鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

19 猫と狐狸禅

2018-01-22 07:00:59 | 日記
---隙間から猫の手が出る遅日かな---

(猫の玩具 昭和三十年前後)
禅に壮絶な猫の公案があるので、簡単に紹介しよう。
師が弟子達に「山河や草木全てに仏性が有る。また山河草木に仏性など無い。これ如何に?」と問うた。
答えられなければ側にいた猫を斬ってしまうぞ、と弟子を脅す。
結局弟子達は答えられず、猫は殺されてしまう。
当時不在だった高弟が帰って来てそれを聞き、黙って草履を頭に被った。
師は「あの時お前がいれば、猫を斬らずに済んだのに。」と言った。
---冬深くカサコソ猫の紙袋---
答はいろいろある。
高弟が草履を頭に被ったのは、問いと猫は関係無い、ということを暗示している。
例えば弟子達で師を取押え、猫を逃して呵呵大笑すれば勝てた。
あるいは「問答無用!」と師を相手にせず、誰も居なくなってしまえば良い。
問い自体に価値は無いが、あえて答えるなら「有ると思う人には有る。無い時には無い。好きにしろ!」くらいだろう。
ただ、多分まともに答えようとした時点で不合格だ。
師が無理無体なら、弟子も無理無体で応じなくては。
禅は不立文字、決まった答は無いのだから臨機応変にやれと言う事だ。

(鼠大根図 室町時代 探神院蔵)
狐狸禅とはインチキな禅の事だが、正覚の禅より面白かったりする。
一休禅師より頓知の一休さんの方が親しめるようなものだ。
私の画業の出発点は、禅美術の障壁画に感動した所からだった。
我流の目での事だから、当然狐狸禅の類いだろう。
俳句でも昔は「俳禅一如」などと言っていた。
剣禅一如とか茶禅一如とか寄ってたかって有り難がった物だが、凡人が真面目にやればやるほど俗智に堕ちる。
上記の駄目弟子達と同じだ。
鎌倉は禅の都。
我が探神院は狐狸禅の巣窟。
猫と遊ぶには狐狸禅こそ相応しい。
---舌しまひ忘れて眠る仔猫かな---

©️甲士三郎