鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

264 楽園の嵐

2022-09-29 13:02:00 | 日記

今年の彼岸はふたつの台風に挟まれ、前後の連休が台無しになった人も多いのではないか。

それでも我が楽園では幾本か倒れつつも曼珠沙華の花盛りだ。

ーーー嵐また嵐の間の曼珠沙華ーーー


黒揚羽が曼珠沙華の赤との強い対比を見せながら花間を舞っていた。



良く見れば嵐でだいぶ翅が破れ痛々しい姿で、それゆえ一層秋蝶の生命が鮮烈に感じられる。

ローマか何処かの伝説に、「戦死した兵士の魂は蝶になって故郷の花野に帰って来る」と言うのがあった。

蝶の中でも秋に残された黒揚羽はひときわ霊的な存在だろう。

ーーー伝説はかく我が内に宿りけり 嵐の後の破翅の黒蝶ーーー


庭と近辺の倒れていた曼珠沙華を取って来て、隠者好みの割れた壺に投げ入れてみた。



(古信楽壺 古鉄燭台 江戸時代 旅塵 初版 吉井勇)

本は吉井勇が戦時中各地を放浪していた頃の歌集「旅塵」で、物資不足の国情の粗末な装丁が返って勇の心情に適っている。

花入に使う古壺は必ず何処か傷や割れがなくてはいけない。

無常、もののあわれ、侘び寂び、ひょうげ、日本の美の枢要は古花入ひとつにも込められていて、野の花を入れれば直ちに観応し合う。

また谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」で言うように、古器を観るには蝋燭の灯に限る。

秋の夜は正にこういった古器を傍らに物を想うのに最適で、隠者流観想術の奥義を繰り出すまでも無く夢幻界に移転できよう。

ーーー破壺と座せる灯影の秋深むーーー


秋の花や草の穂が出揃って来れば、毎日でも散歩や吟行スケッチなどにふらつきたい。

幽陰の残生を花と戯れつつ過ごせるのは幸いだ。



(茜富士 リトグラフ 奥村土牛 宗全籠 大正〜昭和初期)

先師奥村土牛の富士が、リトグラフとは言え遂に四季揃った。

師の絵に更に花を添えるのは蛇足だとは想うものの、野の花の明るさは師も喜んでくれるだろう。

この絵もそんな秋野の光の中に座って写生された物かも知れない。


秋の好日を近くの山野でバッハのピアノ曲でも聴きながらスケッチしたり詩歌を詠むのは、大した時間も金もかからずに大きな愉悦を与えてくれる。

どんな世情下であろうと、隠者はその程度の暮しで満足だ。


©️甲士三郎


263 隠者の収穫祭

2022-09-22 13:00:00 | 日記

我が荒庭の隅に彼岸花が咲き出したが、今週末も予報は嵐か雨続きのようだ。

この春と同じく本当の秋日和はほんの数日しか得られぬ気がする。


ともあれ隠者は通例の収穫祭を仕るため近所で地元産の秋野菜を買ってきたので、しばし床の間に飾って楽しもう。



(菊画賛 高久靄崖 刳り貫き漆膳 江戸時代)

鎌倉の谷戸も戦前までは田畑の広がる農村だった。

今の農業の現場はもう少し三浦半島寄りに移ったが、鎌倉野菜と言うブランド名で結構売れている。

後ろの文人画は高久靄崖の作で詩は

「不着老園秋容淡 猶有黄花晩節季」

晩秋の詩で少し早い気もするが、もう重陽も中秋もとっくに過ぎているのだ。


次は我が荒庭での収穫。



(菊瓢箪画賛 田能村竹田 織部湯呑 木椀 蝉籠 江戸時代)

庭の草の穂と小菊を古びて飴色になった籠に入れた。

茶菓子は小粒の栗饅頭で、これ一粒なら私でも食べられる。

最近はカロリーを気にする人が増えて、他の和菓子も小粒の物が売れているらしい。

また私の江戸後期文人達の古書画の研究収集も、近年の疫病禍による京都方面からの大量放出により大収穫となった。

この竹田の絵は菊児童の伝説にある菊の露を瓢箪に溜めている場面で、俳句は「しばしまて果は飲ます菊佻理」。

陶淵明はじめ昔の文人賢者達は皆菊の花が大好きで、詩書画にも名作が沢山残されている。

それが現代人に取っては一年中何処にでもあって、仏花や葬式花の印象で抹香臭く縁起の悪い花になってしまったのが残念だ。


祭に音楽は欠かせない。

収穫祭ついでに近年の音楽方面での世界的な収穫を紹介しよう。

この10年ほど日本やアメリカがマーケティング優先の売れ筋アイドル路線に退化している間に、後進と言われていた国々が歌の魂の次元で遥か高みへ行ってしまったのだ。



写真は京劇の花旦(女形)の伝統にカウンターテナーの歌唱法を加えて降臨した漢文明3000年の美の精華「周深」だ。

もう貴種としか言い様の無いその高く澄みきった歌声と表現力は、これまでのファルセットとも違い全ての音楽ファンに未知の感動をもたらすだろう。

お薦めの曲はiTunesでは「相思」「大魚」、YouTubeでは「いつも何度でも」「天下有情人」等。

アジア全域の特に女性達に絶大な人気があり、動画の視聴合計は数十億回にも昇る。

もう一人はカザフスタンの「Dimash」。

驚異の6オクターブの音域を自在に操るパワーボーカルで大草原の天翔ける神狼だ。

彼もロシア中国を中心にヨーロッパからアジアまで幅広い人気を誇っている。

代表曲はiTunesで「Your Love 」他。

この二人共アポロンの恩寵か妙音天の加護か、若くして気品を纏う眉目秀麗な美青年でもある。

ーーー若き日に戻してくれる曲ありて 日翳る窓の外はまた秋ーーー


そのDimashが玉置浩二の「行かないで」をYouTubeで歌っていて(Ikanaide)これが正に絶唱なので是非ご一聴あれ。

実はこの曲は若い頃から隠者のカラオケの得意曲で、ひときわ深い追憶の想いがあるのだ。

ーーー溜息の如き声にてふるさとの うた歌ふべし老いて震へてーーー


©️甲士三郎


262 残照の廃寺

2022-09-15 12:46:00 | 日記

窓を開けた隙に大きな鬼ヤンマが迷い込んで来た。

赤蜻蛉や塩辛蜻蛉と共にお隣の永福寺跡の池に群をなしているのだ。

その蜻蛉達に誘われて、ふらっと近所で吟行して来よう。


ーーー夕焼の古き都は全て影ーーー



夕照の池のほとりには薄の穂が輝き何種もの蜻蛉が舞い踊っている。

やや強い風が吹いているがまだまだ蒸し暑く秋風とは言い難い。

遺跡と言っても池と大堂の礎石群しか無く、また西洋公園風に整備してしまって見るべきものは薄と鳥虫類だけだ。

整備前には同じ時代の浄土式庭園である平泉の毛越寺跡のようになると言っていたのが恨めしい。

古都は須らく幻影の中に在るべきだろう。


ーーー夢色の蜥蜴息づく鎌倉の 久遠へ滅ぶ草間の礎石ーーー



この石は鎌倉時代の大門辺りの石組だったらしいが、位置が動かされて分からなくなっている。

ここでは青と金に光る蜥蜴をよく見かけるものの、我が病眼と私より年上のライカではとても写真に捉えられない。

その代わり身体はどんなに衰えようと、句歌は病床でも詠めるのが長所だ。


ーーー虫の音は高まり星は回り出し 野辺の仏は半眼半夢ーーー



これは我が荒庭の隅にある石仏で、かなり昔に鎌倉の古道具屋で買った物だ。

吟行ついでに買物をして来たのですっかり夜になってしまい、秋の虫達の大合唱の中への帰宅だ。

山続きの我が庭では各種の虫の声が朝まで響き、夜だけは秋を感受できるようになった。


湯殿で聴く虫の声はひときわ美しく、たまに鉦叩きも来て澄んだ音色で鳴く。

ーーー湯に浸かり眼を閉じて虫の音の 闇の楽土に荒魂曝せーーー



(虫売図 高橋麗泉 古伊万里色絵徳利杯 幕末〜明治頃)

風呂上りには宗全籠に秋草と小菊を入れて、虫の音を聴きながら菊花模様の古伊万里の酒器で画中の美女と一献(私は一口だけ)だ。

この絵のような装束の虫売りや風鈴売りがいた頃の街並は、四季折々にもさぞ風情があったろう。

ご存知の鏑木清方もそんな市井の風俗を良く描いている。


ーーー古籠に馴染む幾種の秋の草ーーー

秋草は花屋で買った物も庭や野辺で取ってきた物も、無造作にごちゃっと活けた方が野趣がある。

花入は古びた竹籠が合わせ易いが、薄などの丈高い物は破れ壺が隠者好みだ。

彼岸過ぎて暑さも治まる頃、谷戸の秋の花と戯れる時が楽しみだ。


©️甲士三郎


261 大佛次郎の路地

2022-09-08 12:57:00 | 日記

今週末は中秋の名月だがまだ当分は残暑で大気は澄まず、もう鎌倉の暦は立秋も中秋もひと月遅れに書き変えるべきだろう。

よって隠者の夏安居の読書三昧は彼岸過ぎまでは続く。


猫好きで有名だった鎌倉文士、大佛次郎の旧邸が売りに出された。

大佛邸は私の日々の買物の路にあって、近隣の家並みも含め昔ながらの狭く美しい路地だったが、この一帯も最近相次いで取り壊されてありふれた新興住宅地となって行く。

ーーー炎昼の光に眩む路地の奥 ダリア燃え立つ幻の庭ーーー



大佛邸門前で「鞍馬天狗」苦楽社版初版を持って、一応記念写真を撮っておいた。

苦楽社は大佛次郎自ら敗戦直後の鎌倉の文芸復興のために作った出版社で、雑誌「苦楽」の表紙は毎月鏑木清方が描いていた。

清方もその随筆で失われ行く江戸明治の街並みを痛切に惜しんでいる。

毎日そこにあって当然の大して気にも留めなかった物が、いつの間にか一つづつ失われて行く。

楽園とは須らくこうして緩慢に消え去るのだろう。


「鞍馬天狗」苦楽社版は小説としては初出では無いが、その見所は何と言っても鰭崎英朋の挿絵にある。



(鞍馬天狗 苦楽社版 初版 大佛次郎)

近年愛書家の中で人気沸騰の英朋の絵には現代コミックイラストに近いダイナミズムがあり、当時の浪漫主義小説に適した画風だ。

同時期イギリスのラファエロ前派にも似た感性で、ドラマチックな場面の絵は彼の独壇場だ。

ただ最近まで埋もれていた作家なので画集類は少ないのが残念だ。

ネットの画像を探せば泉鏡花や柳川春葉の本の挿絵は見られるが、隠者はまだ安価な頃に彼の口絵版画を集められたのでそのうち紹介しよう。


戦前の大佛次郎は「赤穂浪士」の大ヒットで人気作家となった。

当時は上の写真の路地ではなく鎌倉大仏の裏に住んでいて、そこから大佛のペンネームを付けたそうだ。



(赤穂浪士 上中下巻 初版 大佛次郎)

大佛が他の悩み多き鎌倉文士達と違ったのは、最初から大衆文芸(エンターテイメント)と割り切って小説を書いた点だろう。

鎌倉では小説を中途半端に芸術扱いすると必ず挫折するようで、久米正雄は芸術をやりたいなら詩や俳句でやるべきと言っていた。

ーーー夕立が打つ大仏のがらんどうーーー


大佛次郎は自分の最高傑作は「スイッチョねこ」だと語っている。

この短編が載っている「猫のいる日々」の初版本(文庫版は持っている)を探しているのだが、そんな古い物でも無いのになかなか見つからなくて焦っている。

すいっちょやちちろが鳴いている内に何とか手に入れたいものだ。


©️甲士三郎


260 若山牧水の旅吟

2022-09-01 13:07:00 | 日記

若山牧水は若い頃に鎌倉の少し先の三浦にしばらく住んでいたので、私には鎌倉文士らにも似た親近感がある。

彼の旅の歌には古の歌人に通じる旅情があり、現代の観光グルメ旅行では味わえない寂寥感が漂っている。


家の事情でもう長い事旅に出られぬ隠者は、旅(と酒)の歌人だった若山牧水の歌には深く憧憬の念を抱く。



(直筆歌軸 若山牧水)

「かたはらに秋くさの花かたるらく ほろびしものはなつかしきかな」

同じ桔梗竜胆を見るにも近所の花屋で見るのと、旅の畦道で見るのでは観応力に大差が出る。

昔信濃路の野辺でスケッチした桔梗と女郎花を思い出させてくれる歌だ。

牧水の書は現代人にも読み易く今でも人気があり、短冊はともかく直筆の軸はなかなか入手困難となってしまった。


牧水の短歌で隠者が特に気に入っているのは夏から秋の旅吟だ。



(短冊3種 若山牧水 黒織部徳利杯 江戸時代)

俳句や短歌の軸短冊を集めていて気付くのは、夏に飾れる涼しげな作が少ない事だ。

飾るにはあまり暗く悲しい作品は適さず、また書も上手くは無くともある程度の品格は欲しい。

その点で牧水の短冊には水辺の涼しい歌が結構あって嬉しい。

歌は向かって左から

「石こゆる水のまろみをながめつつ 心かなしもあきの渓間に」

「幾山河こえさりゆかば寂しさの はてなむ国ぞけふも旅ゆく」

「うばたまの夜の川瀬のかち渡り 足に觸りしはなにの魚ぞも」


歌集の中では「渓谷集」が題からして涼しげで良い。



(渓谷集 初版 若山牧水)

牧水が題名の秩父の渓谷に行ったのは秋だが、近年は8〜9月の暦の上では秋と言えどもまだまだ暑く、深山幽谷の涼感はこの時期読むには有難い。

彼の他の歌集も隠者が昔の取材旅行で歩いたような景があちこち出て来て、短歌としては大した作で無くとも共感できる歌が多い。

脇に積んである他の歌集は、別離、朝の歌、くろ土、山桜の歌、黒松、全て初版。


9月に入って山国はもう秋の風情だろう。

北への旅には最も良いこの時期を、まだまだ蒸し暑い鎌倉を出られぬ我が身を嘆きつつ、過去の旅のスケッチや写真の掘り起こしでもしよう。


©️甲士三郎