素十の父親、素一も素朴で質素を好む人だった。生まれは東京であるが、先々代は佐賀の出で下級武士の家柄だったそうだ。それが幕末の混乱期に武士を捨て江戸に出て来たという。その後は明治維新を迎え文明開化の波にのり才覚を発揮、幾つか自分の店を持つまでになったそうだ。その後、戦争や地震で店を焼失してしまったが、何とか惨禍をかいくぐり、小さいながらも一つだけになってしまった現在のすし屋を維持しているという。
そんな数多くの苦労をしてきた素十の父素一、そしてその苦労を子どもの頃から聞かされ育てられた素十。それだけに、いつも物を大切にし、何事にも感謝の気持ちを持って日々の生活を送る二人であった。
職人の世界は昔から、分野を問わず親方、先輩の技を盗み、自分で自分を一人前に育て上げていった。今日のように、研修だのマニュアルだのというようなものとは一切無縁の世界であった。ただ頼れるのは、まさに自分の才覚だけであった。素一も素十もこんな世界のもとで育ってきた。それだけに逞しさがあった。少々のことではへこたれない。それどころか、厳しい状況に立たされると、こういうようなときこそ千載一遇のチャンスとばかりに、自分が今まで培ってきた技量、精神力の限りを尽くし、困難な状況の打開を図った。そして、さらに自分の技量・精神力を高めていく。そんなことの繰り返しが二人にとっては堪らなくやりがいのあることであり、時にはその行動そのものが大きな楽しみに感じるようにもなっていた。このようなことは自信がなければできることではないが、その自信と実力は特別なことをして身につけたものではない。小さいときから自分に与えられた環境・生活条件の中で、自分にできることをいつも精一杯努力し、その結果を一つ一つこつこつと積み上げてきたものに他ならない。それだけに、ちょっとやそっとのことでは身も心も揺らぐことはなかった。
こんなようすの二人だから、昔から近所の人たちや店に来るお客になんとなく慕われ、頼られていた。
そんな数多くの苦労をしてきた素十の父素一、そしてその苦労を子どもの頃から聞かされ育てられた素十。それだけに、いつも物を大切にし、何事にも感謝の気持ちを持って日々の生活を送る二人であった。
職人の世界は昔から、分野を問わず親方、先輩の技を盗み、自分で自分を一人前に育て上げていった。今日のように、研修だのマニュアルだのというようなものとは一切無縁の世界であった。ただ頼れるのは、まさに自分の才覚だけであった。素一も素十もこんな世界のもとで育ってきた。それだけに逞しさがあった。少々のことではへこたれない。それどころか、厳しい状況に立たされると、こういうようなときこそ千載一遇のチャンスとばかりに、自分が今まで培ってきた技量、精神力の限りを尽くし、困難な状況の打開を図った。そして、さらに自分の技量・精神力を高めていく。そんなことの繰り返しが二人にとっては堪らなくやりがいのあることであり、時にはその行動そのものが大きな楽しみに感じるようにもなっていた。このようなことは自信がなければできることではないが、その自信と実力は特別なことをして身につけたものではない。小さいときから自分に与えられた環境・生活条件の中で、自分にできることをいつも精一杯努力し、その結果を一つ一つこつこつと積み上げてきたものに他ならない。それだけに、ちょっとやそっとのことでは身も心も揺らぐことはなかった。
こんなようすの二人だから、昔から近所の人たちや店に来るお客になんとなく慕われ、頼られていた。