたいに原爆を投下した。
そのことに強い憤りを覚えると考えていたが、その思いは残りつつも、それよりもこの国の指導者の適切な
時期での判断力のなさ、原爆を投下されてもなお、陸軍は本土決戦を主張するという、己が自分だけで、
突撃して行けよ、と思うぐらい、判断力決断力のなさに呆れかえる。そちらの方が罪深いと思う。
その前の、人間魚雷回天や、ゼロ戦による神風特攻作戦を立案した、ボケ参謀も連中。
それをやったところで、大した成果もないことぐらいわかっていたにもかかわらず、そんな無茶苦茶なことだけは
決断する。精神主義だけの現れにすぎず、そんな作戦では勝てないことを承知の上で、人にやらせる。
戦争を始めた責任と、終わらせなかった責任。それは日本人自らが、判断できたことで、米国の責任以上に
重いものがある。
今、コロナの事柄ですべてが一色となっているが、原爆禍の被害、状況、壮絶さも、全く別物ではあるけれど、
一発で35万人を消滅させてしまう。悲惨以外の何物でもない。
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