鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

316 収穫祭の床飾り

2023-09-28 13:04:00 | 日記

昔の武家では領地の収穫祭は重要な行事だった。

我家では毎年江戸時代の収穫図屏風を飾っていたが、屏風は置き場所や出し入れに手間が掛かるのが難点でさっと飾れない。

私も歳を取るにつれ床飾も手軽な色紙や掛軸で済ますようになってしまった。


色紙や掛軸は何といっても安く入手出来るし、収納にも場所を取られないのが良い。



(案山子図 寺崎広業 明治時代)

和室や床の間のある家が激減した現代では掛軸の需要は少なく、古書画軸の価格はどんどん低下している。

洋間の板壁でも置き床などを工夫すればマッチするのだが、合成建材や安物の壁紙では如何ともし難い。

中国や東南アジアでは板の間に椅子テーブルで掛軸を飾るのが当たり前なので、その辺を参考にしても良い。

とにかく歴史ある一級の美術品が二束三文で打ち捨てられているのは悲しい事だが、お陰でこの隠者如きでも手が届く。

絵は寺崎広業筆の稲穂に案山子で、上に豊年の句讃がある。

どうやら即興の席画のようで、広業には珍しい草体の筆致に野趣があって楽しい絵だ。


農村生活の句歌ならまず飯田蛇笏がお薦めだ。



(山響集 初版 飯田蛇笏 益子珈琲碗 昭和初期)

菓子盆に乗せた栗が甲州の実りの秋を思わせて、蛇笏の世界に誘ってくれる。

以前蛇笏の山盧集を紹介したので、今回は彼の第3句集「山響集」だ。

相変わらず田園生活の美しさと山国の厳しい自然を格調高く詠んでいる。

鎌倉も340年前はまだぽつぽつ農地が残っていて、田園の秋の風情が少しは楽しめたのだが………

それでも栗や団栗の木は近所の山に入れば結構多くあり、栗鼠達の良い餌になっている。



明日29日の晩は隠者が毎年楽しみにして来た中秋の名月だ。



(直筆短冊 山口青邨 乾山長角皿 江戸時代)

「人それぞれ書を読んでゐる良夜かな」青邨

良夜は秋の月夜の事。

我が先先代の師、山口青邨の代表句だ。

予報では熱帯夜の中秋の月となりそうでうんざりだが、エアコンの窓外に古来と変わらず輝いている月と古句で楽しむとしよう。

気に入った句歌や書画を眺めていると、目の前の現実を越えて人生で最も良かった月夜を思い起こさせてくれる。

さらに青邨や虚子のような格のある書なら美術品としても十分鑑賞に耐える。


この調子だと今年は鎌倉の紅葉は正月にまで伸びるかも知れない。

あまり年寄りじみた事は言うまいと思っているが、気候と自然の草木だけは昔の方が遥かに良かった。

こんな日本にしてしまい、若い世代には心から申し訳なく思う。


©️甲士三郎


315 室生犀星の避暑

2023-09-21 12:51:00 | 日記

今日の天気予報では案の定10月上旬まで真夏日が続くと言う。

せめて気分だけでも涼しくと、前回も取り上げた信州の本を読もう。


室生犀星は軽井沢に草庵を築いて長年住んだ。

親しかった友人の芥川龍之介も生前何度かそこを訪れている。



(信濃の歌 初版 室生犀星 古九谷青手急須湯呑 幕末期)

犀星は信州を舞台にした随筆を沢山書いていて、東京より余程気に入っていたようだ。

軽井沢の草庵を訪れた友人の文士も多い。

死の前年の芥川がその軽井沢を去る時、「さようなら、僕の抒情時代」と言っているのが印象的だ。

この信濃の歌は彼の長年の随筆や詩の中から信州に関する作品を集め、戦後間もなく出版された。

私はこの中ではきりぎりすの詩が気に入り、別の本の「虫寺」と言う短編と共に秋の風情を味わっている。


室生犀星と芥川龍之介は会うたびに俳句に興じていたようで、その様子は随筆や書簡に伺える。



(遠野集 初版 室生犀星 黄瀬戸茶碗 古萩皿 江戸時代)

この遠野集は犀星の俳句の集大成で、全句毛筆手書きの豪華句集だ。

芥川との句会で作った句は大抵入っている。

彼はこの遠野集の前に魚眠洞などの俳号で3冊の句集を出すほど俳句にのめり込んでいたが、亡くなった芥川とやった句会の楽しさを生涯忘れなかったようだ。

この中の秋の句で良かったのは

「秋の野に家ひとつありて傾けり」犀星


犀星は詩は勿論の事和歌も少し残しているが、最も数多く詠んだのは俳句だった。



(文藝林泉 初版 室生犀星 李朝小壺 李朝染付虎)

この昭和9年に出た雑文集にも100頁以上を俳句俳諧に割いている。

また亡き友芥川龍之介の遺詩集「澄江堂遺珠」と句集「澄江堂句集」を語っている。

要約すると芥川は詩より俳句の方が良かったと言う話だが、私が見るにその室生犀星も詩より俳句(犀星は発句と呼んでいる)の方が良い。


鎌倉も東京に比べれば避暑避寒の地だが、避暑に関しては信州軽井沢が断然上であろう。

最高の避暑地で詩文三昧の晩生を過ごせる人は、それだけで至福の人生だと思う。


©️甲士三郎


314 旅愁の草の穂

2023-09-14 13:01:00 | 日記

今週はやや涼しい日が続いて、我が谷戸の最高気温も30度ほどとなった

以前の鎌倉ははお盆過ぎれば大体30度前後の涼しさだったから、少なくとも3週間は真夏が伸びている。

きっとこの先また酷暑に戻る日もあるのだろうが、ほんの数日でも小さい秋を見付けて楽しむとしよう。


近所の路地や空地でいろいろな秋草が風に揺れているのを見る度に、私はノスタルジックな旅愁を掻き立てられる。



(舟板扁額 島崎藤村書)

おそらく江戸時代の物であろう朽ちた舟板に島崎藤村の書で「旅情」と彫られたこの扁額は、いかにも鄙びた旅愁に満ちている。

若い頃の一人旅で田畑の畦などに座ってスケッチしていると、その傍らにはよく秋草の穂が揺れていた。

当時の私の取材旅行は予定も立てず十日から半月ほど山野をさまよった末に、ズボンに草の実を沢山付けたまま、旅鞄の中にも実や種が入り込んだまま帰宅したものだ。


庭の草の実もまた旅で回った美しい田園の秋を思わせる。



(菜穂子 初版 堀辰雄)

この「菜穂子」は堀辰雄の「美しい村」「風立ちぬ」に続く軽井沢シリーズ三部作の集大成となっている。

上の写真の藤村の名作「千曲川旅情の歌」と共に、この本も昔の旅をより美しく思い出させてくれる。

軽井沢や佐久方面は親しい友人がそちらにいた為もあり、毎年のように写生に通った場所だ。

東京がまだ酷い残暑の時期でも、信州にさえ行けば爽やかな秋風の真っ只中で旅情に浸る事が出来た。


近年は老母の介護もあり長旅は出来なくなったが、詩画人にとっては散歩路の草の穂にさえ美は常に隠れている。



(雑草園 葛飾土産 初版 永井荷風)

永井荷風は散歩随筆の名人で、路傍の草花や虫達を良く題材にしていた。

時には小説の中でさえ主人公のストーリーそっちのけで、四季の風物の描写に力を注いでいたりする。

まあ散歩と俳句好きだった荷風ならありそうな事だ。

写真の猫じゃらしや薄なども良く句に詠んでいる。

私も残生では精々足下身辺の小さな自然で自らを慰めるとしよう。


ようやく残暑と呼べる暑さになったが、節季はもう白露なのだ。

昔の老人風に言えば、この夏もどうにか生き延びた。


©️甲士三郎


313 抒情の時代

2023-09-07 13:00:00 | 日記

9月に入っても未だに秋は来ないが、鎌倉はまだ良い方で夜は冷房を止めても眠れる日が少し増えた。

昔を思い返せば秋の夜長に窓を開け、涼風に虫の声を聴きながらの読書は良い物だった。


そんな秋の夜に選ぶ本は、やはり古き良き抒情的な詩歌集が多い。



(抒情小曲集 初版 加藤まさを 純情詩集 初版 西條八十)

これまでに幾つも紹介したが、大正から昭和初期にかけて「抒情〜」と言う題の本が沢山出ている。

当時の詩人達の大部分は、例え表題だけでも「抒情〜」としておけば結構売れた時代だ。

日本の一般大衆が史上初めて抒情に目覚めた時代と言っても良いだろう。

自由恋愛もまだ少数の人にしか許されなかった時代なのだ。


また抒情の時代と大正浪漫の時代は重なっている。



(抒情詩選 西條八十 初版 真鍮水差 1920年代 宋胡禄 19世紀)

竹久夢二らの詩画集も副題に「抒情〜」と付いている物が多くある。

室生犀星も佐藤春夫も荻原朔太郎の詩集も皆最低一冊は「抒情〜」がある程で、こうなると当時の出版業界の流行に乗った販売戦略だったのだろう。

それらの詩集は今も大人気で、初版の美麗本など高価すぎてこの隠者如きにはとても手が出せない。

しかしその反動か飽きられたのか、敗戦後に抒情は一斉に廃れた。

戦後の俳句界では短歌的抒情はダメ、短歌界では古臭い抒情はダメ………

そしてその後昭和の出版界は伝統文化否定、欧米文化礼賛が流行となった。

そんな訳で抒情と浪漫が好きな私の蔵書の八割近くは戦前の本となっている。


そもそも抒情やリリックは古今を問わず人間の普遍的な感情の一つなのだから、古いとか飽きたとか言う問題では無いだろう。



(抒情歌 初版 川端康成 益子焼カップ 昭和初期 瀬戸水滴 明治時代)

鎌倉文士の雄川端康成の「抒情歌」は、戦前戦中に書かれた作品をまとめて戦後間もなく刊行された短編集だが、抒情的な要素はほとんど無いのに題だけ「抒情」だ。

ついでに「歌」の要素も一つも無い。

販売戦略もここまでやられると、逆にあっぱれだ。

これを最後に題に抒情と付く本はほとんど消えて行った。

今でも年配者の中には古い甘いと言って抒情を否定する人は残っているが、時代に流され己が本然の感情を封印してしまった人だろう。

そんな訳で真っ当な抒情を味わいたいなら、大正〜戦前昭和の古書を探すしか無い。

戦後の抒情や浪漫を探すなら、むしろ文芸よりコミックや歌謡曲の方に傑作が沢山ある。


我が残生であと何回真に秋らしい夜を味わえるのかわからないが、そんな夜が来たら読むべき本は厳選しておきたい。


©️甲士三郎