庄助さん

浮いた瓢箪流れのままに‥、日々流転。

鮨 素十 (2)

2008-01-28 21:36:53 | 小説
 そんな様子だから傍目には一風変わった人間のように見られてしまうのであるが、この親仁に心を寄せる者は多い。その理由は親仁の一つ一つの所作と、その所作を通して醸しだされる雰囲気にあるようだ。これらの所作や雰囲気がどこから出てくるのかは分からないが、確かに人を惹きつけるものがあることだけは事実である。
 その一つに開店前の水打がある。雨の日以外は必ず店の玄関前の道路に水打ちをする。水打ちをする親仁の動きには独特の型があって、近所の人は時々その姿に見入っているときがある。店の脇の水栓の蛇口に取り付けたゴムホースで水をいっぱい入れた大きなポリバケツを玄関先に置く。はじめは、柄杓で水を掬うと、水をこぼさないように向かいと両隣の店の玄関前の道路に水が撥ねないように静かに撒く。近所の店の前の道路に一通り水を撒き終わると、こんどは道路中央の水撒きに移る。水をいっぱい汲んだ柄杓を持った手を左脇下に持っていった後、腕を水平にして右肩方向におもいっきり腕を振る。その様はさながら居合い抜刀の型である。 勢いよく撒かれた水は、空中で一瞬扇状の透明な薄膜の広がりを見せ、そのままの状態で地面に落ちる。舗装された道は扇形の水跡が綺麗に残る。そんな水跡があちこちにできると、親仁は一休みしながら自分の撒いた水跡をしばらく眺めている。遠くから見るとその水跡は浴衣にあしらった千鳥模様のように見え、とりわけ夏などは涼味をそそる思いがする。そんな道路の水跡模様を見ながら親仁は時折り満足そうな笑みを浮かべる。 
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