庄助さん

浮いた瓢箪流れのままに‥、日々流転。

鮨 素十 (3)

2008-01-31 22:44:19 | 小説
 水を撒き終えるとシュロの箒で猫の額ほどの玄関前の庭を掃く。僅かな土のスペースであるが杉彩模様に箒の刷毛目をつけ、そして、最後に暖簾を下げる。その後玄関前に立ち、暖簾に向かって手を合わせる。何を祈念しているのかは分からないが、祈念する親仁の姿を見ていると誰をも寄せ付けない雰囲気を漂わせている。
 この一連の動きが、開店前に決まって行われる親仁独特のセレモニーであり、型である。
 水撒き前には店内の清掃はすっかり終わっていて、土間にも薄っすらと水打ちがされている。
テーブルと椅子は規則正しく配置され、カウンターは見事なくらいに拭き清められて、長年の使用に耐えてきた貫禄のようなものを感じさせられる。そんなカウンターの表面を電球の光が鈍く優しく射していた。
 



鮨 素十 (2)

2008-01-28 21:36:53 | 小説
 そんな様子だから傍目には一風変わった人間のように見られてしまうのであるが、この親仁に心を寄せる者は多い。その理由は親仁の一つ一つの所作と、その所作を通して醸しだされる雰囲気にあるようだ。これらの所作や雰囲気がどこから出てくるのかは分からないが、確かに人を惹きつけるものがあることだけは事実である。
 その一つに開店前の水打がある。雨の日以外は必ず店の玄関前の道路に水打ちをする。水打ちをする親仁の動きには独特の型があって、近所の人は時々その姿に見入っているときがある。店の脇の水栓の蛇口に取り付けたゴムホースで水をいっぱい入れた大きなポリバケツを玄関先に置く。はじめは、柄杓で水を掬うと、水をこぼさないように向かいと両隣の店の玄関前の道路に水が撥ねないように静かに撒く。近所の店の前の道路に一通り水を撒き終わると、こんどは道路中央の水撒きに移る。水をいっぱい汲んだ柄杓を持った手を左脇下に持っていった後、腕を水平にして右肩方向におもいっきり腕を振る。その様はさながら居合い抜刀の型である。 勢いよく撒かれた水は、空中で一瞬扇状の透明な薄膜の広がりを見せ、そのままの状態で地面に落ちる。舗装された道は扇形の水跡が綺麗に残る。そんな水跡があちこちにできると、親仁は一休みしながら自分の撒いた水跡をしばらく眺めている。遠くから見るとその水跡は浴衣にあしらった千鳥模様のように見え、とりわけ夏などは涼味をそそる思いがする。そんな道路の水跡模様を見ながら親仁は時折り満足そうな笑みを浮かべる。 

鮨 素十 (1)  峠道より

2008-01-26 23:59:58 | 小説
 駅からほどなくの下町の路地裏。夕刻ともなると近くの会社を退けたサラリーマンがこの路地裏の飲み屋街にやって来る。どの店もさほど大きな店ではないが結構な賑わいをみせている。そんな賑わいの中に鮨「素十」の店もある。店の佇まいはいたって質素なもので、間口、奥行きとも3間ほどの店内に、使い込まれた3つのテーブルとカウンター席があるだけ。古びた杉板張りの壁に無造作に貼られたカレンダーが妙に印象的で、それ以外はこれといってめぼしいものはない。
 鮨屋の亭主は50も半ばを過ぎた親仁であるが、無愛想で結構な頑固者でもある。親仁はいつもカウンターの向こうで背筋を伸ばし黙々と鮨を握っている。鮨を握っていないときがあるとすればせいぜい包丁を砥いだり、まな板やカウンターを磨いているくらいで、外に出ることも殆んどないようだ。出たとしても早朝の魚河岸への仕入れ以外は、精々暖簾の上げ下げと開店前の水撒きぐらいなもので、近所の人も親仁が何処かへ出かける姿をあまり見たことがないという。




正月も終わった

2008-01-09 21:57:51 | 評論、感想
 家族とともに過ごした正月、その余韻を楽しみながら過ごした残り正月、どちらも楽しいものであり、気持ちを豊かにしてくれるものでもあった。それだけに、終わってみれば、少々寂しい感じもする。のんびりと、ゆっくりと過ごした正月もすでに過去のこと-----。こんな心境となる正月をもう何年も繰り返しているが、それだけにまた来年の正月が楽しみである。
 日本の正月には日本独特の多くの伝統・文化が凝縮され,残っている。その一つ一つについての理解・認識にかかわらず、多くの人々が正月を愛し、正月を楽しみ、正月を待つ心境そのものが、正月の大きな伝統・文化であろう。人の心の底流にある理屈抜きの思いが日本の正月を支え、正月を大事にする所以。そんなことを感じた今年の正月であった。

初詣

2008-01-01 19:30:25 | 評論、感想
 大晦日恒例の紅白歌合戦を見終えて、年明けとともに近くの神社へ初詣に。外はかなり冷え込んでいるが、神社境内には深夜にも拘らずすでに多くの参拝者が列を成していた。40分ほど待って漸く拝殿に到達。昨年一年間の加護に礼を述べ、新たに今年一年の家内安全、身体健全を願う。甘酒のふるまい酒を頂き、焚き火に手をかざしながらゆったりと身体を温める。松の古木や根がちょろちょろと赤い炎を燈しながら静かに燃えていく。甘酒を飲みながら焚き火にあたる人たちの顔が炎に照らされ赤く映え、防寒着に首を竦め、熱い甘酒を黙々と啜る人の姿を張り詰めた夜の寒さが包む。その中にポツンと目立つ焚き火の炎の赤さが妙に印象的に見えた。 「今年もよい年であってほしい」。