庄助さん

浮いた瓢箪流れのままに‥、日々流転。

鮨 素十 (6)

2008-02-24 16:53:35 | 小説
 素十の父親、素一も素朴で質素を好む人だった。生まれは東京であるが、先々代は佐賀の出で下級武士の家柄だったそうだ。それが幕末の混乱期に武士を捨て江戸に出て来たという。その後は明治維新を迎え文明開化の波にのり才覚を発揮、幾つか自分の店を持つまでになったそうだ。その後、戦争や地震で店を焼失してしまったが、何とか惨禍をかいくぐり、小さいながらも一つだけになってしまった現在のすし屋を維持しているという。
 そんな数多くの苦労をしてきた素十の父素一、そしてその苦労を子どもの頃から聞かされ育てられた素十。それだけに、いつも物を大切にし、何事にも感謝の気持ちを持って日々の生活を送る二人であった。
 職人の世界は昔から、分野を問わず親方、先輩の技を盗み、自分で自分を一人前に育て上げていった。今日のように、研修だのマニュアルだのというようなものとは一切無縁の世界であった。ただ頼れるのは、まさに自分の才覚だけであった。素一も素十もこんな世界のもとで育ってきた。それだけに逞しさがあった。少々のことではへこたれない。それどころか、厳しい状況に立たされると、こういうようなときこそ千載一遇のチャンスとばかりに、自分が今まで培ってきた技量、精神力の限りを尽くし、困難な状況の打開を図った。そして、さらに自分の技量・精神力を高めていく。そんなことの繰り返しが二人にとっては堪らなくやりがいのあることであり、時にはその行動そのものが大きな楽しみに感じるようにもなっていた。このようなことは自信がなければできることではないが、その自信と実力は特別なことをして身につけたものではない。小さいときから自分に与えられた環境・生活条件の中で、自分にできることをいつも精一杯努力し、その結果を一つ一つこつこつと積み上げてきたものに他ならない。それだけに、ちょっとやそっとのことでは身も心も揺らぐことはなかった。
 こんなようすの二人だから、昔から近所の人たちや店に来るお客になんとなく慕われ、頼られていた。    
  

鮨 素十 (5)

2008-02-20 13:04:55 | 小説
 親仁の名前は素十という。勿論この名前は親が付けたものである。子どもの頃、近所の子供たちは親仁のことを「そっちゃん」と呼んでいた。親仁はこの頃、子供心に何故こんな名前をつけたのかといつも疑問に思っていた。しかし、親仁は必ずしもこの名前が嫌いではなかった。それどころか、むしろこの名前がなんとなく気に入っていたのである。親仁はかって一度だけ自分の名前の意味を父親に聞いたことがあった。
「僕の名前は何で素十って言うの---」
 父親はいつもと違うまじめな面持ちで素十にこう言った。
「素十---、素というのはなぁー、『もと』という意味があるんだ。もとというのはすべてのもとなんだ。すべてのものはこのもとから創られるられるんだ」
 確かそんなような話だった。しかし、正直なところあまり意味がよく分からなかった。そんなことがあった後、しばらくして学校の理科の授業で元素の話を聞いたことがあった。
「物はいろいろな物からできている。そして、それらの物はさらにより小さい物質によって構成されているんだ」
「そしてだなぁー、さらにこれらの小さな物質も、よりもっと小さい物質からできているんだよ。こうやって物質のもとをさらにさらにと突き詰めていくと、最後に到達する物質がある。それが元素というんだ」
「元素とは、これ以上分解できないという究極の物質だ」
 かっての理科の先生がこんな話をしたことをよく覚えている。
「そうか、俺の名前の素はそういう意味があったのか---」、とその時初めて頭での理解とともに気持ちの上でもしっかりと分かったような気がした。

 それにしても親は何でこんな名前をつけたのかという疑問はまだ解けなかった。
 因みに親仁の父親の名前は『素一』という。一般的な推測からして素十の素は、父親の一字をもらっていることは容易に理解できた。一は、父親が長男であったことからこれも直ぐに分かった。しかし、父親は単に自分の名前を子どもに継いでもらいたかったというだけではなく、名前の持つ意味をしっかりと理解した上で、その意味に含まれる精神をも子どもに継がせたかったようだ。





鮨 素十 (4)

2008-02-05 22:32:35 | 小説
  戸外の水撒きや玄関先の掃除、そして店内の準備が一通り終わると親仁は今まで着ていた服を着替えて板前姿に変わる。 使い込んだ板前着であるがこざっぱりと綺麗に仕上げられ清潔感がある。袖は7分袖ぐらいでやや短く、襟元から腹にかけての合わせが一直線に決まり、腰にきりっと巻かれた前掛けの下がりが衝立のように真下に平板に落ちている。中背で細身の親仁にはよく似合っている。
 親仁は真新しい板前着は身につけない。板前着がどんなに古くなっても、それを何度も何度も繕い直して着る。どうしても直せなくなると新しいものを用意するが、それでもそのまま身につけることはしない。真新しいものであるにも拘らず、自分が納得するまで幾度となく洗い直し、肌に馴染むようになってから使うようにしている。 しかし、この使い古した板前着を身につけた親仁の姿が店内の雰囲気とよく合っている。見方をもっと広げれば、古着を着た親仁の板前姿は水打ちされた道路、箒の刷毛目のついた店先の庭、そして、店内の磨きぬかれたカウンター、さらにはぼんやりとした電球にいたるまで…、これらすべての店の内外の環境を構成する一つ一つとが親仁の板前姿とよく似合っているのである。
 実は、このことはずっと後になって気付いたことであったが、美的感覚などという世界とはまったく無縁のようであるように見える親仁の日々の様子の中に、驚くくらい計算し尽くされ、研ぎ澄まされた美意識とその創造性が備わっていたのである。そこまで親仁は美を追求していたのかと驚かされ唖然とさせられたことがあり、美の世界に生きようとする親仁に畏敬の念とともに、強く心に打たれるものを感じたのである。